第7話 居留地にて

 どきの空気を揺らし、ガス灯がともった。

 火を入れて回る点灯夫を建物の陰でひっそり見物し――と思ったが、軍服二人と神職という取り合わせだと隠れきれていないかもしれない。

 もっと闇が降りなくては目立ってしまうけい喜之助きのすけ、そして晴真はるまだった。


 石造りの西洋商館が建ち並ぶ、ここは居留地、海岸通り。怪異が出たと通報されるにしてはずいぶんとハイカラな場所だ。


「あの……こんな所ってことは、外国人の霊だったりする?」

「知るか」


 冷ややかに突き放され、晴真は少し困ってしまった。これまで遭遇したことがあるのは日本人の霊だけ。異国の神を信じる人に御狐さまの力は通用するのだろうか。


「また慧は、その態度やめなって。大丈夫だよ、俺ら帝都でそういう怨霊を祓ったことあるし」

「そうですか、よかったあ」


 人通りは減ってきているが、皆無ではない。海に面したホテルには食事や酒を出す店が入っていて、この時間からはそんな場所に人が集まるのだ。そこには日本人客も混ざっているので、そのあたりが通報者なのか。


「おそらく怨霊だろうが、瘴魔しょうまかもしれないぞ」

「慧、おどかすなよ」

「おどしじゃない。ここなら海の生き物が魔になってもおかしくないだろう。あっちの山手は今でこそ居留地だが三十年前は雑木林で鳥とタヌキの天国だったし」

「そっか、そうだったみたいだな。俺らも生まれてないけど」


 そんなことを言い出せば、昔この横濱市中心部は入り江と葦原だったはず。今その面影はまるでなく、人と建物がひしめいていた。


 三人はゆっくりと歩いた。闇が次第に濃くなっていく。

 なのにガス灯の届く所がほんのりと明るかった。建物からもれる灯りもそれに華をそえる。フランス波止場に立つ燈台とうだい煌々こうこうとしていた。


「ここには、不思議な夜があるんだね」


 晴真はつぶやいた。

 笹花ささはな稲荷の夜は闇に沈んでいた。町の灯りは丘の上から見下ろすものであって、その中を歩くのは初めてだ。少し怖い。

 だけど両側には慧と喜之助がちゃんといてくれて、物言いは突き放していても慧だって晴真を守ろうとしてくれていると信じられる。無愛想な慧の横顔に、何故か晴真は安心した。


「――あれか」


 ス、と晴真を制して立ち止まった慧があごで指した。暗がりに這いずるような影がある。何かを探す風だった。


「だな」

「晴真、俺たちが脇をふさいで退路を断つ。ひとまず任すぞ」

「うん。あれなら僕がいける。だいじょうぶ」


 女のように綺麗な顔で、気負いもなく言ってのけられて慧は眉を上げた。喜之助もヒュウと口笛を吹きそうになってやめる。怨霊の注意を引いてどうする。


「出ておいで、とうふちゃん」


 小さく呼ぶ声に応え、闇から白い影が現れた。ここまで一緒に歩くのは目立ちすぎるので隠れてもらっていたのだ。呼ばれて出てきた豆腐小僧は嬉しそうに友だちの前で笑った。


「ハールマ!」

「うん。あのね、あそこの人、わかる?」

「ああ、なんかさがしてる」

「そう。たぶん探し物はもう見つからないから、諦めてもらいたいんだ」

「そうだねえ、かわいそうだねえ」


 ……何言ってんだこいつら。そう思ったが、慧はグッとこらえた。任すと言ったのだから見ているしかないのだ。


「僕らに気づいたら、あの人絶対にとうふちゃんの方に来るから。足どめお願い」

「りょうかい!」


 手に持つ豆腐をふるふる揺らし、豆腐小僧は怨霊に向き直った。ズザッと足を開き身がまえる姿は凛々しいと言えなくも……やはり可愛い。

 それにしても豆腐小僧が怨霊を足どめとは。こんな妖怪に晴真は何をやらせるつもりだ。本当に大丈夫なのかとハラハラしながら、喜之助は全員と目で合図した。


「行くぞ!」


 タッ、と駆け出した慧と喜之助。怨霊はさすがにその動きに気づいて顔を上げた。

 わりとはっきりした怨霊は男――血まみれの西洋人で、片腕は肘の先がなかった。これが見えたら、そりゃ通報するだろう。

 怨霊は四人を見渡す。敵意を持って囲まれていることぐらいはわかるのか、低くグルルとうなるのが聞こえた。そして視線が豆腐小僧に定まる。

 いちばん弱そうな子どもだからだ、と慧にもわかった。友だちと言いながら囮にするとは、晴真もなかなかえげつない――。


「グアアッゥ!!」


 怨霊が吠えた。そして突進した。


「とうふちゃん!」

「だいッ!」


 豆腐小僧は叫びながら盆を地面に置く。

 と、豆腐が突如

 ベション!!

 怨霊は豆腐に突っ込み、埋まった。


「――はあッ!?」


 慧と喜之助は声をそろえた。なんだと。

 豆腐の中でもがいているのか、大きな白い塊はぐらぐら動く。ボスンと豆腐から怨霊の手が突き出た。

 駆けつけた晴真はその手に触れた。蒼白い光がふわりとあふれる。


「――つらかったね。もうお眠り」


 晴真は透き通る笑顔だ。小さく告げたその言葉に従うように、怨霊の腕がかすんでいく。それとともに光は強く輝いてゆき、散った。


「――終わったのか?」


 暗闇が戻り、慧はつぶやいた。すると。

 ――ぐずぐずぐずッ。

 巨大化していた豆腐が崩れ落ちた。


「あ」


 思わず声を上げた慧に、晴真は視線を向ける。静かな微笑みがパアッと満面の笑顔に変わった。

 崩れた豆腐の残骸は少しずつ消えていく。どういう仕組みなのかわからないが、あまりのことに喜之助は茫然とつぶやいた。


「……なんか、すげえ」

「ね、すごいでしょ! とうふちゃんは強いんだよ!」


 褒められて嬉しかったか、晴真と豆腐小僧は並んで胸を張る。先ほどの蒼白い光のことなど忘れさせる無邪気な少年ぶりだ。


「――何て言うか、うん」


 慧は言葉を絞り出したが、眼前であったこと――あれが「滅さずに清める」というものなのか。よくわからなかった。


「――慧」


 晴真が来て上目遣いにする。


「どうかな。あの人の心を救ったと思うんだけど」

「――そうなのかもしれないが」

「何?」

「見えなかった、俺には」


 だって、怨霊はほぼ豆腐に隠れていたのだ。片手の先の顛末だけで何をどう判断しろと。


「ええええーっ!」

「いや仕方ないだろう。本当に何が起こったのか見えてないんだ。豆腐の中だったから」

「そんなのずるい!」

「――豆腐の奴がすごいのは、わかった」


 いちおう言ってやると、晴真は一瞬黙る。慧から友人を認められて、とりあえずよしと思ったのかもしれない。


「しょーがないなあ」


 機嫌を直してツツイと踵を返す晴真を喜之助が手招いた。ここで言い争っても仕方がない。


 ふいと姿を消した豆腐小僧をのぞく三人は、ひとまず帰路についた。この件の報告はまた後日、帝都に電信を送らなければならない。

 だが今は、遠い異国で命を落としたうえに豆腐に溺れた怨霊の冥福を祈るとしよう。


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