第58話 鉄は熱い内、揚げ物も油が熱い内に。
歪み取りの場合は明るい方がいいが、鍛冶作業の時は暗い方がいい。その方が熱せられた鉄の温度が色で判断しやすい。現実の鍛冶師の中には夜にならないと鍛冶作業をしない者までいる。
そして、当然の様にHTW内での鍛冶はVRだが温度帯での色変化を再現しており、色で判断する必要がある。精密温度表示などと言う甘えは許してくれないのがMZSクオリティである。
「と言っても後で要望と言う名のクレームの多さに折れて課金アイテムで温度が分かるスキル出してたけどね!」
クリンも課金してそのスキルをゲットしたクチだが、それはただのコレクター心理であり、当然の様に色の違いで温度変化を見分けられる様になっている。
十分炭が燃えた段階でナイフは炭に埋めてある。今回はそこまでブロアーで風を送っていない。余り温度を一気に上げ過ぎても鉄に良くないので、焼き入れと焼きなましを行う今回は、ゆっくりと熱を通していくつもりで火力を調整している。
前回の鍛冶作業で懲りたので、今回はヤットコや炭を掻き回す棒を使う際、手に布を巻きつけて水で濡らしてある。そして、なるべく炉に顔を近づけない様に意識はしているが、念のために顔にも水で濡らした布を張り付けている。
「流石に連続で火傷なんてしたくないもんね。今回はこれで何とかなるだろうけど、なるべく早めに糸造りして装備作らないとねぇ」
取り敢えず早急に手袋と、大事な所を守る褌の作成は急務と言える。別にショース(股引みたいな下履き)でもいいのだが、何故か褌に拘っているクリン君である。まぁ現代人感覚だと、何時までもフ〇チンと言うのは落ち着かないのかも知れない。
そうこうしている内にナイフが全体的に赤く色づいて来る。
「全体に暗い赤色……いや、予定よりもちょっと明るい……かな? この感じだと七百五十度辺りまで上がっちゃったか……」
鉄の種類や炭素含有量によって焼き入れ温度は変わる。それ以外でも焼きなまし後に求める性質でも変わって来る。
今回は前世の西洋鉄に性質が近いとクリンは感じていたので六百度から六百五十度位の温度で焼き入れしようと考えていたのだが、思っていたよりも熱の入りが良く、少し予定温度を超えてしまった様だ。
「う~ん……まぁ許容範囲かなぁ。今回は僕が打った鉄じゃないし、この温度で行って見るかぁ~」
鍛冶作業に絶対の正解は無い。鉄の性質だけでなく、各鍛冶師の流派によって適正温度は変わって来るし、求める性能でも変わって来るしその日の気候や環境でも微妙に差が出て来る物だ。
使う鋼材によっては、焼き入れ温度は八百度が常識と言う所もあれば、六百度近辺が良いと言う所もあるし、いやいや千度辺りまで熱する方がいいと言う所もある。また冷却方法でも温度は変わる。どれかが正しくてどれかが間違っている訳でもない。
自分が扱っている鉄の性質を見極め、何に使うのか、どういう性能を求めるか、どういう加工と冷却を行うかその塩梅で鉄の適正な加熱温度は変わって来るだけの事。
「それを選んでいくのが鍛冶師のセンスで、鍛冶作業の難しい所であり、最っっ高に楽しい所でもあるよねぇ、クフフフフフフフフッ!」
鉄フェチと言うか鍛冶オタクと言うか、余人には理解出来ない感覚にクリンは一人で笑い、ヤットコで暗い赤色に薄く発光しているナイフを掴むと、用意してあった、液体が満たされた冷却用の細長い素焼きの壷の中にヤットコの根元まで入れる。
直ぐにジュッと言う音がして、やや時間を空けてからボッと火が上がる。今回使った冷却材は水ではなく油、ラードだ。
百八十度程度に熱した油を使う事で、急激な冷却でありながら低温になり過ぎず、急冷による歪みや温度差による割れが起きにくくなる。
そして、この方法の利点は歪みや割れなどの失敗の抑制だけではない。一定温度まで急激に冷やされた後緩やかな冷却に変わる為に、中心がやや柔らかく外側が硬くなると言う、日本刀の作り方に近い性質を持たせられる事が出来る。
ただ、精度は水冷の方が断然良いとされている。温度差が最大では無いので大きく歪んだり反ったりする失敗が少なくなる代わりに、刃物としての性能はどうしても劣るとされている。
日本刀はあえて大きく逸らせる事で、水冷による効果を最大限に引き出した製法とされていて、歪みも叩いて直せるレベルに抑えていると考えられている。
要するに欠陥を承知で敢えて難しい方法でも性能を追求したので中々他国では真似ができない、と言うのが製鉄業界での定説である。
「ふぅ、変な音もしていないし、ヒビや割れた形跡もない……と。まぁ鍛え直しだからそうそう割れが入る事はないとは分かっていても、この瞬間はマジで緊張するよなぁ。HTWで鍛えた剣が、最後の最後この焼きなましでピンッとか音がして傷が出て使い物にならなくなった時はマジで泣けたもんなぁ、うん……」
鍛冶屋あるあるを思い出し、思わず安堵の溜息を吐く。
今回は完成品の、しかも鋳造量産品らしいナイフの鍛え直しだ。傷や隙間が出来ている様な物なら最初から破損していて弾かれている筈である。なのでここで失敗する可能性は極めて低い。
だが、いくらHTWで鍛冶の経験が多いクリンでも、粗悪品に近いナイフをただ打ち直す事などやった事が無いのでどうしても不安があったのだ。
ゲームの世界でならこんなナイフは鋳つぶしてインゴットにして素材にしてから鋳造なり鍛造なりしている所だろう。
最初から自分で鍛造した場合、傷や膨れに気が付かずにそのまま成形し、何日もかけて作成した鐵具が最後の焼きなましで傷が入ったり刃が割れたりしてしまう。そんな時はマジで膝から崩れ落ちそうになる。鍛冶屋あるあるだが正直勘弁して欲しい。
そんな悲しい過去を思い出しつつ、クリンはナイフを突っ込んだ壷から火が消えてからヤットコを開き中にドボンと落とす。そのまま、壷の回りに火のついた炭を持って来て囲み温度が下がらないようにする。
「このまま百八十度をキープして一時間。そしたら今日の作業は終わり。後は一晩放置して、明日に仕上げ研ぎだぁっ!」
炭の火を調整して、壷の中に先を削った木の棒を突っ込み温度を見ながら、これからの予定を思い浮かべて気合を入れる。
この木の棒からブクブクと泡が出れば大体百八十度である。つまり、天ぷらを揚げる時などの温度と同じだ。
そう、同じ温度なのである。そして、ブクブクと泡が出る木の棒と、そこから漂うラードの香り。
「……天ぷら……トンカツ……から揚げ……あぁ、食いたいなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
育ち盛りの上に欠食であった五歳児である。こんな物を見てしまえば嫌でも揚げ物が食べたくなって仕方がない。
「ぐぬぬぬぬぬ……だがイノシシ肉はとっくに無いしというかそもそも肉自体何も無いしパン粉も小麦粉も無い……くぅ……って、あ。そうだ、アレはあるっ!」
思いついたクリンは小屋への扉を潜って竈に向かい、貯蔵してあった芋を数個取ると皮目を軽く洗い調理ナイフで適当に細長くカットする。
それを手早く手製の素焼きの皿に乗せて、塩と一緒に鍛冶場に舞い戻る。勿論揚げるつもりである。
「折角油が適温なんだし、ただ待つだけじゃつまらないしね、うん。どうせなら利用しないと勿体ないよねっ!」
誰が居る訳でも無いのに、何やら言い訳じみた独り言を言いつつ、油の満たされた壷の中に芋を数切れ放り込む。途端にジュ~と言うそそる音が上がる。
「ああ、この音……そう言えばフライドポテトなんて、前世から数えてもう七、八年は食べていないんだよなぁ……」
病気の事もあり、この手のジャンクな食べ物は食べられなくなって久しい。揚げ上がりをワクワクとした様子で待ち、揚げられて浮かんで来たカット芋を先程の棒で摘まんで皿に移し、持ってきた塩をパラりと振る。
「ああ……ジャガイモじゃないけれども芋は芋。揚げたら旨いに決まってるよ……」
辛抱タマラン、と言った様子で「いただきます!」と叫んだ後、喜び勇んで芋にかじりつく。そして味わう様に何度も咀嚼し——
「……
盛大に顔を顰めた。
金属を冷却する為の油で、しかも金属を漬け込んだまま料理したら当たり前の話である。
「はぁ……食って食えない事はないけど……こりゃ罰ゲームだね……諦めて後で普通に竈で揚げようか……」
ブルーな気分になり、その後は大人しく温度管理をしながら一時間の冷却時間を過ごす、意外と貧乏性な行動を取りたがるクリン君であった。
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お読みいただき有り難うございます。
本作は、主人公であるクリン君は、何か物を作っている時が一番格好良く、中でも鍛冶作業をしている時が最高に格好いい、そんな思いで書き始めた作品です。
ですので、どうしてもこの鍛冶作業には力が入ってしまい文字数が多くなってしまいます。
作者自身、まさか歪みを取るだけの地味な作業に一話分も割く事になるとは思っても居ませんでした(笑)
少しやり過ぎな嫌いもありますが、そこを書いてこその本作。それがやりたいから書いた作品なので、読者の皆様には申し訳ないですがお付き合いいただきます(笑)
とは言え未熟な作者。どこまで鍛冶作業の魅力を表現出来ているのか甚だ不安な所では在ります。
クリン君と一緒に鍛冶作業を楽しんでいる様な、そんな気分を味わってもらえたらなぁ、と思う次第です。そうなってくれたらこの作品を描いた甲斐があると言う物なのですけれどもね。
あ、別に最終回ではないので(笑)そんな感じになっていますが違いますからね!
まだまだ話は続きますので、次回もお楽しみいただけたら幸いですm(__)m
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