第66話
金曜日の夜、先に店に到着して定位置を確保して氷見さんを待つ。
いつもの時間とそんなに変わらない夕方、氷見さんはやってきた。
手にツナ缶を持って。
「……ツナ缶?」
居酒屋に来るのにツナ缶を持参する人なんて見たことがない。不思議に思って視線がツナ缶に釘付けになる。
「やっほ、砺波さん」
氷見さんはツナ缶をスマートフォンと同じくらいの自然さで机において挨拶をしてきた。
「あ……う、うん……こんばんは」
「どうしたの?」
「いや……ツナ缶……」
俺がツナ缶に釘付けになっていると氷見さんは「あげるよ」と言ってツナ缶を手で俺の方に押しのけた。
「くれるの?」
「うん。私もそこでもらっただけだし」
「ツナ缶配ってる人がいたの!?」
「うん。駅からずっとついてきて。イヤホンしてたから何言ってるのか分かんなかったけど店の前についたらこれをくれて去っていった」
「へ、変な人だ……」
「多分ナンパだと思うけどね。『ツナ缶落としましたよ』って興味引こうとしたんじゃないかな?」
「えぇ……ツナ缶で話題作れるの?」
「事実、今」
氷見さんは笑いながら下を指差す。
「た、たしかに……」
「ま、けどいい気分はしないね」
「氷見さんってツナ嫌いなの?」
「ふふっ……ち、違うよ……」
氷見さんは下を向いてひとしきり笑い続ける。顔を上げると同時に飲み物を受け取り、ゴクゴクと一気に焼酎のグァバジュース割を飲んでから口を開いた。
「だって……『そういうやつ』だって思われてるってことじゃん?」
「ツナ缶で話題を作ったら食いついてくる可能性がありそうな人ってこと?」
「そ。私の氷の壁は厚くて、例えば、毎週かけてゆっくり溶かさないとついていかないわけ。ツナ缶ごときで食いつくと思ったら大間違いだよね」
「なるほどなぁ……氷見さんを食いつかせるのって大変そうだ」
「ふふっ……そ、そうなんだよ……ふはっ……」
氷見さんはまた一人でケラケラと笑う。
テーブルに置かれているツナ缶を見ているとなんだかモヤモヤしてくる。別に知らない人から貰っただけのツナ缶なので気にする必要はないはずなのだけど、それでもモヤモヤする。このツナ缶を今すぐ排除したい衝動に駆られる。
「氷見さん、これ食べても良い?」
「えっ!? だ、大丈夫かな……知らない人からもらったものだし……」
「な、なら俺が持って帰るよ! 氷見さんはもう金輪際思い出さなくていいと言うか……な、なんだろう……」
勢いで出た言葉が止まると氷見さんはニヤけながら「へぇ」と声を漏らす。
「砺波さん、嫉妬してるんだ?」
「しっ、嫉妬!? してないよ!? ツナ缶なんかに!?」
モヤモヤを一発で言語化されてしまい、図星を突かれて慌ててしまう。
「へぇ……そうなんだぁ……じゃ、単にツナ缶が食べたいだけなの?」
「そ、そうそう! マヨネーズと醤油で和えてね!」
「あー、いいねそれ。けどこれは捨てよう。変なものが入ってたら怖いし」
氷見さんの提案に頷いてツナ缶を自分の鞄に片付ける。
だが今度はツナ缶を渡してきた人がどんな人だったのか気になりだしてしまった。
「砺波さーん、ナッツ食べようよ、ナッツ」
「え!? ツッナ!?」
「いや……ナッツ」
氷見さんが呆れた表情で俺を見てくる。
やがて苦笑いをすると俺との距離を詰めて至近距離に接近してきて、周りに聞こえないくらいの声量でささやいてきた。
「砺波さんの頭の中、わかるよ」
「なっ……何のこと?」
「『ツナ缶を渡してきた人ってどんな人だったんだろう? イケメンかな? チャラめかな? 連絡先は渡されたのかな?』って考えてるんじゃない?」
「べっ……別に……」
「かわい〜!」
氷見さんは弾けるような笑顔で俺の髪の毛をクシャクシャにしてくる。
「ちょっ……」
氷見さんは至近距離で俺の目を真剣な眼差しで見つめてくる。
「連絡先はもらってないし砺波さんが百倍格好いいよ」
「う……うん……」
「なーに安心した顔してるんだか」
氷見さんはジト目で俺を見ながら微笑み離れていく。
何やら嬉しそうにニヤけている氷見さんはお通しの冷奴をつまむ。
「氷見さん、ニヤけてるよ」
「ツナミさんが可愛くて」
「誰!?」
「ツナミさん」
氷見さん俺を指さしながらニッと笑う。
「砺波だよ」
「あ、そうだった。
「すっごいイジるね!?」
「可愛いからさぁ」
氷見さんは楽しそうに酒を飲みながら笑う。
どうやら今日も俺はけちょんけちょんにイジられる運命らしい。まぁそういうとこがいいんだけど。
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