第2話 稲荷にいたのは

「神奈川というより、横濱よこはまだな」


 道行く人。出店の番をするおかみさん。客を待つ車夫。そんな連中と少し話して、吾妻喜之助あがつま きのすけはあっさり言った。問題の稲荷神社の所在のことだ。

 人あたりのいい常識人の本領発揮に芳川慧よしかわ けいは感心する。情報をつかむまで、あっという間だった。


「じゃあここから近いのか」

「おーう。まかせとけって」


 なんとも頼りになる。基本的に表情にとぼしく険のある慧ならこうはいかないだろう。山代やましろ少尉が「連れていけ」と名指ししたのも納得だ。元々よく組んで働いていたが、それを置いても適材適所なのだった。


 二人は蒸気機関車で横濱まで移動し、居留地ではなく関外かんがいの繁華な町にいる。

 人々に警戒されては困るので、今日は軍服ではなく着物を着ていた。彼らは生粋の軍人というわけではないので普通の短髪だし、横濱見物の遊客にでも見えるといい。

 だが剣と着替えををくるんでいる細長い包みをとがめられたら微妙なところだ。官憲が相手なら特殊方技部の肩章を出せば引っ込むだろうが。


「少し港から離れた丘だってよ。おおよその場所しかわからんが、行ってみりゃ何とかなるだろ。あ、その前に牛鍋ぎゅうなべでも食ってくか? やっぱり牛鍋はヨコハマだって言うから楽しみにしてたんだ」

「そんな宣伝に踊らされるな。品川でも横濱でも同じ商人が店を出してるだろうが」

「そうなの!?」


 お人よしの喜之助と、世をはすに見る慧。互いにおぎない合ってはいるらしい。

 先を急ぐぞと慧ににらまれて、すごすごと喜之助は歩き出した。食事ならば帝都を発つ時に握り飯を持って出ている。


「つまんないなあ。終わったら物見遊山してもいいか?」

「何しに来たんだ喜之助」

「慧はもっと心に余裕を持てって。でもさ……この仕事すぐ済むとは思えないんだよ、俺」

「そうだな」


 憂鬱そうに喜之助が言うのもさもありなん。

 指令は「巫女を確保し、その能力を見極めろ」なのだ。つまりその巫女さんを試し、相応の力があれば特殊方技部に囲い込めということ。いきなり話して応じてくれるとも思えない。


「慧に話が振られるってことは――ことなんだよな」


 やや気づかう口調で言われ、慧はうなずいた。その巫女に、半妖の疑いあり、なのだ。


 慧は、あやかしと人の間に生まれた。おそらくは。

 母親の生まれ育った山奥の村には山神がいて、その荒ぶる時には生贄の娘が差し出されるのが習わしだった。母は山神の元に送られたのだ。

 そこで何があったかはわからない。だが一年後、母は村に戻って来た。大きな腹を抱えて。

 食われることも殺されることもなく、だがはらんで帰った娘。いきさつをひと言も話さない妊婦を身ふたつになるまで、いや、子が生まれても、村人は座敷牢に閉じ込めた。

 生まれた男の子は何者なのか。山神の血の者なのか。おそれた村人は、子のことも遠巻きにした。

 殺すわけにもいかないが、関わりたくもない。最低限の世話を無言でされ、名も与えられずに育つ赤子。そんな噂がどこから届いたのか、手を差し伸べたのが芳川よしかわ家だ。慧と名付けてくれたのも「爺さま」――当主の芳川高聡たかさと中佐だった。


「こんな町中で、まだ半妖なんかが生まれるとはな。俺の場合は山奥の村だったが」

「お、おう」


 慧が出自について口にするのは珍しい。喜之助は少しひるんだが、わずらわしげににらまれた。


「別に秘密でも何でもない。周りが遠慮するから俺も言わないだけだ」

「そうかもしれないけど。俺はおまえが可哀想なんだよ、親から引き離されるとか」

「はあ?」


 痛々しげに慧を見る喜之助。え、そっちかよと慧は相棒の頭の中を疑った。

 芳川家にあってさえ、人ではないかもしれない慧を気味悪そうに見る者はいたのだ。方技部の連中も大方はそのように慧を遠巻きにしていると思う。

 そんな中、喜之助が孤児みなしごの境遇に同情しているとは、よもやよもやだ。


「……別に可哀想じゃない。父親も母親もどうでもいいだろう」


 ――むしろ、殺してやりたい。とは他人に言えないが。


「えええーっ! そんなの悪いじゃないか。ちゃんと産んでくれたんだからさあ」

「産んでくれなんて頼んでない」

「思春期かっ!」


 げらげらと笑われて、慧は不機嫌に黙り込んだ。喜之助は二つばかり年上だが、からかわれるほどの差でもない。自分などを産まなくてよかったのに、というのはほんの幼い頃から感じていたことで、若者特有の何かではないと思う。


「ええと、赤門の寺の方に曲がって――」


 喜之助はけろりとして歩みを進める。黙々とついていきながら慧は、探している巫女のことを考えた。

 稲荷神社にいるということは狐の子か。

 親狐のことは、どう思っているのだろう。




 ゆるゆると登った丘の上は畑と集落、雑木林ばかりだった。

 もう少し港側の丘には水道施設が作られ、師範学校や病院もある。だがここいらはまだまだのどかで――珍しい物といえば、牧場ぐらいか。

 居留地の食肉需要に応えるため神奈川県内では一気に牧畜が広がっていた。ここでも道の脇に柵が続き、向こうに牛が草をむのが見える。


「やっぱり牛鍋、食って帰ろうぜ!」

「おまえなあ……」


 喜之助ののほほんとした決意に、慧はさすがに苦笑した。この明るさには助けられているのかもしれない。

 慧の口の端に浮かんだ笑みを盗み見て、喜之助はしてやったりと空を見た。こいつはもっと気楽に生きればいいんだ。

 子どもの時分から殺気に満ちて怪異を斬っていたと年長者から聞いたことがある。そんなガキの成れの果て、可哀想がって何が悪い。


 喜之助は畑にいた男に稲荷の場所を尋ねに行った。もう、すぐ近いはずだ。

 待っている慧の元に初夏のさわやかな風が届く。が、家畜の匂いがした。くさい。

 これはどうせなら肉ぐらい食べなきゃやってられないなと慧も思った。占いなどをするならば精進潔斎も必要かもしれないが、慧たちがやっているのはどちらかといえば肉体労働だ。精はつけるにこしたことがないのだった。


「わかったぞ、あの竹林の向こうだとよ」

「よし」


 教えられた方に回り込むと、確かに細い鳥居があった。一礼し、端をくぐれば先には小さなお社。青々とした竹に埋もれるような質素な神社だ。

 手前の脇にある建物は社務所だろうか。二人はそちらに近づく。


「ごめんくださーい」


 誰もいないのかと心配するほど待たされて二人が顔を見合わせた時、やっと戸がガタリと鳴った。立付け悪くゴトゴトいう隙間から、ちらりと綺麗な顔がのぞく。これが探していた巫女か。


「はーい。は……うわあぁっ!」


 戸板がいきなり外れ、倒れてきた。戸を喜之助が、人間を慧が支える。そして慧は息を呑んだ。


「え……!」


 抱きとめた体はきゃしゃではあるが、しっかりと男だったのだ。


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