忍者

hororo

記憶共々ドロンしたい

 小学3年生の頃、親の財布からお金を盗んでいた。


 始まりはそう、いつだって些細なこと。


 その日学校から帰ると珍しく母の財布が居間に置きっぱなしにされていた。


 わたしは「なんて不用心なんだ。こんなところに置いて泥棒が来たらどうするつもりだ」と文句を言いつつ、財布の中から3000円を抜き取り部屋に逃げた。


 ……と、ここまで記したが信じてほしい。わたしにはお金を盗む気などまったくなかった。


 この時のわたしが望んでいたのは、サイフの中のお金がなくなったことに慌てふためく母だったのだから。

 神に誓ってそれだけなのだ。


 わたしの母は鷹揚おうような性格をしている。聞くところによれば立派なお嬢様学校の出らしく、忙しそうにしているところやあわてる様は見たことがない。


 確かに思えば小学1年生の頃、キャンプ場のテントの中でわたしがマジカルバナナ中にゲロを吐いた時も母は冷静に対処していた。

 突然のゲロにも動じる様子はなく、当時のわたしは母はよっぽどゲロ耐性の高い人間なんだと思っていた。


 おっとりとしており、品のないところなど1度も見たことがない。

 前に家に入って来たムカデに奇妙なタップダンスを見せつけていたことはあったが、パニックにおちいる様もその程度だ。

 そんな母の慌てふためく姿は子どもながらにどうしても見たかった。


 要はいたずら心からだったのだ。


 母が焦る様子を十分に見納めたところで「じゃじゃ~ん。実はわたしが持ってました~」なんて和ませる気でいた。


 だが結論として母はお金が盗まれたことに気付かなかった。


 思い返せば昔から母はどこか抜けていた。

 昔、キャンプ中にテントの中でゲロを吐いた時も、母は冷静にテントの、床のゲロをタオルで拭いた後で、そのゲロまみれになったタオルでわたしの口元を拭く……もといゲロを塗りたぐるという、悪魔でもやらない謎ムーブを笑顔でやった女なのだ。


 リアクションのない母に落胆する一方、意図せずお金を手にしたわたしは人知れずそのスリルに取り憑かれていた。


 お金を盗んだのは母を驚かせること。だがその副産物である「バレたらどうしよう」というハラハラ感に、わたしはこれまで経験したことのないくらいに興奮していた。


 それはまるで暗闇で息を潜める中、扉1枚挟んでかくれんぼの鬼が扉を開け、そして今にも顔を覗かせる……そのすんでのところで引き返すような、それに似た緊張感にわたしはハマったのだ。


 その日からだ。

 わたしは隙あらば親の財布からお金を盗むようになった。

 10円、100円、1000円……。

 財布から盗む額なんてどうでもよかった。

 ただ盗むというスリルが欲しかった。


 盗む度に徳と引き換えに得た成功体験は、間違えても就職活動の「学生時代に力を入れたこと学チカ」では話せないが何物にも代え難い存在だった。


 ある時は暗所で、ある時は音に気を払い、またある時は颯爽と盗みを行なう。

 あの頃のわたしはさながら忍者だった。


 ……のちにこの話を2つ歳の離れた姉にしたところ「それって忍者じゃなくてただの泥棒じゃん」と笑われた。




 人を泥棒呼ばわりするのは最低な行為だ。




 さて。当時のわたしの忍びとしての活動は毎日あった。

 普通の人であれば間隔を空けて盗むだろうがわたしは違った。

 月曜から日曜まで、毎日盗む。


 そうして盗んだお金は日常使いしている財布とは別の、丸いコインケースに隠していた。中に仕切りもない半透明なコインケース。

 その中のお金は使用が目的でないこともあり、3ヶ月も経たずして2万円を超えるのだった。

(ちなみに当時のわたしのお小遣いは半月ごとに500円でした)




 そんな日が続いた、ある夜のこと。

 塾から帰宅すると母は居間へとわたしを呼び付けた。

 促されるまま母の向かいに正座をすると、母はわたしとの間に硬貨でパンパンに膨らんだ財布を置いた。

 

 それは紛れもなく、わたしが机の中に隠していた財布だった。

 リスの頬袋のように丸く、パンパンに膨れ上がった財布。

 そんな財布に視線を落として母はうれうように言った。


「私ね、最近お金がなくなるから何でかなって思ってたの……。もしかしたらね、家の中に犯人がいるのかなって……」


 わたしが「そんな。それじゃあ、わたしたち家族の中に泥棒がいるってこと!?」と言う間もなく、




「パァーン!」




 わたしは頬を叩かれた。


 いや、正確にはパンパンに膨らんだ財布で頬をビンタされたのだ。後にも先にもパンパンに膨らんだサイフで頬を打たれた経験はこれだけだ。


 叩かれたその衝撃で財布の中の硬貨は飛び出し、飛び出した硬貨はまるでショットガンの弾のように壁に当たり、ジャラジャラと音を立てて落ちた。


 これまで聞いたことのない大音量のジャラジャラという音と頬の痛みに、わたしは一瞬こそ、自分の顔に使われている大事なパーツが衝撃で吹き飛んでしまったのではないかと心配したがそれは違った。そしてそれだけがこの話の唯一の救いだ。


 一瞬間を開けて、母は怒りながらに号泣した。


「このバカーっ!」


 前にわたしは「笑いながら怒る人」という芸をテレビで見たことがあるが、泣きながら怒る人を見るのは母が初めてだった。


 そんな母の叫びか、あるいは大量の硬貨が落ちる音を聞きつけて父がやってきた。


 いつもなら事情も聞かずに決まって母の肩を持つ父だが流石にこの時ばかりは違った。


「お前なんてことしたんだ!」


 我が子に手を上げた母にそう怒鳴り、その後すぐにわたしを突き飛ばしたから……、いや、あれはわたしに言ったんだ。


 両親に怒られたその日を境に、わたしはお金盗みから足を洗うのだった。




 それからしばらくの間、わたしにお小遣いという概念がなくなったのは言うまでもないだろう。


 また、それを期にわたしは真の忍者となった。

 おとなしく、世を忍ぶ存在に……。




 あれから十年近く経った。

 未だに姉はこの一件を昨日のことのにように話して、わたしや母を茶化してくるのだから困る。


「ほんと、ウケるよね。2万円も盗まれてたのに気付かないなんてママどうかしてるよ」


 まるで自分だけは被害に遭っていないかのような口振りなのだから確かにウケる。


 しかしそれを言っては激昂げきこうするのが目に見えているので、わたしは今日も耐え忍ぶ。

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