第67話
木曜の夜、ぼーっと一人でソファに座ってテレビを見ていると氷見さんから連絡がきた。
『明日台風だってさ。帰れなくなるかも』
金曜の夜は自宅から離れたところにある居酒屋で飲むことが通例。だが、電車が止まればそれこそ帰宅難民化は避けられない。
『じゃあスキップかな。テレワークにする予定だし』
『え? スキップ? 宅飲みだよね?』
氷見さんから圧が強めのメッセージが来る。
「そ、そんなに飲みたいんだ……」
『そんなにお酒好きなんだ……いいけど。どっちの家にする?』
『じゃ、砺波さんの部屋にしよ。うちは絵の具臭いし狭いから』
『了解。グァバジュースも買っておくよ』
『ありがと。また明日ね』
やり取りはそこで終了。
「グラスあったかな……」
予め冷やしておくため、グラスを探して立ち上がるのだった。
◆
『了解。グァバジュースも買っておくよ』
「はぁ……そういうとこだよ。何を飲むかじゃなくて、誰と飲むかなのにさ。ま、両方セットなら尚良しだけど」
スマートフォンを置いて外を見る。砺波さんは気づいていないんだろうか。台風が最接近するのは今晩。つまり……
「お泊まり……なんだけどなぁ……本当、そういうとこ〜」
◆
買い出しは昼間のうちに終えたので氷見さんの到着を待ちながらの仕事。
夕方の早めの時間、最後のオンラインミーティングを朝日さんと始める。
「はぁ……おつかれさまです……」
お互いにカメラをオンにしているため朝日さんの様子がわかるが、画面の向こうの朝日さんはかなりテンションが低い。
「どうしたの?」
「低気圧ですよぉ……しんど……」
「あはは……まぁ今日は台風だし早めに切り上げ――」
「ええええ!?」
朝日さんもしんどそうなので打ち合わせをさっさと終わらせようとした瞬間、朝日さんが急に元気になって叫び始めた。
「なっ……何!?」
「いや……えっ!? 後ろ!?」
俺は慌ててヘッドセットを外して振り向く。そこには笑顔で氷見さんが立っていた。
「やっほ」
「来るの早くない!? ってかどうやって入ったの!?」
「合鍵貰ってるし」
マズイ。色々と朝日さんに勘違いされてしまいそうだ。
「あっ、朝日さん! 業務報告は来週にまとめて確認するからメールで送っといてくれるかな!? それじゃ!」
傷口が広がる前に俺は慌ててWEB会議を終了させる。
「……邪魔だった?」
氷見さんは自分の悪戯が思いの外大事になってしまったからなのか心底申し訳無さそうに尋ねてくる。
「ううん。全然。朝日さんと1週間の振り返りをしてただけだから」
「そっか」
氷見さんは安心した様子で床に座る。
「というか来るの早いね……」
「ピークの前に、ね」
氷見さんがそう言って外の方を見る。朝から一貫していた曇り空はすっかり暗くなって様子が見えづらいが、風の音と横殴りの雨で相当な勢いになっていることはわかった。
「これさ……氷見さん帰れるの?」
「あ、やっぱり気づいてなかったんだ」
「何に?」
「砺波さんはこの雨の中で私を帰らせるような人じゃないからお泊まり前提だろうなって思ってたんだ。はい、これ」
氷見さんはそう言うと鞄から部屋着らしき短パンとTシャツを2セット取り出した。
「……俺の分もあるの?」
氷見さんはポカンとした後にゲラゲラと笑う。
「ふっ……ふふっ……ち、ちがっ……好きな方着てあげるってこと。黒の方がズボンが短いんだ。白は割とゆったりめ」
「じゃあ白のほうが楽じゃない?」
「本当、そういうとこだよね」
氷見さんは安心した様子で微笑みながら白い方の部屋着を持って着替えのために洗面所の方へと消えていった。
今の二択で黒を嬉々として選べるやついるか!?
◆
二人で並んでソファに座り、サブスクの動画配信サービスで氷見さんがハマっているという恋愛リアリティショーを見ながら酒を飲む。
同年代の男女が共同生活をしながらいい感じになっていく様を見ても「へぇ……」としか思わないが、酔っ払い二人で外野からあーだこーだと言うのは中々に楽しい。
「砺波さん、今のとこ推しは誰?」
「うーん……アミちゃんかな……」
俺の回答に氷見さんは満足げに深く頷く。
「わかる。見る目あるね」
「そ、そう?」
「うんうん。砺波さんは見る目あるよ。だからもっと自信を持って自分の心に素直になればいいんだって」
このまま寝られるということもありハイペースな勢いで飲んでいた氷見さんは既に泥酔状態。
俺の背中をペシペシと叩きながら若干呂律の回らない早口でそう言う。
その瞬間、テレビではアミちゃんが過去に三股をかけていたことを告白し始めた。
「見る目がある」と二人で認め合っていた矢先のことなので2人してフリーズする。
「……見る目、あったのかなぁ……」
氷見さんは「例外もいる」と言いながら立ち上がる。
「砺波さん、おつまみ作ってくる。何がいい?」
「そもそも冷蔵庫に何かあったかなぁ……」
「ま、作れる範囲で」
冷蔵庫にあるもので思い出せるのは納豆と生卵くらいだ。
「じゃあ……だし巻きたまご」
「わ、黒部さんと勝負させる気だ」
「そんなつもりないよ!? 単に在庫を考えたらそれくらいじゃなかなって!」
「仕方ないなぁ……待っててね」
氷見さんはウィンクをすると少しふらつきながらキッチンの方へ向かい、リビングの扉を閉めた。
1分くらいすると「チーン!」と電子レンジの温めが完了した音がした。
ものの数分で氷見さんが皿にホカホカのだし巻きたまごを載せて戻ってきた。
「早くない!?」
「私さ、異世界帰りで魔法が使えるんだよね」
氷見さんは秘訣を教えようともせずに冗談でかわしてまた俺の隣に座った。
取り皿にだし巻きたまごをひとかけら盛って箸で割る。
ふんわりと出汁のいい香りがして、即席で作ったとは思えないクオリティだった。
口に運ぶと当然うまい。黒部と比較するわけじゃないけど、甲乙つけがたい味付けだ。
「おいしい……これまた作ってよ」
「それ、プロポーズ?」
「ん? 何が?」
「毎朝味噌汁を作ってくれ〜みたいなやつ」
「ふるっ……それに俺朝はパン派なんだよなぁ……」
「ふふっ。そういうとこ」
氷見さんは口を手で覆って笑う。まるで手の甲を俺に見せたいかのような角度につい氷見さんの手を見てしまう。
その手には『卵焼き 298円』と書かれたラベルが貼られていた。
「氷見さん」
「何?」
「どこのスーパーかだけ教えてよ」
「ひーみーつ。やっと気づいた」
氷見さんはケラケラと笑いながら氷で薄まった酒を一気に飲み干したのだった。
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