第68話
台風の中、氷見さんと宅飲みをした翌朝、頬に何か柔らかい感触があって目が覚めた。
目を開けると普段と景色が違った。
そういえば氷見さんにベッドを使ってもらったのでソファで寝ていたんだった。
寝返りを打つとすぐ目の前、ソファの近くで氷見さんが膝立ちになっていた。俺と目のあった氷見さんがビクッとして背筋をぴんと伸ばす。
「……ミーアキャット?」
氷見さんは微笑みながら首を傾げ「おはよ」と言った。時計を見るとまだ朝の七時。休みの日に起きる時間ではない。
「おはよ……って早起きだね……まだ七時だよ」
「目が覚めちゃった。見てよ。外も良い天気」
氷見さんが窓の方を向いて微笑む。俺のところからは外の様子は見えないが、氷見さんの表情越しに天気が分かった。
「晴れ?」
「うん。よく分かったね。砺波さんらしからぬ鋭さだ」
「氷見さんの顔が晴れっぽかったから」
「えっ……腫れてる? 飲み過ぎで浮腫んだかな……」
氷見さんが自分の顔をペタペタと触りながら驚く。
「浮腫んでないよ。晴天の方の晴れだから」
「あ……砺波さんみたいなことしちゃった」
氷見さんが恥ずかしそうに俯く。
「俺っていつもそんなに浮腫んでるか気にしてる!?」
「ふふっ。そうじゃないよ」
氷見さんが微笑みながら俺の身体にかかっていた毛布を剥ぎ取り、ミノムシのように自分が毛布にくるまった。
「ね、砺波さん。散歩行こうよ、散歩」
「散歩? 今から?」
「近くに朝早くからやってるパン屋があるんだ。そこでパンを買い、コンビニでコーヒーを買い、公園で食す。どう?」
それはとても良い提案に聞こえた。
「悪くないでしょう」
俺の返事を聞いた氷見さんはニヤリと笑う。
「すごく良いって思ってそう」
「分かるの?」
「砺波さんの顔、曇ってないから」
「俺ってそんなに顔に出やすい……?」
「割りかし」
普段は真顔で感情を悟らせないタイプの氷見さんは口元だけで笑って準備のために立ち上がった。
◆
台風一過の外は湿気があり吹き返しの風もある。
夜中に激しい風雨に打たれて散ったのか、葉っぱや木の枝が地面に散乱していた。
氷見さんの提案通りにパン屋、コンビニと移動してパンとコーヒーを調達した後に公園に向かう。
ベンチは夜に降った雨で濡れていたので、羽織っていたパーカーを脱いで椅子を拭く。
「お姫様みたいだ……」
「そう……?」
「砺波さんって気は利くんだよね」
「普通そこって『が』じゃないの!?」
「気は利くのになぁ」
氷見さんは俺をからかいながら椅子に座り、手に持っていたパン屋の袋を太ももの上に置くと、「ケーキが無いならパンを食べればいいじゃな〜い」とマリー・アントワネットの逆のことを言いながらガサガサと中を漁っている。
氷見さんが取り出したのはメロンパン。それを両手で掴み、小さな口ではむっとかじりついた。
「……何?」
氷見さんが視線に気づいてじろりと俺を見てくる。
「いや、メロンパンってかじりついて食べるんだって思っただけだよ」
「これってちぎって食べるタイプ? 衣がボロボロこぼれちゃわない?」
「確かに……ってかメロンパンの甲羅の部分って衣っていうんだ……」
「ふふっ……こ、甲羅の方が珍しいよ」
「なんて呼ぶのが正しいんだろうね。皮?」
「一番美味しいところ」
氷見さんはメロンパンの一番美味しいところを指で剥がしながらそう言う。
「安直すぎない!?」
「けど、メロンパンの一番美味しいところが剥がされたメロンパンはもはやメロンパンじゃないからね。つまりメロンパンのコアは――きゃっ!」
氷見さんがメロンパンの根幹たる要素について力説していると、いきなり鳩が襲いかかってきた。
氷見さんが可愛らしく驚きながら俺に抱きついてくる。
「は、鳩だよ……」
「怖かった……」
「多分メロンパンの甲羅の欠片を食べて『もっとよこせ!』ってなったんじゃない? ほら、すっごい集まってきてる」
俺たちの座っているベンチの周りには明らかに他のところよりも多くの鳩が集まってきていた。パンを餌として狙っているのは明らか。
氷見さんはメロンパンの衣を剥がすと、それを鳩の前でひらひらと動かして挑発し始めた。当然鳩は餌をもらえると思って氷見さんの手に集まってくる。
鳩が啄もうとした瞬間、氷見さんはヒョイッと手を上げて自分の口にメロンパンの衣を放り込んだ。
「あげないよ〜」
「鳩をからかわないの」
氷見さんのからかいに怒ったのか、一匹の鳩がまたバサバサと羽ばたいて氷見さんを威嚇してきた。
「きゃっ! 怖い〜!」
氷見さんはまた驚いて俺に抱きついてくる。
「ならからかわなきゃいいのに……」
「鳩は砺波さんとは違うみたいだね。砺波さんはからかっても怒らないじゃん」
「俺と鳩を同列に見てるの!?」
「はい、メロンパンの一番美味しいところだよ。ハトナミさん」
氷見さんがそう言ってメロンパンの一番美味しいところを剥がして食べさせてくれた。
何故か鳩たちが俺を恨めしそうに見てくる。鳩たちにマウントを取るようにドヤ顔をすると、隣で氷見さんが吹き出した。
「ふっ……ふふっ……なんで鳩にドヤ顔してるの……」
「俺はメロンパンの美味しいところを貰ったからね」
「もうそこで張り合ってる時点でマインドは鳩だよ……ふふっ……」
氷見さんは笑いを噛み殺しながら下を向く。
少しして、氷見さんはまた俺の腕に抱きつくようにもたれかかってきた。鳩が襲いかかってきたわけではないので、動きはゆったりしている。
「鳩、襲ってきてないよ」
「そうなんだよね。襲ってきてもよかったのになぁ、鳩さん」
「鳩に!?」
「ま、からかっても怒らない鳩さんだから」
「さっきすっごい怒ってたよ!?」
「ふふっ、そういうとこ」
氷見さんは微笑みながら俺のアイスコーヒーのカップを取って口にする。
「中身同じだよ」
氷見さんは俺の指摘は無視してカップを元あった場所に戻すと大して興味もなさそうな表情で「間接キス」とだけ呟いたのだった。
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