第3話 狐と豆腐

「どこでどうしてだなんてことになった……」


 招き入れられたけいは目を細め、晴真はるまというその男をにらんだ。ふえ、と怯えた顔をされる。


「怖がらせてどーすんだ。この子のせいじゃないだろう」


 苦笑いでとりなす喜之助きのすけも、うっかりと言ってしまった。だが細身で綺麗なこの男、もう十八歳らしい。

 ただ、初手で板戸を外してこけた上、慧の胸板に鼻をぶつけて泣きべそをかいてしまった。それで二人から子ども扱いされるはめになっただけなのだ。


 篠田しのだ晴真。この笹花ささはな稲荷の孫息子だそうだ。

 顔は確かに少女のようだった。それに長く伸ばした髪を後ろでくくっている。だが白衣の上に履いているのは薄浅黄うすあさぎの袴で、「どう見ても普通に神職だろうが!」と慧は怒鳴ってしまった。それで晴真はすっかり慧を怖がっている。

 そんなところもなよなよと女っぽくて、冗談で巫女さんみたいだと言われていたのが曲がって伝わったのだろうか。


「なんなんですかぁ、あなたたち……」

「だから帝国陸軍準特務部隊、特殊方技部とくしゅほうぎぶだと言っただろう」

「そんなこと言われても、わかるわけない!」


 ぷん、と唇をとがらせ怒り顔をされても慧はびくともしなかった。じっと晴真を見つめ、感じ取ろうとしているのだ。

 こいつは――やはり、なのか。


「悪いね晴真くん。俺らは、ええと……人に悪さをする怪異をはらう仕事をしてる」


 にこにこと人当たりよく喜之助が話を引き取った。慧に任せたら喧嘩にしかならなそうだ。なるべく優しく話したのだが、晴真はサアッと顔色を変え、心もち後ずさった。


「え――僕を、祓いに来たの?」

「なんでそうなるの!?」


 喜之助は慌てたが、晴真の後ろ、部屋の隅の暗がりで気配が動いたのを慧は見逃さなかった。

 音を立てぬように荷の中の剣をまさぐりながら、晴真よりもそちらを注視する。視線に気づいた晴真はますます青ざめ、しどろもどろだ。


「いや、だって僕――狐の子だから」

「へ? あっさり白状する感じ?」

「やっぱり僕、殺されるんですね!?」


 拍子抜けした喜之助と、泣き声になる晴真。そして背後の闇はさらにゾワリとする。慧は射貫くような眼をそこに向けた。

 晴真がおろおろとまなざしを揺らす。後ろの何かと慧との間で困っているようだ。慧は片膝を立てる。


「問答無用で殺す気はないが、常闇とこやみにひそむのは何者だ。出て来い」

「出ちゃだめ! 逃げて!」


 ダン、と立ち上がる慧に、晴真が悲鳴のような声を上げた。

 決死の覚悟で腕を広げ、慧の前に立ちふさがる。だが慧はさやごと剣を持つ片腕だけで、あっさり晴真をはがいじめにした。反対の手をつかにかける。


「こいつを殺されたくなければ姿を見せろ」

「ふ……ぎゅぅ。はな、して」


 慧の腕の中でもがく晴真は、力ではまったく敵わない。ピクリとも動けずに泣きそうになった。

 間近に見上げる慧の顔は冷徹で、なのにチラとこちらにくれる涼やかな瞳が透き通っていて、見惚みとれた晴真はぽろりと涙をこぼしてしまった。視線を闇に戻した慧が、息だけでささやく。


「悪いようにはしない」

「え」


 カチリ。

 晴真の体のすぐ横で鞘が鳴った。意味がわからず、晴真がヒッ、と息を呑んだところで闇から可愛い声がした。


「やめてよう! ハルマは、ハルマは、とってもいい人なんだからあっ!」


 小さな影がスウと浮かび上がった。子どもの姿だ。

 頭には笠。その下のつぶらな瞳に晴真と同じく涙を浮かべ、手に持つ白い物がふるふると震え――。


「……え、何この子。いや知ってるけど、晴真くんの友だち?」


 茫然とした喜之助が、言いながら笑い出す。

 泣きそうな顔でそこに立ち尽くしていたのは、妖怪・豆腐小僧だった。




「とうふちゃんは、僕のいちばんの友だちなんだ」


 そうのたまう晴真に、慧はこめかみを押さえ目をつむった。どういうことだ。

 晴真の横でぺたりと正座する豆腐小僧は、その名の通り男の子の姿だった。盆に載せた豆腐を今は膝の前に大事に置いている。


 方技部で妖怪を祓うことは、あまりない。彼らは人間に害を為そうとせず好きに過ごしていることが多いから、放っておいていいのだ。妖怪は人の願いや恐れから生まれたものだから、というのもあるかもしれない。

 しかも豆腐小僧など、道端の暗がりに立っていたら怖いよね、というだけ。何なら気弱で、あなどられがちな妖怪でもある。


「ううん。とうふちゃんは優しいんだよ。僕の大事な友だちだもんね」

「ハルマ――」


 嬉しそうに微笑み合う、神職姿の晴真と豆腐小僧。

 なんだこの状況は。苛々し始めた慧を喜之助はなだめた。


「慧はもう少し我慢強くなれよ、話は順に進めないと。ええと、晴真くんは狐の子だと言ったよな」

「はい。母が」

「お父上は?」

「人です。この神社の跡取りだったんですけど――母の正体が露見して雲隠れしたのを追って、旅に出ちゃいました」

「うわ。純愛」


 喜之助は目を丸くした。物語ならそこは忘れ形見の息子を大切に育て、めでたし、じゃないのか。

 だが、ならば晴真はまさに半妖だ。人と狐の間に生まれ――妖怪と通じているのもその力のおかげ、ということ。


「念のため言っておくよ。俺たちは人にあだすもの以外は、祓ったりしない。ここに来たのは噂を聞いたからだ」

「うわさ?」

「妖怪を調伏ちょうぶくし、怨霊を成仏じょうぶつさせ、瘴魔しょうまめっする巫女がいる、と」

「……誰が巫女なの」


 むう、と晴真は怒ってみせた。まあ普通に少年ではある。男らしくは、ないが。

 巫女だと言っていたのは山代やましろ少尉だったが、指示した芳川よしかわ中佐からそう聞いたのだろうし、これは誰が悪いのだろう。

 冗談にもそんな風に言われないよう、晴真が体を鍛えるなりすればよかったのではないか。慧はぶしつけにじろじろとその細い体をながめた。喜之助は手で晴真に謝りつつ苦笑いだ。


「確かめたいのはそこじゃなくて。本当に調伏とかしてるのかってところなんだけど」

「……調伏っていうか。いたずらはだめってお説教はします。人を怒らせたらタヌキ汁にされちゃうんだからね、て」


 晴真は真面目な顔だ。説教の相手は狐狸こりのたぐいか。狐の血だからそんな連中とも普通に話せるんだなと慧もうなずく。


「成仏は……幽霊さんにも会ったことはありますけど、迷ってるのは可哀想だし助けるのが当たり前だと思うんです。でも滅するって何。そんなのしたことない」


 晴真は表情を硬くした。慧と喜之助は顔を見合わせる。

 滅したことはない、と? それは瘴魔には出くわしたことがないという意味だろうか。それとも滅する力はないというのか。

 どちらなのかで、晴真の処遇を決めなくてはならないようだった。


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