怪しの血を継ぐ者たちは

山田あとり

第1話 怪異を斬れ

 帝都某所。

 深更しんこうの闇に二人分の足音が小さく鳴った。走るに合わせてカシカシと揺れるのは腰の剣。

 板塀いたべいの続く通りはしん、としている。歩く者はおらず、家々は寝静まっていた。

 お屋敷が並ぶあたりとはいえ、ここらにはガス灯もアーク灯もない。星明かりだけが頼りだ。


 走るのは帝国陸軍の準・特務機関に所属する男たち。闇にもあやまたずに標的を追っていく。

 相手は人のような形に見える黒い影――怨霊だった。

 逃げる怪異がキイィーッと耳ざわりな怒りの声をあげる。

 ザン!

 影の頭のあたりから何かが伸びた。髪か。

 一人の剣がそれをいだ。あかい火花が散る。


「助かった、けい!」

「――さっさと済ますぞ」


 慧、と呼ばれた男は無表情のまま、追い詰めた怨霊を眼で射すくめた。相手は慧の手にある剣におびえている。ギギ、ときしむ声は呪いの言葉か。

 相棒の喜之助きのすけがすばやく回り込むと怨霊の退路を断ち、真言しんごんを唱える。


「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに――」


 同時に慧が緋い炎をまとう剣を振った。

 キヤァァァ――ッ!

 もやのような怨霊は、跳ね上げた慧の一閃に両断されて真っ黒にかたまり、ボロボロと崩れる。生ぬるい風がそれを散らし、消していった。

 ――そして、ドサガシャと重い音が道に落ちた。


「っ!! 慧ッ! またへいまで斬りやがって!」


 慧のさきうつつの物には触れていない。はずだ。

 だが怨霊の裏にあった板塀がスパリと斬れていた。崩れたのはそれだった。


「あ」


 無表情だった慧の動きがとまる。しまった、やりすぎた。


「――すまん」

「すまん、じゃねえよ。また山代やましろさんにネチネチ言われんぞ」


 上司の呼び出しを想像し、すでにウヘエと口をゆがめる喜之助だ。軍服の肩をすくめ、慧はむっつり黙り込んだ。

 慧だって物を壊そうとしてやっているわけではないのだが――。



 怨霊。瘴魔しょうま

 そんな怪異をはらうのが、芳川慧よしかわけいの役目だった。


 帝国陸軍、準・特務機関。特殊方技部とくしゅほうぎぶ。それが慧の所属する組織だ。

 聞いただけでは何をする部隊かわからないが、その任務はつまり、この日本をから守ること。

 明治の世になって二十年あまり、表向きには存在しないことになっている怪異だが、それらはいまだ闇にうごめいていた。





「――板塀のことは、揉み消しておいた」


 机に肘をつき、組んだ手にあごを乗せているのは山代少尉。三十代後半の物静かな男だ。

 執務室に入った慧は、直立不動で上司の薄ら笑いを受けとめた。


「あれは生糸きいと商人の家でな。すぐに直させると伝えたらペコペコしていたそうだ。おかみのご威光ってやつさ」

「お手数おかけして申し訳ありません」

「嘘だね。あれぐらい仕方ない、とか思ってるくせに」


 形式的な謝罪に、山代は視線をけわしくする。だが慧はしれっと無視した。わかっているならこんな茶番をさせるな。

 部下のそんな気持ちも見え見えなのだろう。山代は椅子の背にもたれて天井をあおいだ。


「きみが持ってるの、官給品の普通の剣だったな?」

「そうです」

「何で板がスッパリ斬れるのか教えてほしいんだが」


 板塀だけじゃない。慧はこれまでにも桜の大木だの、寺の瓦屋根の端だのを斬ってきた前科者だ。


「――そういうだから、としか」


 その答えに山代はハハハと乾いた笑いをもらした。

 特殊方技部には怪異と戦える異能がなければ配属されない。その中でも際立って特異なのが慧だった。

 他の者たちは結界、真言や呪符を用いて怪異を祓う。だが慧は、ただ剣で斬るだけでそれができるのだ。


「まあ働いてくれるのはいいんだが……」

「被害を広げるな、ですね」

「わかってるなら自重じちょうしてくれ」


 山代は頭を抱えた。部下に対し強く叱責するでもなく愚痴っぽいのは、軍人としてあるまじき姿かもしれない。

 だがここは陰陽寮おんようりょうの流れを引く部隊だ。軍人とは仮の姿と言っていい。


 占い、星見、暦を司る陰陽寮は明治三年に廃止された。

 しかし文明開化だからといって怪異がなくなるわけではない。人に害を為すそれらを祓う仕事だけは、軍部に紛れ込む形で続けられてきたのだった。

 部隊に所属すれば名目上は軍人。慧は軍曹ということになっている。山代は少尉だ。とはいえ便宜的に任官されているだけで、登用も勤務形態も内部の人間関係も軍隊組織とは一線を画していた。


「――ところで、芳川軍曹」

「は」


 呼び掛けられ、慧は姿勢を正した。

 

 特殊方技部にあって、彼の芳川という名を正面きって出す者は少ない。それは慧の生い立ちへの遠慮――あるいは畏怖から。

 わざわざ名を呼ぶとは、慧が芳川家に拾われた理由に関係する何かがあるのかもしれない。


「任務だ。神奈川への出張を命じる」

「かな、がわ」


 慧はきょとんとした。旧神奈川宿のことならば帝都からもすぐそこだが。それとも神奈川県西部の山地だろうか。


「芳川中佐殿からの命令でな」

「――やはり、そうですか」

「ま、身内とはいえ職務だ。俺が間にはさまるわけさ」


 慧の直属上司としては仕方がないのだが、勝手にやってくれというのが山代の本音だった。


 特殊方技部。通称〈芳川連隊よしかわれんたい〉。

 連隊長である芳川中佐は、慧の育ての親だ。年齢的には祖父と言った方がいいかもしれない。慧が十九、中佐は六十二。

 芳川家は陰陽寮の暦師こよみしを務めていた家だった。部署の廃止後に陰陽師おんみょうじたちをひっそりと保護し、あまつさえ新人の育成まで続けている。才を見出された慧もそうして育てられた。


「爺さまは、なんと?」

「その呼び方、仕事中はやめてくれ。俺が反応に困る」

「は。芳川中佐殿は、俺に何をしろと仰せでしょうか」


 言い直しても敬意は感じられなくて、山代はため息をかみ殺した。

 まあいい。しばらくはこいつも手元を離れるのだ。

 上司がそれでホッとするぐらいに慧は問題児だった。おもにやりすぎの破壊行動と協調性のない勤務態度で。山代は背筋を伸ばし、重々しく告げた。


「稲荷神社の巫女を探し、確保せよ。その異能を見極めるべし」

「――は?」


 慧は眉根を寄せて問い直した。またざっくりした指令だ。


「どこの稲荷です」

「うーん。神奈川宿から横濱港あたりの、どこかだな」

「……そんなもん、いくつあると思ってるんですか!」

「だーいじょぶ!」


 だんだん山代の方も受け答えが雑になってきている。さっさと追い払いたいのだろう。


「怪しいモノを使役する美人だそうだ。ちょっと聞き込みすればわかるさ。吾妻あがつまを連れてけ」

 

 ひらひら、と手を振られる。

 吾妻とは、板塀を斬った慧に文句を言った喜之助のことだ。常識的な男なので、慧のお目付け役なのだろう。

 そんなわけで、芳川慧は吾妻喜之助とともに出張することになった。


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