第5話 半妖の身
「ここいらの土地を買っている商人がいてな。また牧場にしたいらしい」
牧場――ここに来るまでに見た、そして嗅いだものを
だが、そのために神社をつぶそうとは。喜之助が眉をひそめた。
「なんて罰あたりな」
「いやあ、場所を移れというだけだ。神さまをお
だが晴道はため息をついた。
できればここにこのまま、と思う。それは息子夫婦のためだった。
「母さんが、会いに来られなくなっちゃうよ」
そういえばまだ豆腐小僧がいる。普段から表に現れっぱなしなのだろうか。慧はうさんくさそうに目を細め、口をはさんだ。
「母狐、来るのか」
「ううん来ないけど……僕のこと気にしてるかもしれないでしょ。いつか様子を見に来た時に、ここがなかったら困るじゃない」
「……」
それは「僕こんなに大きくなったんだよ」と母に言いたい、と――甘ったれた考えに慧は鼻で笑いそうになった。いちおう呑み込んだが気配でわかったのか、晴真がムッとする。
「だって母さんだよ? 会いたくて何が悪いのさ」
「――俺は別に会いたくないね」
突き放して言う慧と晴真がにらみ合う。ここで喧嘩しても仕方がないので喜之助は割って入った。
「今はそういうことじゃなくてさあ。ええと、晴道さんはお稲荷さんの移転先を探したりされているわけですか。それでお忙しい」
「まあな。遠くに離れるわけにもと思ったが、いかんせん横濱の土地は値が上がっとる。お社の建て直しも含めると厳しくてなあ」
一度は何とか工面しても、移転先がまた買い叩かれたりしたら目も当てられない。
「もういっそ、大きな神社の境内社にしてもらうなり、誰かのお屋敷の内に小さく祀ってもらうなりでもいいんだが」
「はあ……そんなにお困りなんですね」
喜之助もその業界には詳しくない。解決策を出してやれるわけではないのだが、心配なことはあった。
「あのう、もし、晴真くんをウチの特殊方技部に、なんてことになったら、ここの跡継ぎは……」
「そんなもん、いるわけなかろ」
「ですよねー」
腕組みして考え込む喜之助に、慧は当然の顔で言い放った。
「それこそ大きな神社が宮司を兼務してくれる。ここらなら
「へえ。そういうもんなんだ」
伊勢山とは横濱市総鎮守の大神宮のことだ。だから気にしなくていい、と慧は思ったのだが晴真は不満そうだった。
「そうじゃないよ! 僕はこのお稲荷さんを守りたいんだってば」
「うるさい。地上げされかかってるのも教えてもらえない子どもは引っ込んでろ」
「ぐっ……」
二の句が継げない孫に、何も教えなかった祖父は申し訳なさそうにした。
「
「晴道さん、辛辣……」
喜之助の感想も小声だ。孫に対して言い方がきついとは思うが、たぶんそれが事実なのだろう。妖怪と遊んでいるのを好む少年だ。
ますますヘコむ晴真を、ただ一人の味方、豆腐小僧がおろおろと見守っていた。
とりあえず、その夜から晴真は官舎に連れて来られた。怪異などいつ現れるかわからないが、夜の方が可能性は高かろう。見極めがさっさと終わるにこしたことはない。
晴真の処遇が決まらない限り笹花稲荷の今後も決めかねてしまう。だがそこは、晴道にも迷惑をかけたことだし後々上に力添えを要請しよう。準・特務機関の名を少々使わせてもらっても罰は当たらない。
「ところで、豆腐はどこ行った」
官舎に落ち着いて、慧は尋ねた。社務所を出る時にはいた豆腐小僧が、鳥居をくぐったあたりで姿を消したのだ。晴真が平然としているので放っておいたが、室内に入っても現れない。
「だいじょうぶ、僕が呼べば出てくるよ」
「ふん? おまえ、妖怪を
「使役とか、そういう言い方しないでくれる? 僕たちは友だちなんだってば」
晴真は慧に対して怯えるのはやめたようだった。ぽんぽん言い返すようになって、その方がいいと喜之助は安堵する。
そうしていると少女というより、ちゃんと少年に見えた。だが表情はふんわりと柔らかく、幼く感じることすらあり、慧と一歳違いというのが信じられない。愛されて育った者と、憎しみにかられて長じた者の差か。
「あ、この家は風呂がないんだけど、体を拭くだけでいいかな」
喜之助が気がついて尋ねた。ここは下級
「そんな、もちろん。風呂なんてぜいたく言いません」
「んじゃ少しお湯わかして、たらいに汲むよ」
「僕やります。喜之助さんにそんな」
「いいよ。晴真くんは今、お客さんだから」
特殊方技部が使うために押さえているこの家は、人がいないことも多いので下男下女を置いていなかった。なのですべて自分たちでやらなくてはならない。夕食だって面倒なので町の一膳飯屋で済ませてきたのだ。「牛鍋……」と喜之助がうめいていたが、今はそんな場合じゃない。
恐縮しながら喜之助を見送った晴真は、やや遠慮がちに慧に視線をやった。
「――慧はさあ」
「なんだおまえ、俺のことは呼び捨てか」
喜之助さんと言っていたくせに。不機嫌なまなざしを向けられ、晴真は言い訳する。
「だって一つしか違わないもん。それに喜之助さんは大人だけど、慧はちょっと子どもっぽい」
「はん?」
こんな少年まるだしの晴真に言われて、慧の目に険が宿る。だがそれを見て、晴真は「ほら」と言った。
「すぐ怒るし、それが顔に出るでしょ。そういうとこ」
「――」
その指摘は正しいかもしれない。微妙に言い返せなくなり、慧はむっつりと黙った。だが晴真は慧をやりこめたいわけじゃない、訊きたいことがあったのだった。
「あのさ、慧って――僕と同じなの?」
おずおずと言われた内容に、慧は目を見開いた。こいつ――。
「それは、人でないモノの血を引いてるってことか」
「うん――なんか、そうかなって思ったんだ。違ってたらごめん」
「いや――」
まさか見破られるとは考えていなくて、慧は思わず小さく笑った。驚いたように晴真が目をぱちぱちさせる。その様子が愛玩用の犬猫のようだ、と慧はぼんやりながめた。いや、こいつは狐か。
「当たりだ。俺のは父親の方だけどな」
自嘲気味に答えた慧のゆがんだ笑顔を、晴真は見つめていた。その瞳にはかすかに悲しみの色があったが、慧は見て見ぬふりをした。
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