第69話

 金曜日の夜、いつものようにカウンター席の端で酒を飲んでいると氷見さんがいつものようにやってきた。


 いつもと違うところだと、手に持っているガチャガチャのカプセルトイだろうか。


「砺波さん、やっほ」


「こんばんは。それ、どうしたの?」


「駅にガチャガチャがあってさ。思わず回しちゃった」


 氷見さんはニヤけながらそう言ってカプセルを開ける。


 中から出てきたのはたくあん。漬物のたくあんだ。黄色みのあるスライスされたたくあんが精巧に再現されている。


「たくあんのガチャガチャ……?」


「ううん。お漬物コレクション。ディティールへのこだわりがすごくてつい、ね。2つあるんだよ……わ。ダブった……」


 もう一つのカプセルからもたくあんの模型が出てくる。


 氷見さんは2つのスライスされたたくあんを手に乗せた。


「氷見さんってちゃんと漬物に『お』をつけるタイプなんだね」


「育ちがいいからね」


 氷見さんはそう言いながら俺を指差す。


「お砺波さん」


「お隣さんみたいに言わないでくれる!?」


 氷見さんはふふっと笑って「実際隣にいるし」と言う。そこで酒が到着。2人で乾杯をして金曜日の夜が始まった。


 ◆


 飲み始めて1時間ほどが経過。ふたつのたくあんの模型で遊んでいた氷見さんが何かを思いついたようにそれらを俺の前に持ってきて、ガタガタと震わせた。


「お砺波しゃん! たくわんだよ! 食べて!」


 魔法少女の相棒役にいそうな可愛らしい濁った声で急にたくあんが話しかけてくる。


「やばい酔い方してない!?」


「お酔っ払いだよ! 略すとおっぱ……オホン」


 氷見さんが裏声でヤバいことを言いかけたが、なんとか最後までは言い切らずに留めた。


「氷見さん……疲れてるの……?」


「氷見じゃないよ! お漬物だよ!」


「あ……う、うん……」


 今日は中々にハイペースな飲み方だったので氷見さんもだいぶ酔っているみたいだ。少し面倒な絡み方になってきたぞ。


「お砺波しゃんは沢庵嫌いなのか!?」


「普通かな」


「お好きか、お嫌いか。強いて言うならのお二択だよ」


 氷見さんが急に普通の声に戻る。


「いきなり素に戻るのやめてよ……」


「砺波しゃん! 沢庵のことは好きかな!?」


「はいはい。好き好き」


「うっ……」


 隣を見ると氷見さんが顔を赤くして俯いていた。


「何してんだか……」


「砺波さん。沢庵、食べる?」


 氷見さんが普通の声に戻して尋ねてくる。


「なんかこれだけ精巧な模型を見せられ続けると食べたくなっちゃうね。黒部ー、漬物の盛り合わせひとつー! たくあん多めでー」


 カウンターに立っている黒部にオーダーすると「はいよ〜」と元気の良い返事が返ってきた。


 すぐに和風な皿に盛り付けられた漬物の盛り合わせがやってくる。


 テーブルに置くと同時に2人がたくあんに箸を伸ばした。


 切り方が甘かったらしく、端がくっついた2枚をそれぞれが持ち上げてしまい、氷見さんの端との間にたくあんの架け橋ができる。


 目を見合わせて笑い、両方から引っ張ってちぎり、ボリボリとたくあんを食べる。


 何の変哲もないたくあんだが、氷見さんの模型で散々に気持ちを高められていたので待ち侘びた感じがしてしまう。


「ね、砺波さん」


「何?」


「沢庵の発音ってさ……たく『あ』んとたく『わ』んのどっち?」


「うーん……俺はたく『わ』んかな」


「そうなんだ……けど、たくあんの語源って沢庵和尚っていうでしょ? 庵は『あん』って読むからたくあんが正式だと思う」


「う』の口から『あ』の口になるから自然と音が『わ』になるんじゃないの?」


「ふぅん……そういうことか……砺波さん、私のお口見ててよ」


 育ちのいい氷見さんは口にも『お』をつけて言うと俺の方に自分の顔を向けた。『あ』が『わ』になる瞬間を見届けるために氷見さんの口元にじっと視線を合わせる。


「……浅漬け」


「……沢庵じゃないの!?」


 氷見さんはゲラゲラと笑いながら沢庵を肴に酒を飲む。


「砺波さん、私に沢庵って言ってほしいの? どうしよっかなぁ……」


「『沢庵』を言うか言わないかでマウントを取れる氷見さんがすごいよ……」


「あれ……で、結局たく『あ』んなの? 『わ』んなの?」


 氷見さんの問いかけに答えるため、スマートフォンを手にして検索する。


「えぇと……どっちでもいいらしい」


 まさかの結論に氷見さんと顔を見合わせる。


 そして、どちらからともなく「ぶふっ」と吹き出し、周囲の人がチラチラと見てくるくらいには2人で大笑いしていたのだった。


 ◆


 帰りの電車はそれなりに空いていて、一人分の空席がポツポツとあった。


 仕事帰りらしきお姉さんを挟んで2人で座ろうとした時に、お姉さんが気を利かせて一席分寄ってくれた。


 氷見さん同時に「ありがとうございます」と言って並んで椅子に座る。


「最早カップルだと思われることに何の抵抗もなくなりつつある」


 氷見さんがお姉さんに聞こえないくらいの声量でボソリと呟く。


「それはそれでどうなの……」


「ってかさ、砺波さん」


「何?」


「冷静になるとさ……さっき沢庵の読み方で笑ってじゃん?」


「うん」


「あれ……何が面白かったの?」


「多分何も面白くないよ……酔ってるから面白かっただけだと思う」


「そういうことだよね。貴重だよねぇ、そういう人ってさ」


「沢庵和尚が!?」


「ふふっ。そういうとこだよ。ね、ついたら起こして。どっちの最寄り駅でもいいから」


 氷見さんはそう言うと俺の肩にもたれかかって寝始めた。


「じゃ氷見さんの方ね」


「砺波さんの最寄り駅にしよ。一分でも長くこうしてたいから」


 氷見さんは目を瞑ったまま答える。


「そんなに眠いの……?」


「そういうとこだよ」


 そう言った氷見さんは微笑んだ顔のまま今度こそ寝息を立て始めた。


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