第9話 転生幼児の日常、前編。


 現代人の感覚で言えば、五年と言うのはそんなに長い物ではない。だが決して短くもない。生まれたばかりの赤ん坊が自由に歩けてそれなりに言葉も話せるようになる程度には長い時間である。


 だが、とある神に誘われてホイホイ転生した赤ん坊にとっては、とてつもなく長い時間に感じられていた。


 最初の二年はそれこそ満足に動けなかったし、満足に喋れる様になったのも最近だ。意思疎通も上手く出来ない状況ではひたすらやる事が無い。


 また拾われた所もよく無かった。詳しくは知らないが、どうやらこの村は小さな国の辺境の更に端っこの国境付近の僻地にあるらしく、人口は百人にも満たないらしい。恐らくは四十人前後と言った所だろう。世帯でいえば十五世帯あるかないかだ。


 正確な数が分からないのは農奴の存在がある為だ。どうやらヘイロー少年もここに含まれているようなのだが、この村では農奴は人数に含まれていないらしい。


 十人前後が居ると聞いているが、特に首輪とか特別な刺青とかを付けられている訳では無く、普通の恰好……まぁ村自体が貧しいので全員みすぼらしい恰好をしているので、区別が付かないのが正直な所だ。

 ただ扱いがヘイロー少年と似たり寄ったりなので、何となく、


『あの人達がそうなのかな』


 とめぼしは付いているが、一応家も与えられているらしく仕事が多い以外は普通の農民とそんなに変わらない生活をしているので確証が持てていない。ぶっちゃけ彼らの方がマトモな生活をしているし飯も食えている。


 そんな辺鄙な村では村長の家に拾われたと言う事は、本来とても運がいい方である。筈だ。


 が、この家には殆ど物が無い。外からチラリと幾つか家の中を覗いた事があるが、多少広いだけで家具とか殆ど無いのは村長の家も同じだった。ネット小説の転生物に在りがちな、赤子時代から本で学習して知識チートをしたり、本棚に隠された魔導書で魔法の訓練をしたりとかそういうことをしたくても、そもそも書庫などと言う物が無い。


 辛うじて村人達の会話から言葉を覚える程度だ。文字は覚えていない。と言うかこの村で読み書きができる人間など居ない。村長自身も読み書きなど出来ない。


 それでよく務まるな、と思ったがこの世界では割と普通の事らしい。重要な事があれば国や領主の方から人が遣わされて口頭で伝えられ、必要があれば派遣された人間が自分で書き取るので、農民が文字を覚えても使い道が無いらしい。


 そんな環境なので、記憶を持ったまま転生した彼はヒアリングだけで言葉を覚えた後はただひたすら体が動く様になるのを待つしかなく、拾われて3か月も経てば喋れないだけで言葉は覚えてしまい、彼は暇を持て余す事となった。


 結果、仕事中に一人で置いておいても殆ど泣かないし、言って聞かせれば理解した様子を見せるとあっては「何て手間がかからない子供だ!」と重宝がられた。


 ある程度育ってからは教える間でもなく自ら歩く練習をするし、2歳になる頃には舌っ足らずではあるが、会話が成り立つ位には喋れる様になっていた。また、一度教えた事は直ぐに憶え、三歳になる頃には簡単な手伝いなどもするようになっている。


 これには村長一家も喜んだ。彼らも且つては自分達の子供を育てた経験があるが、動き出した位の赤ん坊がしそうな危険な事はしなかったし、転んで泣いたり悪戯をして困らせたりするような事は一度も無かった。村長夫婦にしてもここまで手間がかからない子供は見た事が無かった。


 ここまで物覚えが良くて聞き分けの良い子供なら、将来きっと立派な大人になり村を良くしてくれるに違いない。そんな期待を込めて村長夫婦は彼を大事に育てた。


「な~んて、甘い夢を見た事もありましたっけねっ!」


 当然ながらそんな事実はない。


 大体、ド田舎の閉鎖的な村の村長がそんな優しくて務まる訳が無い。ましてや言葉を喋る前に理解できる赤子など不気味以外の何物でもない。


 現実はいつでも酸っぱ苦いものである。


「ロー! ヘイロー! 何をサボっておる!! 早く水くみを終わらせんか!」


 村長宅の裏口から大声で怒鳴って来るのは、家の主であり育ての親でもある村長だ。まぁあまり親と言う意識は無いし、ヘイローと言う馬みたいな名前が自分の名前らしい、と認識したのも実は結構最近の事だ。


 何故かと言えば、この村にヘイローさんが結構いるからだ。8人位はそういう呼ばれている人が居たので、自分が呼ばれているのか他人が呼ばれているのか分からなかったし、短くローと呼ばれる事が多かったので、最初はローが自分の名前だと思っていた。だが、割と呼び方が変わり、デバローと呼ばれる事もあればティンガローと呼ばれたりイマイチどれが自分の名前なのか分からないでいた。


 ようやく、一番多最近はヘイローで安定してきたので、どうやらそれが自分の正式な呼び方らしい、と理解した所だ。


 「コレを水瓶に入れたら終わりですよ」


 そんな適当に名前を呼ぶ村長であるから、当然の様に扱いも適当だ。


 因みに、普通に会話しているが勿論日本語では無い。現地の言葉だ。転生物お約束の言語理解能力などではなく、普通に転生直後から聞いていたので普通に憶えただけである。なので教えてもらっていない読み書きは当然出来ない。


「ならさっさと瓶に入れないか、この愚図が! 終わったらさっさと薪を拾いに行け! いいか、サボるんじゃないぞ!!」


 村長は言うだけ言うと、サッサと家の中に戻って行く。その姿を見送ったヘイロー少年は諦めきった様に肩を竦め、ノロノロとした足取りで桶運びを再開した。


 現実などこんな物である。人よりも少し早く話せた所で元から気にしない。精々手間が省けてイイネ、程度だ。小さい頃から家の手伝いをするのも彼らからしたら当たり前の事。


 縁もゆかりもない赤子を拾って育てたのだ、還元するのは当然の事だし手間がかかる子供であったのなら即座に家から叩き出していただけだ。


「拾ってやって飯まで食わせているんだから、動けるようになったら働いて返せ」


 と言うのが村長の言い分である。


「いやいや、アンタ、セルヴァン様が入れてくれた金を取ったよね。十分補填されてない?」


 と言うのがヘイロー少年の正直な所だ。転生して五年経つが店など無く行商人も殆ど来ない僻地の村なので、未だに金の価値の事は分からないが、それでも金貨十もあって僅か数年育てただけで「無駄飯ぐらい」呼ばわりされる程に安い金額では無いと思うのは間違いでは無い筈だ。


 因みに彼がこの村で拾われた翌年には行商人が鶏や羊を連れて来て村長に受け渡していた。一体その金は何処から来たのか、と少年は言いたい。年に二回程度しか来ない行商人がそんな物を運んでくるなど、時期的にみてどう考えても金の出所は分かるという物だ。


 流石にそれを言うと「何故それを知っているのか」と突っ込まれ、不自然極まりないので黙っている。だが、それでもこの扱いは無いのではないかと思う。


「殆ど農奴の扱いだよね、これ」


 裏口を開けた直ぐの所にある瓶に水を映しながらぼやく。手間がかからず早くから立って歩けるようになった彼をこれ幸いとばかりに、二歳の頃には簡単な掃除をさせられ、三歳になった頃にはもう普通に雑用をさせられるようになっていた。


 年を追うごとに雑用の種類は増え、畑の草むしりから便所の汲み取りまで、村長一家の思いつくままの雑用を一日中させられていた。


 まぁ、百歩譲ってそれはいい、と彼は思う。捨て子である自分を拾って育ててくれて(一応は)いるのだから、雑用位はするのもやぶさかではない。だが、


「ああ……腹減ったなぁ……」


 コレが一番の問題だった。二歳位までは普通に食事が与えられていた。まぁ、元が赤子だったので食べる量などたかが知れている。だが雑用をするようになると、急に食事の量が減って来た。そして、仕事が増えれば増える程に食事内容が悪くなり量が減っていった。


「何だソレの世界だよね、意味解らん。普通は仕事をしたら飯が増えるもんじゃないか?何で逆に減って行くのよ……」


 前世で噂に聞いたブラック企業でももう少しマシなんじゃないかと思いながら、水を入れ終わった桶をその辺に放り出し、命じられた薪拾いの為にまた外に出る。三歳の時に元日本人の感覚で待遇の悪さも仕事をこなせば改善されるだろうと、色々と頑張ってみた事がある。今にして思えばコレがよく無かった。


 率先してやればそれは当然の義務となり目一杯頑張って仕事を片付ければそれが基準になる。だからと言って普通の仕事量に戻せばサボりと見なされ罰として食事の量が減る。


 ならば工夫をしてせめて楽に作業をしようとした。幸い、セルヴァンの計らいで、かつてよく遊んでいたゲームの、クラフトが得意なキャラクターをモデルにして作られた体は、ゲーム時のスキルこそ何一つ持っていなかったが、未熟な手指でもとても器用に出来ていた。


 単純な道具であれば簡単に作る事が出来た。この世界……はどうかは分からないが、この村には滑車という物が無かった。水汲みは全て桶に紐をくくり付けて井戸に放り込んでくみ上げるという、実に原始的な方法しかなかった。


 なので簡単な機構の滑車を作った。とは言えいかに器用とは言え三歳児。大した工作も出来る筈も無い。作ったのは丸太の半分に溝を掘り、そこをツルツルにして縄を掛けて滑らせるだけの、なんちゃってセミ滑車もどきだ。稼働などしないから厳密に言えば滑車ですらない。だがそれでもただ引き上げるよりは大分楽になった。


 次に作ったのは破棄された小さい割れ板を補強し、拾った枝と草を撚った縄で括りつけて取っ手にし、板の底にこれまた半分に割った丸太をくくり付けた、ソリ式なんちゃって大八車である。まぁ車輪ですら無いのでコレを車と呼んでいいか微妙だが、畑の雑草取りや小石拾いをさせられ、それを捨てに行く時にあると便利だとでっち上げた物だ。


 まともな道具など無かったし、あったとしても三歳児は使わせてもらえないだろうと、石を幾つか割りこすり合わせて多少切れる程度の物を作って木を削り、割れた面がザラザラした物をやすり代わりにして加工したりしたので、結構時間が掛かった。だがどれも三歳児には負担の多い作業を大分楽にしてくれた。


 だが、それはどちらも長くはもたなかった。それらの急造道具を使って居る所を村長が目撃し……


 どちらも秒で叩き壊された。


「木材で遊び道具を作るのがそんなに好きなら、これからは薪拾いも追加だ!」


 と怒鳴られ、罰として更に食事が粗末になり量も減り、新たに薪拾いの仕事が増えた。それまで寝床であった土間から叩き出されたのもこの時だ。


「頭悪すぎだろ、あの村長ジジイ……」


 所詮スキルも無い三歳児の手作りである。作りは雑だし完成度も低く不格好な木工細工だ。大人の目にはただの玩具に見えたかもしれない。だが、多少目先が利く者であったのなら、三歳児でもそれなりに仕事が出来る様な道具に目を付け、大人に改めて作らせるなんなりして、村に広めれば全体の作業効率が上がっていただろう。


 元々セルヴァンに前世の知識や技術をこちらでも広めてほしいと言われて転生した身である。拾われてからの待遇は最悪の部類であったが、それでも村に有益な物を作って見せれば、村長と呼ばれる程の立場なら村の為になる物を作れば喜んでくれるだろうし、多少待遇が良くなるかもしれない。密かにそんな期待もしていた。


 しかし、結果はコレである。ヘイロー少年が転生三年目にして村長に期待するのをやめた瞬間であった。


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