第6話 不幸な男の幸運な物語。


「一体何だってんだ、クソッ……何で俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ!!」


 男は荒れていた。端的に言えば自暴自棄になっていた。これまで培ってきたものが僅か一日で全て消え去ったのだから無理もない。


 男は若い頃はお世辞にも立派な人間とは言えなかった。素行は悪かったし捕まりさえしなければ、と犯罪行為紛い——恐喝や強請に近い行為——をした事は一度や二度ではない。そういう荒れた生活を送っていたから成人した後もマトモな仕事に就ける訳もなく、日雇いで小銭を稼いでは博打に喧嘩に、と悪い仲間と釣るんで騒ぎまくっていた。


 しかし、ある時日雇いの人足仕事でミスをし、積み荷を崩してしまい怪我を負う。怪我は回復したが以来足が少し不自由となった。


 日常生活では多少不便で済んだが力仕事が殆どの日雇いの仕事ではそうは行かない。程なくして仕事は紹介されなくなり、ツルんでいた仲間からも見放された。


 その時も今に違い絶望を感じたが、幸運な事にとある商会の店主に拾われ、雑用として雇ってもらえる事になった。当時の店主は「ただの気まぐれ」と言っていたが、体の不自由な自分を雇ってくれたこの店主に大いに感謝した。


 これまでの生活を改め、それまで毎日浴びる様に飲んでいた酒を止め、喧嘩を二度としないと誓い、動きの悪い脚を引きずって店の為に必死で働いた。最初は僅かな給金しかもらえなかったが、それでも店の為にと働く内、店主に気に入られて仕事を任せられるようになり給料も増えた。


 そして十年もする頃には店主の信頼も得られ、同じ店で働く女中と恋仲になり、数年後には結婚する事も決まった。それまでの素行の悪さから結婚は諦めていた所であったので、これには男も大いに喜んだ。全てが順風満帆。過去の過ちも拭い去られ、真人間として周囲にも見直されていた。


 と、思っていた。この時までは。


 三日前、店に出た男を待っていたのは突然の解雇だった。理由は店の金の横領であったが、当然男には身に覚えなどなかった。


 確かに若い頃は悪さを散々してきたが、店主に拾われてから一切の悪事に手を染めていない。何かの間違いだ、と必死に訴えたが店主に聞き入られる事は無く、店から叩き出される事になった。


 横領額がそんなに多くなかった事もあり、長年勤めていた恩情として衛兵に突き出される事の無い代わりに退職金は没収と言い渡された。


 当然女中との婚約も解消だ。


 余りにもの事に、当然食い下がったが結果は袋叩きで路地の裏に放り出されただけであった。その日は突然の出来事に茫然自失で一晩その場から動けなかった。


 朝になり男が借りていた家に戻りこれからどうするべきか考えようと戻ったが、既に家は解約され資財は全て店主によって回収されていた。


 男はこの時自分が全てを失い、未来が閉ざされた事を始めて実感した。懐に入れてあった金だけは没収されていなかったが、そんな金などたかが知れている。どんなに切り詰めても数日十日で餓死が待っている。


 住む場所も既に無く、新しく働き口を見つけたくてもこの不自由な足ではまともな仕事が有る筈も無く。また、昔の素行の悪さは良くも悪くも知られており、挙句の果てに横領の末にクビになった男などを雇うもの好きなど要る筈も無い。


 街を出て男の事を知らない街にでも行けば或いは働き口はあるかもしれない。だがそこまでの旅費には到底たりないし、何よりこの足では馬車でも使わない限り先ずたどり着く事は出来ないだろう。


 つまり。もう彼に残された選択は緩やかな餓死が万が一に掛け街を飛び出しての野垂れ死にの二択しかなく——要は男の人生は詰んでいると言う事だった。


「ふざけるなっ! 折角やり直したと思ったのに!! 真人間に生まれ変わると決めたのにっ! その結果がこれなのかっ!!」


 男は荒れ遊み自暴自棄となった。もうなる様になれ、とばかりになけなしの金で十年以上絶っていた酒に逃げた。悪所にある場末の酒屋の安い酒を有り金全てで買い、そのまま路地裏で浴びる様に飲んだ。


 酸っぱくて目に染みるような刺激のある安酒の酒精などたかがしれているが、それでも数日は食いつなげる金額全てを叩いて買った量の酒は、男を酔わせるのには十分であった。酔っぱらって野ざらしで寝て、そのまま凍死でもしてしまう方がいっその事、飢え死にや街外で野盗や魔獣などに襲われるより遥かにマシに思えたのだ。


「誰が今更横領なんてするってんだ! 不自由な体で職を失うような真似するわけねえだろうがよぉぉぉぉっ! ヒックっ!」


 酒瓶を煽り、気勢を上げて裏路地に捨てられたゴミを蹴散らしてフラフラと進む。既にどこをどう歩いているのかなど全く分かっていない。


「クソッ……アレだけ店の為に尽くしたのに……俺をハメやがったなっ! そうに違いない……そうに決まってる!!」


 今にして思えば色々とおかしかったのだ。気まぐれで拾ったと言われたが、男はそれを自分を助けた時の照れ隠しだと思っていた。だが長く働く内に聞きたくなくても色々と耳に入ってくるようになる。厳しい所があるが足の不自由な自分を雇ってくれる優しい店主。それが男の評価であったが、耳に入って来る店主の評判はあまりよく無かった。


 野心家で金にがめつくケチである——そんな風評が立っていたのだ。だが男はその風評を一蹴した。元々荒くれ者で不自由な体になった自分を、そんな人間が雇ってくれる訳が無いと思ったからだ。


 確かに最初の数年はほぼ無給で食事と部屋が与えられているだけマシな状態であったが、それも満足に働けない自分だから仕方ないと思った。


 それに仕事を覚える内に給金が上がる様になったし、新規の客を開拓したり新事業の提案をしてそれが当たると喜んであれやこれやと世話を焼いてくれた。店の女中も店主が紹介してくれたのだ。


 だが、やはり男の耳にも別の話が聞こえてくる。足が不自由な男を雇ったのは単に見栄を張る為だった、と。慈善家としての顔を見せて悪評を払拭したかっただけだ、と。


 そして、店主が紹介した女中は元は別の街の大店の四女で店が傾き、ほぼ売られる様な形で奉公に出されたと。仕事の付き合いがあったので見栄で雇ったと。


 そして——


 大して器量がよく無かったので厄介払いも兼ねて男に押し付けようとしたのだ、と。


 男はやはりこれらの風評は信じなかった。いや、確かに女中はそれ程美人では無かったが……それでも気立ては良かった。だから男は喜んで結婚の約束をした。


 それが突然解消され、男は店を解雇された。店を叩き出された後聞きたくもなかった話が男の耳にも飛び込んで来る。


 曰く、娘の親の店が持ち直し、再び大店としてその街で知られる様になった事を。そして、店主は数年前からその街に支店を出そうと画策して居た事を。


 最初は、それが何故自分が追い出される事になるのかと思っていたら、どうやらあの後すぐに女中の娘は店主の三番目の息子と婚約が決められたという。


 つまり、女中娘の利用価値が上がり男に与えるのが惜しくなったと言う事なのだろう。更には、男が新たに開拓した客や常連の存在も、店主には目障りであったようだ。このまま女中の娘と結婚されたら相手方の親を頼って顧客を連れて独立されかねない。店主はそんな妄想を覚えたようであった。


 何だそれは、と思う。確かに自分は客に可愛がられる様になった。だがそれは店で働く店員であったからだ。そんな事は一度も考えた事が無い。


 現に店から叩き出されてからのこの三日、世話になった客に何とか仕事を貰えないかと巡ったがどれもけんもほろろに断られている。所詮は体の不自由な男、店の看板が無ければ誰も相手などしてくれない。


 ありもしない恐怖で勝手に疎まれて利用価値があるからと婚約破棄させられ挙句に財産を奪われて店を放り出されるなど、納得いかないにも程がある。


 酒で濁った頭にもフツフツと怒りが湧いてくる。と、気が付かぬ間に少し開けた場所に出たようだ。どこだかは分からないが、あまり目立つ場所に出ると衛兵に捕まって、酒に酔ったまま死ねずに余計ひどい目に合いかねない。


 そんな事を考えながら引き返そうとした時。


「ヒック……ウィ~~~ッ……ん? 何だこの箱は?」


 男の目に、歩くのに邪魔な様に置かれた箱みたいなものが目に付く。まるでここを通るなとばかりに置かれたソレに、男の怒りは爆発する。


「こんな所にゴミなぞ捨てやがって、邪魔だぞ、うらぁぁぁぁぁぁっ!!」

 男は思いっきり箱を蹴飛ばす。思いのほか箱は軽かったようで、勢いよく飛んでいき向こうの水路に落ちたようだ。水に落ちる音と水しぶきが飛び散る音が男にも聞こえる。


 だが、軽い箱をそんな勢いで蹴れば、酔っている挙句に片足が不自由な男は当然見事にひっくり返り、地面に背中を強かに打ち付ける事になる。


「ゲフッ! ……クソぅ……どいつもこいつも、俺をバカにしやがって! 俺の何が悪いってんだチクショーっ!」


 地面に転がったまま大声で悪態を吐く。情けなさと悔しさと恨めしさがゴッチャになり、そのまま思いつく限りの罵詈雑言を大声で喚き立てる。だがそれも直ぐに意味の通じないただの罵りのオンパレードになる。


 そうやって、地面に転がったままどれ位喚き続けたのだろうか。


「もし……そこの人。大丈夫ですか?」


 まだ年若い、だが落ち着いた声が掛けられたのはそんな時だった。


「あん……? 何だアンタら? 俺の事は放っておいてくれ。どうせこのまま野タレ死ぬんだからな!見てんじゃねえぞ、バーーーーローーーー!!」


 見れば一組の男女が寄り添って男の方を覗き込んでいたが、男はかまわず喚き続けた。聞かれもしないのに、自分の身に降りかかった不幸を嘆きと共に吐き付けた。信頼していた店主に裏切られた恨み事は尽きる事なく口から出た。そして恨み辛みの言葉は結婚を誓い合ったのに顔も見せずに一方的に婚約破棄に同意した女中娘にも向いた。


 気が付いたら男は泣いていた。鳴きながら尽きる事なく店主や店の仲間、関係性を築いた常連客や新規客、昔の仲間への恨み言を並べ立てていた。


 寄り添うように立つ男女は、垂れ流されるその恨みつらみを嫌な顔せずに聞き続けていた。そして、男女の内の男性の方が、


「そうですか。それは辛い目に遭いましたね。実は私たちは別の街で店を持っているのですが……仕事が無いのなら丁度いい。私達の店で働きませんか?」


 そんな事を言ってきた。これには酒に酔って恨みを並べ立てていた男も目を丸くした。


「な、何でそんな話になるんだ? 俺はアンタ達に会うのは初めての筈だろ? それに見ての通り足が満足に動かないし、それに若い頃は悪さも散々した。そして俺は横領で首になったんだぞ?そんな奴を雇おうなんて、あんた気は確かか!?」

「でも、横領は無実で、貴方はもう悪行から足を洗って長いのでしょう?」

「それはそうだが……だが見も知らぬ相手だぞ?そんな簡単に信じられるかっ!!」


 男が言うのも当然だ。自分で言うのも何だが、男は見た目が良い方では無い。ましてや今は店と家を叩き出されてから着の身着のままで、更には安酒を大量に飲んで顔色は悪いしあちこち転げ回って恰好も大分薄汚れている。ひいき目に見ても相当な不審者か浮浪者だ。


 だが男性はそんな事を気にした風もなく、傍らの女性に何やら囁きかけ、女性の方もそれに頷くと二人ともに男に笑いかけてくる。


「私達は夫婦でしてね。先に話した通り別の街で店を持っていて、有難いことに店もそれなりに繁盛しているのですが、結婚してそれなりに経つのに未だに子供が出来ないんですよ」


 突然語られた脈絡のない話に、男は呆けたような顔で思わず聞き入る。


「不妊治療を受けたり、教会に行き神に祈りを捧げたりもしましたが、子供を授かる気配が全くなかったのです。最近は諦めて養子でも貰おうかと妻と話していた所でして」


 男性はそう言って隣の女性——彼の妻の手を取る。


「そんな矢先、いつも通りに教会で神に祈りを捧げた後、夢を見たんですよ。二人全く同じ夢を、ね。」

「夢……?」


「はい。夢で見たのはこの場所の景色です。この街には来た事が無かったのですが、何故か二人でこの場所の景色を夢で見たのです。そして二人共、この場所に出会いが待っている、そんな予感を覚えたんです」


 妻の方がそんな事を言い、男性が後を受けて、


「何故かは分かりませんが、その場所はこの街にあると何となくわかりまして。それで夫婦二人で商売の仕入れにかこつけてここに来てみる事にしたんです。そしたら——貴方がここに居たという訳です」


 何と答えて良いのか分からず、男は茫然とした顔で二人を見返すしかなかった。


「最初は子供を授かれるかもしれないと思いましたが……きっとそうではなく、貴方を救えと言うお告げだったのではないか、そう私達には思えるんです。ですから、是非私達の店に来て、働いてくれませんか?」


「い、いやしかし……俺はそんな夢なんて知らないし……大体助けてもらえるような人間では無いし……悪人だし、悪評だって立っているし……」


「関係ありません。貴方が本当に悪人であるのならあんな夢など見なかったでしょう。貴方にどんな悪評があろうが、貴方がやり直したいと思うのであれば何度でもやり直せます。それに、私の店はこの街から離れていますからね。悪評だってそこまでは来ません。来たとしても私が払拭して見せます。ですから……どうです?足が不自由なら馬車を借りれば良いだけです。仕事も足に関係ない仕事もあります。私たちの店に来て働いてくれませんか?」


 思いがけず掛けられた温かい言葉に——男はとうとう泣き出してしまった。


「まさか……まさか、そんな事を言ってくれる人がこの世にいたなんて……」


 つい一瞬前までこの世に絶望していた男に、望外に届けられた幸運。きっとこれ以上の幸運はこの先二度と訪れる事は無いだろう。そんな思いとと共に、男は男性の足に縋り付くようにして、


「働くっ! 働きます! 身を粉にして、命を懸けて働かせてもらいます!! この……この御恩は生涯忘れませんっ!! 一生を掛けてお二人に返させていただきますっ!!」


 泣きながら、慟哭の様な声で言うが男女は笑ったまま、


「そんな大げさな。私は単に仕事を失った人を雇っただけです。気にする事はありません」

「そうですよ。さぁ、立って下さいな。夜も更けて寒さも増しています。そのままではお体に触りますよ」


 女性はそう言って薄汚れた男の手を気にした様子もなく取ると立ち上がらせる。その事に男は余計に感激し、更に強く感謝の言葉を二人に伝えるのであった。


 そしてその時——誰の目に留まる訳もない、男が生来持っていたスキル「悪運」がスッと消え、代わりに「豪運」の文字と「インターセプタ―」と言う謎称号が浮かんで男に付いたのだが——ステータスを見る事が出来る者がいないこの場では、それに気が付かれる事は無かったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る