第15話 唐突に訪れる変化の時。

 その日の夜。いつもの様にヘイロー少年に仕事を押し付け、いつもの様に怒鳴り当たり散らし、いつもの様に日が落ちて早々に眠りに就いた村長であったが、その日に限っては深夜だと言うのにやけに外が騒がしかった。


「うーむ……何だこんな時間に誰か騒いでいるのか……?」


 村長は不機嫌そうに呟くと、藁ベッドから起き上がり眠い目を擦りつつ窓に向かう。窓とはいってもガラスなどは無く、単に四角く切り取られた壁に落とし戸の様な板をくくり付けてあるだけだ。あくびを隠そうともせずにその板戸を押し上げる。


 今日は月が出ていなかったが、それでも思っていたよりも明るく見えた事に不思議に思いつつ、寝ぼけ眼を擦りつつ窓から顔を出し周囲を見渡す。


 村長宅と言う事もあり、周囲の家からは少し離れた所に建てられているが大きく孤立している訳では無い。少し遠いが夜でも向こうにある家は見えたし、その近くに2人程の、恐らく男性と思われる姿も見えた。


「こんな時間に騒いでいるのはあいつらか……うん?一人はボルカか?だがもう一人は……誰だ?見覚えが無いぞ」


 多少明るく周囲が見えるがそれでも夜が濃いこの村では少し離れたら顔など判別つかない。しかし、そこは小さな閉鎖的な村である。すべての住人は顔を見なくても立ち姿や歩き方などで判別がつく。片方は村長宅に一番近い家に住むボルカだと分かったが、もう片方に記憶と合致する人物はいなかった。


 そんな二人は何やら言い争っているようで記憶にない男の方は手に農具と思しきものをてにしている。こんな夜中に何でそんな物を持っているのか、一瞬不信におもったが、何にしてもこんな夜中に騒がれては迷惑極まりない、と口を開けて怒鳴ろうとした時。


 見覚えの無い男が手にした農具を見覚えのある住人……ボルカに向かって振り下ろした。


「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁっ!」

「!?」


 これまでボルカが聞いた事の無い様な叫びをあげたのにつられ、自分も悲鳴を揚げそうになり慌てて口を押えとっさに窓から顔を引っ込める。


 最初こそ喧嘩か何かかと思ったが、尋常では無い悲鳴、そして夜でも良く分かる位にボルカの身体から飛び散った何か——間違いなく血だろう——を見た瞬間、喧嘩などでは無い事を理解していた。


「人殺し……ワシの村で? 住民同士で? 馬鹿なっ! そんな兆候など無かったぞ!?」


 ここは辺境の更に端の小さな村である。閉鎖的な分身内の中は十分良好であり多少の言い争いはあるが殴り合いの喧嘩はこの村が出来てから起きた事が無い。


 その程度には住人同士の仲は良かった。まぁこの五年は捨て子の少年と言う例外的な存在が居るが。


 村長は一度引っ込めた頭を恐る恐る窓に、今度はそっと覗かせる。そして気が付く。夜なのに明るく見えたその理由に。


「燃えている……のか? ワシの村が!?」


 眼前のボルカの家こそ萌えてはいないが——畑の向こうにある幾つかの家屋が盛大に炎を上げているのが見えた。その時になって村長はようやく気が付く。先程の出来事が喧嘩の上の過失の殺人ではなく、遠くの家が燃えているのもタダの家事では無い事に。


 そして、その炎の向こうでうごめく幾つかの人影を見止める、やはり憶えの無い背格好に動き方をしている。そしてそれぞれに手に農機具の様な、武器の様な物を握っていた。


「まさか……野盗の襲撃なのか!? こんな夜中に? 奴ら正気か!!」


 村長が驚くのもその考えに直ぐたどり着かなかったのにも理由がある。この世界ではまだ照明はそんなに発達していない。加えてこの村は辺境の山の中である。


 そして、この世界には魔物や魔獣と言う存在が居る。夜行性の魔物、魔獣も少なくない。つまり夜は彼らの世界なのである。人間が気軽に動ける世界では無いのだ。特に森に近いこの周囲では殆ど自殺行為なのだ。


 この世界で盗賊が出没するのは日中か、夕暮れ間近であるのが通常だ。日が暮れると魔獣や魔物が活性化する為、日がある内に襲撃し日が落ち切る前に襲撃場所から離れ日暮れに紛れて追手を出させないと言うのが常套手段である。


 なのでこの国の最果てと言えるようなこの村でも、日中には畑仕事以外にも周囲を警戒する見張りが存在している。勿論夜にも見張りは立てているが、それは単に紛れて村に入り込んで家畜を襲おうとする魔獣対策であり、2人しか置いていない。


 それはこの村だけの話ではなく、この世界の多くの村がそうである。夜に民家を襲う野盗などまず居ない。人を殺そう物なら血の匂いを嗅ぎつけた魔獣、魔物が押し寄せて来る事もあるし、村から略奪した物を奪って逃げるにしても魔物達が跋扈する中を移動するなど自殺に等しい行為である。


 したがってこの世界では夜に警戒すべきは盗賊ではなく時々紛れ込む魔物達であり、大体は少し脅かせば逃げて行く程度の規模なのが通常なのである。


 どこかの転生少年はヒョコヒョコと夜の森をうろついているが、かなり特殊なケースである。元から飢え死にするか魔物に殺されるかの二択であり、日中にめぼしを付けて置いてその場所に神経を張り巡らせて向かい、魔物や魔獣の気配を感じたらさっさと逃げだすので何とかなっているだけである。


 最近は気配察知能力や隠ぺい能力が上がった為結構楽に移動できているが、当初の頃は昼の間に魔獣や魔物の痕跡がない事を事前にチェックしていたり、体臭消しの薬草を体に塗りたくったり泥の中にもぐってやり過ごしたり、試行錯誤を繰り返していたのである。


 そんな事情もあり、この世界で夜に野盗が現れるのは余程事前に準備がしてあったか、自滅覚悟でなりふり構わず襲ってきたかのどちらかしかない。


 こんな辺境の更に端の村を襲うのにそんな準備をしても、また一か八かで襲ってきたにしても、見合う戦利品が得られる訳が無いこと位見れば分かる筈である。こんな小さな村相手にそんなリスクを犯すなど村長が正気を疑うのも当然の話である。


「騒がしいねぇ。寝れやしないよ。こんな時間に何やっているんだいアンタ?」


 唐突に背後からかけられた声に、飛び上がりそうになる村長。再び上げそうになる声を手で押さえ、慌てて振り返ると眠そうに目を擦りつつ、寝室から出て来た妻が不機嫌そうな顔でこちらに近づいてきていた。


「バ、馬鹿! 大きな声を出すんじゃない!野盗だ、野盗が襲って来ているんだ!」


 慌てて妻に押し殺した声で言うが、彼女はあくびを噛み殺しながら、


「はぁ? 何を言っているんだい。こんな時分に野盗だなんて来る訳ないじゃない」


 眠そうな顔で「とうとう耄碌しはじめたのかねぇ」と口の中でぼやきつつ、開け放たれたままの窓の向こうを見やる。


「ヒッ!? か、火事!? アンタ、野党じゃなくて火事が……ムグッ!」


 妻が驚いて大声を出しそうになるのを村長が慌てて口を押さえる事で止める。


「だから大声を出すな、ただの火事じゃないっ! 盗賊が村の連中を殺して回って火をつけているんだ!」

「ころっ……!? 本当かい!? それに付け火だって!?」


「本当だ!今しがたボルカがやられた。そして村のあちこちで火の手があがっている!」

「そんな……こんな貧乏な村に夜中に火つけて押し入るなんて、奴ら正気かい!?」

「そんな事は知らん!いいから、兎に角静かにしろ!奴らがこっちに来るのも時間の問題だろう。今の内に金目の物集めて逃げるぞ!」


「逃げるって……村はどうするんだいアンタ!?」

「どうするも何もどうにもならん! こんな何もない村を魔物に襲われるリスクを承知で襲ってくる奴らなんてマトモじゃない。見つかったら間違いなく殺される、逃げるしかない!」


 村の事よりも自分の命を最優先させる村長だが、彼の妻もそれもそうかと慌てて頷く。そもそもこの夫婦に村への愛着など無い。


 開拓村など元から全滅と背中合わせであり有事の際は村長でも住人を見捨ててわが身を優先させるのはこの世界では普通の事だ。村の連中も元々は他の村や町で税が払いきれなかったり相続などで税を取られたくないから逃げ出した様な連中である。


 前村長がそういう連中を集めて出来た村である。見捨てる事に良心の呵責など最初から誰も持ち合わせてなどいないだろう。つまり村長だからと助けてくれる者もいないのだ。


 村長夫婦は床に這いつくばる様にして窓から離れようと移動を始める。と、その時窓から男達の言い争うような声が耳に飛び込んで来る。


「おい、本当に金目の物があるんだろうなこの村! どの家にも銅貨一枚もねえぞ! 家の造りだって下手したらウチの村よりもホロぞこれ!」


「知らねえよそんな事!! でも確かに聞いたんだ、この前来た商人の連中が最近この村の羽振りが良いって話していたのを!!」

「じゃあ何でどの家にも碌な物がねえんだよ!この家だって多少食い物が多くあった以外は何もなかったぞ!?夜中に人まで殺してんだぞ、割に合わなさすぎる!!」


「だから村長の家を探せっつってんだろ! 商人の連中が『山向こうの村にここ数年やたらと家畜や苗なんかを買い集めている村がある』って確かに言っていたんだ!鶏や山羊、牛までも買っているって! そんな村が貧乏な訳ないだろ! きっと村長が一人でため込んでいるに違いない、村長の家を探すんだよ!」


「んなこと言ったってどれが村長の家か分からねえよ! 何だよこの村は!? 普通は村長つったら村の一番いい所にでっかい家建てているもんだろうが! ウチの村もそうだろう? なのにこの村はどの家も殆ど掘っ立て小屋じゃねえか!! 区別なんてつかねえよ!」

「文句言っている暇があったら虱潰しに探すんだよ、見つからなかったら俺らはどのみち終わりだ! 飢え死にするか騒ぎに集まった魔物に食われるかだけだ。死にたくなかったら村長の家を見つけて金目の物を奪うんだよ!!」


 そんな怒鳴り合う声が聞こえ、村長は思わず冷や汗が噴き出す気分に陥る。横を一緒に這っていた妻も、ジロリと『アンタのせいじゃないか』と言う目で見て来る。


 思わず『ワシのせいじゃない!』と小さく呟く。風評被害もいい所だ、と思う。捨て子を拾った時の金を頭金にして、たかだか数頭の家畜と新たに開いた畑に植える為の麦の苗を買っただけだ。買い集める程の金額でも量でも無い。


 そもそもこの村は元から他の村よりも貧乏で、買った所でそれでも家畜の数は他の村よりも少ない。筈だ。


 苦い顔で床を這い、居間に使っていた部屋にたどり着くと、妻を急かして逃げるための荷造りを手早く始める。


「クソッ、何でわしがこんな目に……何が羽振りが良いだ、たかだか五年で金貨十枚位の取引だ、よその村は一年で金貨二、三枚の取引額はある筈だ! ウチが特別な訳じゃないだろう!」


 実際の所、金貨十枚と言うのは大金ではあるが、村の財産として見ればない金額では無い。ここ以外の村は普通に毎年金貨四枚五枚の取引はあるものである。


 単にこの村がこれまで銀貨単位での取引しかしていなかったのが、急に金貨を使いだしたので悪目立ちしただけであった。


「アンタ、目ぼしい物は詰めたけれど……本当に村の連中は見捨てるのかい!?」

「どうせ奴らもこの村に殆ど金など無い事などすぐわかる。何を勘違いしたか知らんが、そうしたら腹いせに皆殺しに合うのは目に見えている。ワシらに助ける手段などないわい。取り合えず近隣の村に逃げ込んでから討伐隊を頼むなりなんなりするのが現実的だ!」


 自分も荷物をまとめたボロ袋を肩に担ぎながらそう言う。最も、口では妻にそう言ったが彼の頭の中に助けを呼ぶ考えは最初から無い。どれだけ村人が殺されたのかはまだ分からないが、家屋まで燃えてしまったら村の再建は厳しい。金がかかり過ぎるし当たらな住人が来るとは到底思えなかった。 


『家畜や苗を買い集めたせいで大分目減りしたが、ワシ一人どこかの村で細々と暮らす分には十分あるが……こんな事ならワシの金で家畜なぞ買うのではなかったな……』


 村長の金でない上に村の運営(拾った)資金(金)である。しかし村長にとっては全て自分の金と考えているようだ。


「まだ気が付かれて居ないな。よし、今の内に裏口から逃げるぞ!」

「分かったよ、アンタ」


 妻と二人ずだ袋を抱えながら床を這うように裏口に移動する。と、


「なっ!?」

「ヒイッ!?」


 そこは既に赤々とした炎に包まれていた。


「馬鹿、何で火をつけた! この家はまだ探していないんだぞ!?」

「だから区別なんてつかねえよ! 印付けとけよ!!」

「テメエが片っ端から火をつけるから印なんてつけようがねえだろうが!」


 炎の向こうからそんな風に言い争う声が聞こえる。呆れた事に殴り合う様な物音もする。


「こ、こいつら……馬鹿過ぎじゃないか!? 盗みに来てなんで調べもしないで火をつけるんだ!!」

「あ、アンタどうするんだい!?」


「仕方ない、奴らがこっちに回り込んだのなら、向こうの窓の方には誰も居ない筈だ!ソッチから逃げる!!」


 来た方へ再び這うように戻り窓枠にたどり着く。周りを伺うが大分離れた所に人影と炎が見えるだけで人気は無い。


「よし、誰も居ないな。お前、先に外に出なさい」

「な、何言っているんだい、普通こういう時は男のアンタが先に出るもんだろう!」

「ワシが先に出たらお前ひとりでこの荷物を外に出せるのか?ワシが荷物を渡すから先に出て受け取るんだ!火が回る前に早くせんか!!」


 言われて、妻は渋々ながらも、一応は言葉に納得した様で太ましい体を難儀そうに持ち上げて窓と言う名前の壁の穴から外に出る。


「よし……出たよアンタ!」


 妻がそう言うと、窓から妻が詰めたずだ袋が放り出される。力を入れすぎたのか、勢いよく飛び出て来たそれを慌てて受け止めたために姿勢を崩し尻もちをつく。


「いたたたっ……力み過ぎだよあの人……アンタ? もう一つの荷物は? 早くお出しよ!」


 窓に向かって声を掛けるが、もう一つの荷物も、夫である村長も出て来る気配はなかった。


「アンタ?どうしたんだい、アンタ!?」


 少し声を荒げて問うが返事は無い。すると、


「おい見ろ!あんなところにババァがいるぞ。それに何かもっているぞ!!」

「本当だ!しかも他の連中よりは心なしか裕福そうな身なりしているぞ?」


 遠巻きに、複数の男たちが手に武器や農具やらを持って此方をみている。


「ヒッ!? 見つかった!!」


 妻は慌てて荷物を持ち上げて逃げ出す。と、男達は声々に、


「追え!きっとあいつは村長の妻か何かだ!持っているのも金目の物の筈だ!!」

「逃がすな!あの金が無ければ無駄骨になる!!」


 さながら野犬の様にがなり立て、村長の妻を追いかけ始めた。金を持っているとは限らないのだが、既に彼らの目にはずだ袋が金糸で出来た宝物袋にでも見えているようだ。どんどんと人が増え、既に野犬の群れが追っているが如き様相である。

 

「悪いな……残った金ではワシ一人が暮らしていくのが精一杯だ。せめて奴らを引き付けておいてくれ。そうすればワシが逃げやすくなる」


 表の喧騒を他所に、村長は床板を外して下に潜ると床下を這って外に向かっていた。最初から彼は妻と一緒に逃げるつもりはなかった。


 どうせ二人では逃げ切れないし、あの肥えた体の妻ではどの道山道を濾せるとは思えなかった。荷物も金の隠し場所を知っていたのは村長だけだったので彼の方の荷物に入っている。


 それなら最後なら囮に、と妻を追いやったのが功を奏し、手薄になった裏手の軒下から悠々と這い出した村長は、辺りを見渡しニヤリと笑った。


「やはり奴らはバカだな。まんまと囮に引っかかってくれた。お陰で十分に逃げられそうだ。」


 周囲に人影が全くない事に、一人満悦しながら荷物を引きずり出して肩に担ぐ。


 この調子なら悠々と逃げ出せそうだ、と村長は考えていたが、誤算が二つあった。周囲だけ見て頭上を見なかった事。そして、防災なんて何も考えていない古いボロ家は、彼が思っている以上に火の回りが早かった事。


 村長が歩き出そうとした直後、焼けた屋根により支えを失った外壁が音を立てて彼がいる場所へと崩れ落ちて行った。


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