俺の大好きな先生の話を聞いてください
縦縞ヨリ
俺の大好きな先生の話を聞いてください
俺が、高校時代に大好きだった先生の話を聞いてください。
その先生は世界史の先生で、背がひょろっと、しかしとても大きくて、いつも教壇を右往左往する度、大きな足からドタドタと大きな音が出ていたのを覚えています。
四十路で、背中は広くて、でも痩せていて華奢で、大抵ヨレたポロシャツとチノパン。腰が細くて、でも元々の骨格は大きくて、なんだか不思議な雰囲気の、声の大きな先生でした。
独身、一人暮らし、両親は他界して、遺してくれたマンションがある為か、ギャンブルが大好きでした。とにかく競馬に目が無いらしく、週末のレースで負けていたら、月曜日に真っ青な顔ですぐ分かる。そんな先生でした。
オシャレな人では無かったのですが、鋭利な輪郭で、体格がとても好みで、色っぽくて、俺は世界史の授業が楽しみで。でも当たり前ですが誰にも言えずに、先生が大きな足の靴音を響かせ右往左往しながら、カンカンと音を立てて板書をするのを見て、そうして好きだなあと思って切なくなる。俺の高校時代の恋愛の話と言えば、本当にそれだけ。その世界史の先生だけでした。
一度だけ、たまたま日直だった日に、先生のお手伝いを頼まれて、資料室で二人っきりになった事があります。
「ゆーやんはさぁ」
ゆーやんは先生の愛称です。
「生徒を好きになっちゃったりしないの?こんだけ女の子いたら毎年可愛い子居るじゃん、たまに好きになったりする?」
こんな事を聞いても悲しくなるだけなのは分かっていたのですが、心のどこかで「気付いて」と願っていたのかも知れません。俺のセクシャルはバレたらおしまい。きっと友人達も受け入れてくれないだろうと思っていましたし、実際誰にも言いませんでした。
ゆーやんは飄々としていて、恋バナを振っても全くいつもと変わりません。
「教師と生徒でなんかあったらクビ。生活できん」
答えになっているのかなっていないのか。
「そーゆーもんかぁ」
上手く誤魔化された感もありましたが、ゆーやんはあくまで淡々として、そして日直の仕事もすぐ終わり、俺は「ゆーやんじゃあね」と挨拶して資料室を出ました。
なんと言うか、優越感とも違う、ある種のフラットな気持ちが、胸の中を渦巻きます。
俺が例え女の子でも、ゆーやんと手を繋いだり、キスしたり、それ以上の触れ合いをする世界線は無い訳です。
俺は何だか少し嬉しくて、それ以上に惨めになりました。女の子だったら、気持ちを伝えて、この思いを砕く事くらいは出来たんじゃないかと思ったら、それはもう、たまらなく惨めでした。
俺は卒業して、専門学校に通いました。毎日私服だとそれなりに垢抜けてくるもので、鏡を見るのも好きになりました。自分を良く見せようと思うのは楽しくて、でもたまに、それとは全く正反対のあのヨレたポロシャツの背中が、たまらなく恋しくなりました。
俺はそうして2年生になる前の春休みに、どうしても先生の顔が見たくなりました。
「ゆーやんだ、久しぶりー」
ゆーやんは、俺の事なんて覚えて居ないでしょう。私服ですし、自分なりにちょっと見た目に気を使っているので、高校生の頃とも大分雰囲気が違っていたと思います。でもゆーやんは時が止まったみたいにいつも通りの格好でした。
「なんだ、卒業生か」
相変わらずテンションはフラットで声は大きく、見上げる程大きな身長に、ダサい銀縁のメガネ。
俺は今日、惨めな自分を卒業しに来ました。この思いを、告げて、心臓を砕く事にしたのです。気持ちが悪いと言われても、怖いと恐れられても、もう関係ありません。俺はもう、ゆーやんの生徒では無いし、今日立ち去れば生涯二度と会うことも無いのですから。
不思議と笑顔が零れました。自然、声が出ます。
「ゆーやん、まだ結婚しないの?どうせ一人なら俺なんかどう?俺ゆーやん好きだし」
さらっと言って、胸のつかえが取れたというか、喉に刺さっていた小骨が取れたような、さっぱりした気持ちになりました。
あーあ、言っちゃったなあ。
「はは」
ゆーやんが笑ったのを初めて見ました。目尻の皺が深くなるのが、本当に色っぽくて素敵だと思いました。
でも俺はこっぴどく罵られる覚悟をして、お腹の当たりに力を込めます。罵詈雑言で、泣かないように。
ゆーやん、ゆーやん、俺はずっと、三年間ずっと、ゆーやんが大好きでした。
「ギャンブル好きな男は辞めておきなさい。
人生捨てる気になったらまた来なさい」
目尻に少し皺を寄せたまま、ゆーやんはそう言って、思いの外優しい顔で。
俺は。
少し息を飲み、目の奥が熱くなるのを耐えました。
ゆーやんは俺が、ゆーやんという男の人を好きな事を否定しませんでした。
そうして自分のギャンブルに非がある事にして、極めて優しく振ってくれました。
「うん、わかった。ゆーやん、じゃあね」
俺はあの惨めな高校生の殻を脱ぎ捨て、心臓は砕かれる事無く、むしろ暖かいもので包まれた様な気持ちで、かつての様にゆーやんに手を振りました。
「ゆーやん、またね」
そう言ったら、ゆーやんは俺を覚えていてくれるでしょうか。人生はまだ捨てないけど、いつかそんな日が来るかもなんて、思ってくれたらいいなと思います。
そうして、しばらくして忘れても良いから、いつか、ほんの些細なきっかけで、思い出してくれたら良いな。
「じゃあね、峰岸」
衝撃で、せっかく温かくなった胸が張り裂けてしまうかと思いました。
名前なんて、覚えてくれている訳が無いのに。担任でも無く俺はただの、目立たない生徒でした。
「また来なさい」
あなたの一言で、胸どころか、身体ごと全て引き裂かれてしまう。
手を振るゆーやんに一度頭を下げて、俺は少し歩いてから、廊下を走って、めちゃくちゃな気持ちのまま、必死に外に出ました。
俺とゆーやんはもう教師と生徒じゃありません。
たとえ何があっても、ゆーやんはクビになりません。相変わらず世界史の先生をしながら、週末はお馬さんに一喜一憂するでしょう。
「……すごい破壊力だ……」
俺は校門を出てやっと立ち止まり、ゼイゼイ息をして、真っ赤になった顔に手をあてました。
俺が人生を捨てる気になって、また会いに行った時、ゆーやんは果たして、俺とどうなる気なのでしょうか。
俺はとにかく、専門学校を無事卒業する事を決意しました。そうして就職して、自立していっぱい稼いで、ゆーやんが 週末にギャンブルですっからかんになっても、笑い飛ばして飯を奢れる様に。
学校を振り返り、心の中で宣戦布告します。いつかは異動する事もあるでしょうが、世は大SNS時代、探すなんて造作もないでしょう。
見上げれば、遅咲きの桜がいくつか花を付け始めていました。
「また来るね、ゆーやん」
あと何回か桜が咲いたら、また、必ず。
終
俺の大好きな先生の話を聞いてください 縦縞ヨリ @sayoritatejima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます