第65話

 金曜日、有給休暇を取ったのだがルーチンのため電車に乗っていつもの居酒屋に向かう。


 電車を降りて改札を通り過ぎたところで不意に背後から視線を感じた。


 振り向くと、すぐ真後ろに氷見さんが立っていて、真顔で俺の方を見ながら歩いていた。


「うわっ!?」


 俺が驚いているのを見て氷見さんはクスクスと笑いながら隣へ駆け足でやってくる。


「どうやって気づいたの? すごいじゃん」


「ま、たまにはね。いつもブイニーブイニー言われてるから。今日は鋭い日なのかも」


「へぇ……敏感なんだ?」


 上目遣いでニヤニヤしながら氷見さんが言う。


「言い方」


 氷見さんは「ふふっ。そうなんだ」と笑っていつもの居酒屋がある方向を指差す。


「あっちだよ、砺波さん」


「別に方向音痴ではないからね!? 全く信用されてなくない!?」


 氷見さんはまたケラケラと笑う。


「そこがいいのにぃ」


 何がいいんだ、なんて思いながら氷見さんと並んで店へと向かう。


 氷見さんは途中、何かを思い出したように「あ」と小さく呟いた。


「どうしたの?」


「今日さ、ウコン飲み忘れちゃった」


「若いうちからそんなのに頼っちゃって……」


「明日の体調が大きく変わるんだよね」


「おじさんみたいなこと言わずにさ……あ、コンビニあるよ」


「本当だ。行ってくるね」


 普段は通り過ぎるだけの道でコンビニを見つけると、氷見さんはトテトテと一人で入っていった。


 すぐにウコンドリンクを2つ持って店から出てくる。


「はい、砺波さんの分」


「あ……ありがと……」


「今日、お休みだったんでしょ? 体力有り余ってそうだしとことん付き合ってもらおうかな」


 氷見さんはそういいながら蓋を開けて俺にウコンドリンクを手渡してくれた。


「あ……あはは……に、日本酒以外でね……」


 コンビニの前に立ち、0次会としてウコンドリンクで

 乾杯をしてから居酒屋へ向かった。


 ◆


 いつもの居酒屋のいつもの場所。いつものようにビールを飲んでいると、氷見さんが隣から脇腹を突いてきた。身構えていなかったため「おうふ」と変な声が出る。


「ふっ……ふふっ……」


 氷見さんが俺の反応を見て笑う。


「いきなりやめてよ……」


「敏感な日って聞いてたから」


「身体の部位の話じゃないよ!?」


「ってかさ、砺波さんにも敏感なところってあるんだね」


「開示請求してもいいかな!?」


「だめだよ。名前と住所がバレちゃうから」


「もう知ってるよ!?」


「どうかな? 本当は別人で途中で入れ替わってるかもよ?」


「ないない。毎週会ってるんだし最初から同一人物だよ。そのくらいわかるって」


「わっ……そうなんだ……」


 氷見さんは何故か照れて俯く。


「照れるところあった……?」


「そういうとこだよね。じゃ、敏感でブイニーな砺波さんにテストでも出してみようかなぁ」


 氷見さんは頬の赤みを残しながらもニヤりと笑い、グラスを残っていた酒を一気に飲み干す。


「テスト……?」


「うん。TST」


「てぃーえす……? あぁ! 子音の文字だけとってるのか!」


 testだからTST。簡単じゃないか。


「おぉー。今日は確かに敏感だね。BNKNだ」


「敏感?」


「正解」


 何杯目かも分からないほど入れ替わっているグラスをまた新品のドリンクと交換しながら氷見さんが嬉しそうにはにかんだ。


「さすがTNMSNだね」


「てぃーえぬ……トナミサン?」


「そ」


 氷見さんは伝わったのが嬉しそうで、上機嫌に酒をごくごくと飲んでいく。


「あ、私あれ食べたいな。TNTN」


 氷見さんは本当にふと思いついたように軽い調子で呟いた。


「ティーエヌ……えっ!?」


 ティンティン!? 急な下ネタに驚いて言葉を失う。


「好きなんだよねぇ」


「ちょ……へっ、変なこと言わないでよ……」


「そんなに変なこと言ってるかな? 多分アンケートとったら半分くらいの人は好きって言うと思うよ?」


「そっ、そりゃあそうかもしれないけど……」


 男女比的にはそうかもしれないけども!


「砺波さんはどう? どうやって食べるのが好き?」


「俺は食べたことないよ」


「本当に!?」


 氷見さんが目を丸くして驚く。


「そんなに驚くこと!?」


「安い焼肉屋だと定番だし、どこでもあるイメージだったから意外でさ」


「そんなの置いてるところある!?」


 だいぶゲテモノ寄りなのでさすがに安い焼肉屋にあるとは思えない。


「あるある。ってここのメニューにもあるし」


「ええっ……」


 氷見さんが手にしたメニュー表をまじまじと見つめる。当然、どこにも『ちんちん』なんて書かれていない。


「すみませーん! 豚タンお願いしまーす!」


 氷見さんが出し慣れていない大声を出して声を震わせながらオーダーをした。


「とん……たん……」


「そ。豚タン。砺波さん、変な方向に敏感みたいだねぇ」


 すべてを見透かされていたようで、氷見さんはニヤニヤしながら『イ』の口と『ン』の口を交互に何度も作り、言葉を発さずにネタバラシをしてくる。


「TNTNなんて言われたらもうそっちを連想しちゃうじゃん……」


「わ。敏感だ」


 氷見さんの手のひらの上で転がされているので妙に対抗心が湧いてくる。


 ビールをぐいっと一気に飲み干して「HM」と呟いた。


「私?」


「ううん。ホットケーキミックス」


 俺がドヤ顔で言い返すと氷見さんが噴き出す。


「ぶはっ……ふっ……ふふっ……趣旨違うし……ふっ……砺波さん可愛すぎるんだけど」


 今日一番の笑顔の氷見さんがわしゃわしゃと髪の毛を乱すように頭を撫でてきた。


「本当……SKだなぁ……」


 SK……酒か!


「酒だなあってどういう感想なの……」


 氷見さんは俺の方を見ると穏やかな表情になる。


「SYTKだね」


「えすわい……そゆ……そういうとこ!?」


「ぶはっ……そ、それは分かるのに……ふふっ……」


 一人でカウンターにもたれかかって氷見さんがケラケラと笑いだす。


「えぇ……SKって酒じゃないの?」


「SKSK。本当SK」


 氷見さんがじっと俺の目を見ながらそう言った。


「酒酒うるさいよ」


「むぅ……SYTK」


 氷見さんは可愛らしく頬を膨らませると俺の脇腹を何度も力強く突いてきたのだった。

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