第4話 清めるとは

 めつ

 その存在を、魂を、消し去ること。


 けいはおのれの力をこめたあかい剣を振るい、怨霊や瘴魔しょうまを斬りはらう。たまにその力が強すぎて周囲の物まで壊しているが。

 喜之助きのすけ真言しんごんで怪異の力を削ぎ、動きを止めたうえで呪符じゅふを投げて祓う。

 怪異を前にそうするのは当然のことだ。


 怨霊は、人の怨みがったものだ。

 成仏させられればいいが、千差万別の想い残しになど対応していられない。慧は問答無用で切っ先を向ける。


 瘴魔は、うつつの生き物が成ったもの。元は獣や虫だ。

 長く生きたり多くの命を吸ったりして力を溜め、魔と成る。そのうちの、荒ぶりさわりをもたらす存在を、方技部では瘴魔と呼んでいた。


 現れると被害が大きいのは、瘴魔。

 それに対せないというのなら、晴真はるまをこの神社から無理に引き抜くまでもないかもしれない。


「晴真、おまえ――怪異を滅する力はないのか」

「だから! 滅するって? 消しちゃうの? なんでそんなことするの!」


 静かに訊いた慧に対し、晴真は食ってかかった。


「悪いことしてるのは、何かわけがあるんだよ。そこのところを清めればいいだけなのに、滅するなんておかしいってば!」

「――は?」


 こいつは何を言って、と慧は戸惑った。

 魔の側にも理由がある。それはそうかもしれないが、怨霊ですら話が通じるものばかりではない。そして元が人ではない魔は、よしんば言葉を解したとしても気持ちが通じるはずがなかった。


「そんなこと、できるわけないだろうが」

「で・き・る・の! 僕は、そうしてる!」


 食い下がる晴真は一生懸命すぎて、慧を怖がっていたことを忘れている。


 だって、これまでに会った怪異たちは皆、苦しくて悲しくて悔しくて憎しみにとらわれて、やり場のない怒りに駆られていただけだった。

 彼らから伝わる想いに「そうだったんだね」とうなずいてあげれば、「よしよし」となぐさめてあげれば、誰もが悪いものではなくなるのだから。


「なんだよ、それ」


 慧だって、そんな主張にすんなり引き下がれない。

 晴真と同じ半妖として。幼い頃から怪異と戦ってきた誇りにかけて。

 こんな奴の、甘っちょろい言い分を受け入れるわけにはいかなかった。


「――じゃあ、それを見せてみろ」

「え?」

「滅さずにどうするのか、俺に見せろと言ってる」


 低く、慧は詰め寄った。


「できるんだろ? どういうことなのかわからないから、俺の目の前でやってみてくれ」


 晴真の前に顔を寄せるが、口調は凄むでもなく淡々としていた。それだけに怖いんだよなァと喜之助の顔がひきつったが、晴真はそれを正面から見つめた。


「わかった。いいよ、やる」

「――おいおい、晴真くん」


 喜之助は心配して制止した。それは売り言葉に買い言葉というものだ。

 こう煽ったからには、慧はギリギリまで傍観を決め込むに違いない。この荒事に縁のなさそうな少年を危険にさらすのはためらわれた。


「止めるなよ喜之助」

「だけど」

「見極めろ、という指令だろうが」


 慧はとことん冷たかった。いつも以上に無表情で、貫くような視線を晴真にあびせる。ムッとにらみ返した晴真の膝に、隣からそっと手が置かれた。


「ハルマ、ぼくもいっしょだよ」

「とうふちゃん」


 愛らしく笑う豆腐小僧が、そこで晴真を見上げていた。


「おてつだいするね。ハルマはだれにもひどいことなんてしないんだ。このひとたちにもわかってもらわなくちゃ」

「……ありがとう、とうふちゃん!」

「え、いや、ちょっと待って。戦うんだよ? 豆腐小僧くん、崩れちゃったりしない!?」


 晴真の相棒として立候補した豆腐小僧だが、喜之助としてはその強さ――というか弱さが未知数で慌ててしまった。

 妙なことに巻き込んで死なせてしまっては寝覚めが悪いことになる。いや妖怪だから、死なせるじゃなく滅するなのか。よくわからない。

 混乱する喜之助だったが、晴真はふふ、と笑い、豆腐小僧と顔を見合わせた。


「とうふちゃんは豆腐じゃないから」

「ねー。ぼく、じょうぶだもん」


 晴真と両手を合わせてうなずき、気合いを入れる豆腐小僧。二人楽しそうに話しているのを見れば、妖怪も人も半妖も、線を引いて分ける意味はあるのだろうか。

 ならば怨霊は。瘴魔は。

 これまでためらわずに滅してきたモノたちのことを思い喜之助の胸はざわめいた。だが。


「んじゃ、豆腐も一緒でいい」

「慧――」


 何のためらいもなく了承する慧に、豆腐小僧は無邪気ににっこりした。


「ありがとう! ぼく、がんばるね!」

「とうふちゃんは強いよ。僕は知ってる」


 晴真がそう請け合って豆腐小僧の肩を抱きしめた。疑うことなど何もないと言わんばかりの穏やかな笑み。

 ――妖怪相手に何を。慧の苛立ちはつのった。




 ところで、怪異などそう都合よく現れるわけがない。毎朝昇る朝日とは違うのだ。いつどこに、と決まっていれば楽なのだが。


「そんなの僕、どうすれば」


 やる気満々だった晴真はハタとなった。横濱駅近くに慧たちが使える官舎がある。そこで共に待機しろと言われたのだ。

 それでは神職としての仕事ができない。これでも笹花稲荷を預かる身だ。


「馬ッ鹿もん! 誰もおまえに預けとらんわ」


 そう叱ったのは晴真の祖父、篠田晴道しのだはるみちだった。外出から帰ってみれば客が来ていて、孫がよくわからないことになっていた。今、事情を聞いたところだ。


「まだ宮司ぐうじを譲った覚えはないぞ」

「おじいちゃん、丸一日いないことだってあるくせに」


 晴真が文句を言う。

 最近では実質ここを管理しているのは晴真だ。おかげで氏子のみなさんと接する機会が多くなり、困り事を持ち込まれるようになり、解決するうちに「すごい巫女が」と噂が立ったらしい。


「では、お孫さんをお預かりしても問題ありませんか?」

「……いやまあ、実は困らないこともない」


 にこやかな喜之助のみならず、無愛想な慧にも気さくな笑みを向け、晴道は頭をかいた。


「今、この稲荷が存続の危機でなあ」

「ちょっと何それ、おじいちゃん!」


 それが本当ならサラリと言うことではない。晴真はガタリと身を乗り出した。


「僕、聞いてないよ!」

「言っとらんもん」


 晴道が飄々ひょうひょうと返し、慧ですら少し晴真に同情した。顔には出さないが。

 跡継ぎを自認する孫息子。その将来に大きく関わることなのだし、ひと言あってもいいのでは。


「あの、それはどういうことでしょう」


 まったくの他人だが黙っていられず喜之助が尋ねた。こちらとしても晴真に特殊方技部へ来てもらう可能性が捨てきれないので、事情は把握しておきたい。

 晴道は口をへの字にした。


「なに、ただの地上げさ」


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