第76話

 金曜日の夜、飲み始めて小一時間くらい経ったところでスマートフォンを見ていた氷見さんが「あ、もうそんな時期か……」と右隣の定位置で呟いた。


「どうしたの?」


「近くでイルミネーションやってるみたいだよ。日本最大級らしい」


「何をもって最大級なのやら……」


「だよね。何にも書かれてない、薄っぺらいキャッチコピーだ」


 氷見さんは冷めた目でスマートフォンをカウンターに置き、焼酎のグァバジュース割りを飲みながらまたスマートフォンに目をやった。


「ね、砺波さん」


「何?」


「気にならない? 何が日本最大級なのか」


「絶対ショボいでしょ……」


「気になるなぁ。別に砺波さんとイルミネーションを積極的に見に行きたいとかじゃないんだけど、何が日本最大級のイルミネーションなのか気になるなぁ」


 氷見さんがチラチラと俺を見ながらそう言う。


「検索すれば出てくるんじゃない? あ、問い合わせフォームもあるよ」


 氷見さんはなぜか頬を膨らませ、黒部に会計の合図を送った。


「砺波さん、そういうとこ。ほら、確認しに行くよ」


「イルミネーションは見たくないんだよね……?」


「全然見たくないし、気になってないよ〜」


 氷見さんは言葉とは裏腹にやけに楽しそうにはにかみながらマフラーとコートを着込み始めた。


 ◆


 やってきたのは居酒屋から歩いてすぐのところにあるエリア。オフィスビルや商業施設が立ち並び、普段から夜景スポットとして人気の場所。


 そこにイルミネーションなんて要素をトッピングしたら人出がとんでもないことになっていることは容易に予想ができたのだが、二人でとんでもない量の人を見て呆然とする。


「に、日本最大級の人出……?」


 俺がそう言うと氷見さんも頷いた。


「だろうね。すっごい人だ。折角だしちょっと見てこうよ」


 既に『日本最大級の理由を見つける』という目標は達成済みなのだが、氷見さんは俺と腕を組んで歩き始める。


「う、腕組むの?」


「周りの人も皆やってるよ? 擬態だよ、擬態」


「誰から隠れてるの……」


「いや、ほら。私って一応有名人だし?」


 氷見さんがドヤ顔で冗談っぽくそう言った。有名なのは事実ではあるけれども。


「誰かに声かけられたことあるの?」


「んーっ……はぁ……氷見涼ねぇ……ふーん……氷見氷見氷見……」


「気づかれたいの!?」


「ふふっ……全然。むしろ2人にしてくれーって感じ」


「絶対にここに来るべきじゃなかったね」


「じゃ、どこに行く?」


 氷見さんがじっと俺の目を見ながら尋ねてくる。


「外は寒いしここは人が多いし……暖かくて人の少ないところだよね。それと静かなところ」


「うんうん。それでそれで?」


 条件を挙げたもののそんな都合のいい場所が――交差点の向こうに1軒の本屋があるのが見えた。


「……本屋?」


 氷見さんがずっこける。


「ふふっ……ま、確かに暖かくて、人が少なくて静かだね」


「氷見さん、どこか他に心当たりがあるの?」


「うん。他にもあるよ。けど……今日は混んでるかもね。金曜だし。イルミネーションだし。さて、どこでしょうか」


 氷見さんがニヤニヤしながら尋ねてくる。


「……温泉?」


 氷見さんが笑いをこらえきれずに吹き出す。


「そういうとこ、いいよねぇ」


「まだある……?」


「あるある。ま、けどここがいいや」


 氷見さんは空いているベンチを見つけ、俺の手を引いてベンチに座らせた。


 お尻からも冷気が伝わってきて、2人で身を寄せ合って寒さに耐える。


「うぅ……寒い寒い……」


 氷見さんが腕に抱きついて身体を擦り寄せてくる。


「どこか建物に入る? まだカフェくらいならやってそうだよ」


「うーん……カフェでもこのくらいくっついていいなら」


「ダメだよ!? そんな人みたことないでしょ!?」


「私が開拓者になる」


 氷見さんが胸を張る。


「変なところで頑張らないでよ……」


「じゃ、ここでいいや」


 氷見さんはそう言うとじっとイルミネーションを眺め始める。薄暗い中で氷見さんの目が輝いているのが分かる。髪の毛にも背後にあるイルミネーションの光が反射している。


「好きなの? イルミネーション」


 氷見さんはイルミネーションに視線を送ったまま「難しい質問」と答えた。


「難しいの?」


「うん。だってイルミネーションを否定することは自分を否定することだから」


「そんなにリンクしてる!?」


「だって、イルミネーションは電飾の集合体でしょ?  デジタルの絵は画素の集まり、絵の具は粒子の集まり。だから似てるなって思って」


「なるほどなぁ……」


「それに私達だって分解していけばただのタンパク質だよ。つまり、私はイルミネーション」


「結論がすごすぎない!?」


「砺波さんもイルミネーションだよ。いつもキラキラしていて」


「別に電球とかは身体についてないけどなぁ……」


 念の為に自分の身体をチェックする。当然、光るような器具はついていない。


「ふふっ……そういうとこ。ま、見える人にしか見えない輝きだから。こういうのは」


「へぇ……」


「砺波さんはどう? 私はキラキラしてる?」


「してるよ。さっきもすっごい目が綺麗だった。キラキラしてて」


 イルミネーションの光を受けて反射していただけ。


 だが氷見さんは妙に照れながら俯いた。


「そ、そんな……はっきり言われると照れるな……」


「髪の毛もすごかったよ」


「……ん? 髪の毛?」


「イルミネーションの光を反射してキラキラしてて……あ、あれ? そういうことじゃない……?」


 氷見さんは頬を膨らませ、そういうとこ! と言いながら俺の脇腹を小突いてきた。


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