第59話
金曜の夜、少し遅れていつもの店に到着。
氷見さんは一人でカウンターに肘をついて先に飲み始めていたようだ。
定位置の氷見さんの左隣に行くと、黒部がコースターとビールを持って寄ってきた。
「いらっしゃ〜い!」
黒部はコースターを置くと、わざとビールジョッキをコースターからずらして置いた。
紙のコースターには『後ろの二人組、週刊誌』と書かれていた。どうやらテーブル席に週刊誌の記者がいるらしい。確実に氷見さん目当てだろう。
俺はギョッとするも前を向いたまま氷見さんに尋ねる。
「黒部から聞いた?」
「うん。開店と同時にやってきて、名刺を渡してきたんだってさ。だから確定。すごいね、砺波さん」
氷見さんはニッコリと笑いながら俺の方を見てくる。
「えっ……お、俺なの?」
「ふふっ。どうかな? 砺波さんの熱愛報道、私からしたら価値のある記事だけど」
「また適当な冗談を言っちゃって……」
「私の記事なんて書いてお金になるのかなぁ?」
「そりゃなるんじゃないの?」
「実態はただ友達と飲んでるだけなのに、変に面白おかしく脚色されて記事にされちゃうんだろうなあ」
「そりゃ大変だね」
氷見さんは何かを思いついたようにニヤリと笑った。
「ね、砺波さん。一緒にフェイクニュース作ろうよ」
「フェイクニュース?」
「そ」
氷見さんは頷くと俺との距離を詰めて、腕を絡めてきた。
「なっ……何してるの!?」
「こんな写真、広まったら大変だよね」
氷見さんはそう言いながらも俺の腕に顔をこすりつけてくる。
「ならやめてくれる!?」
「やめないよ。嘘のニュースを拡散させるんだから」
「氷見さんと俺が付き合ってないのは本当かもしれないけど、こんなところの写真がある時点で嘘もへったくれもなくない?」
「あ、そっか」
氷見さんは急に真顔になる。
「素でボケてたんだ……」
「ワクワクしちゃって正常な判断ができてないのかも。すごくない? 私達、週刊誌に追いかけられてるんだよ?」
「私達っていうか氷見さんでしょ……」
「砺波さんとセットだから価値があるわけで。私が一人で立ち飲みしてる写真に価値なんてないから」
「それは確かに……」
『美しすぎるアーティストの一人飲み』なんてタイトルだとしたら確かにヒキは弱い。
「ね、砺波さん」
「何?」
「三人虎を成すって故事あるよね」
「それって嘘や噂を皆が言ったら本当になるってことだよね……」
氷見さんはニヤリと笑って俺を見上げながら「そうだよ」言う。
「……ん? じゃあやっぱりこうやってるのってダメなんじゃないの? 噂がそのまま本当になっちゃうよ」
「それ……ダメかな?」
氷見さんは恥ずかしそうに尋ねてくる。
「照れる要素あった!?」
「そういうとこ」
氷見さんは冷たくそう言うとスマートフォンを取り出し、インカメラで前髪を直す素振りをしながらしっかりと背後にいる記者の姿を確認していたのだった。
◆
終電間際、店を出て少し歩くと後ろから来た男の二人組が俺たちを追い抜いて前に立ちふさがってきた。
「画家の氷見涼さんですよね? 私、週刊文冬の記者をしております」
一人が氷見さんに名刺を手渡す。もう一人は挨拶もそこそこに一眼レフでカシャカシャと写真を撮ってくるのでなんとも言えない不愉快さがあった。
「はい、そうですよ」
氷見さんは顔色一つ変えずに返事をする。知らない人なので顔は強張ってはいるが堂々とした態度だ。
記者はニヤリと笑って俺の方に視線を向ける。
「こちらの男性は――」
「恋人です」
氷見さんは間髪入れずにそう言った。俺と記者が同時に「え?」と反応する。
自分の発言を補強するように氷見さんは俺の腕に抱きついてくる。
「交際していますよ。ね?」
更に氷見さんが畳み掛け、俺にも頷くように促してくる。
「あー……えぇと……」
「この人は普通の会社員なので名前も顔出しも無しでお願いします。一般の方っていうのは好きじゃないですけど……とにかく、私は撮ってもらって構いませんよ」
言い淀む俺をフォローするように氷見さんは一歩前に出てカメラに向かってピースサインをする。
「腕組みバージョンもどうぞ」
氷見さんは更に俺と腕を組んでカメラの前に立つ。
週刊誌の取材にそんな対応する人いる!? と驚きながら何を考えているのか読めない氷見さんを見つめる。
何枚か写真を撮ると記者の人は氷見さんに「交際はいつから?」と尋ね「先月からです」とそれっぽい嘘をつく。
「出会いのきっかけは?」
「さっきのお店です」
「そうですか……では店や場所は伏せておきますね」
案外いい人だな、なんて思いながら二人の会話を聞いていると、取材はすぐに終了。
記者たちはそそくさと立ち去っていった。
氷見さんは俺の方を振り向くと笑いながら「見事に撃退」と言ってまたピースサインをしてくる。
「げ、撃退できたの?」
「うん。だって嘘で記事書かせるわけだし」
「世間は勘違いするよ!?」
「それと私の両親も」
「もうそれは既成事実なのでは……?」
氷見さんは真剣な顔で「そんなことないよ」と言って距離を詰めてくる。
「こんなの結局二人のことじゃん。ああやって記事にされた結果うまくいなかった人達だっているはず。だから、私達はその逆をするんだ」
「氷見さん……」
「何?」
「いつにも増して言ってることがめちゃくちゃだよ……」
ドヤ顔をしていた氷見さんは俺の指摘に大笑いする。
「ふふっ、そうだよね。帰ろっか――あ」
スマートフォンを見た氷見さんが口を開けて固まる。
無言で見せられた時刻は既に終電が終わっていた。
「ごめんね、砺波さん。取材のせいだ……」
「案外時間が経ってたんだね……」
「じゃタクシーだ。どこかに泊まると後ろから写真撮られそうだし。あるあるじゃない? 腕を組んでホテルに入る瞬間の二人を撮った週刊誌の写真」
「確かに……」
「『終電を逃した2人はラブホテル街に消えていった』なんて記事のオチにされるのは嫌だからタクシーだね」
「それは嫌なんだ!?」
「私と砺波さんがヤりまくってるなんて事実に反する報道だから」
「それを言ったら交際宣言もそうじゃないの……?」
氷見さんはじっと俺の目を見て無言のまま固まる。やがてニヤリと笑って俺とまた腕を組んできた。
「ま、もう撮られちゃったし、仕方ないよねぇ。そればっかりは。うんうん。こればっかりはもうどうしようもないよ。ネットの海にフェイクニュースが拡散されても仕方ないよねぇ」
「なんでそんなに嬉しそうなんだか……」
自分が付き合ってもいない人と付き合っているなんてフェイクニュースを流されて嬉しいわけが――そういうことか。
「あ、氷見さん。もしかしてだけど――」
「……も、もしかして……?」
氷見さんは唾をゴクリと飲んで俺の方を見てくる。妙に緊張した様子だ。
「ネットでナンパされてたりするの? ほら、敢えてこういうニュースを流すっていうのは、一人暮らしの女の人がわざとベランダに男モノのパンツを干す、みたいな対策なのかなって」
ぽかんとした氷見さんは頬を膨らませて手の甲をつねってくる。
「……そうだよ。砺波さんはパンツだから」
「いだだ……顔と言動が一致していないような……」
「タクシー乗り場に行くよ、パンツ」
「パンっ」
俺が適当に返事をすると氷見さんが吹き出す。
「ふふっ……パンツの鳴き声って『ぱん』なんだ……」
「パンツの鳴き声なんて知らないからね……」
氷見さんはまだ週刊誌の記者を警戒しているのか、腕組みをやめた後は俺と手を繋いでタクシー乗り場まで向かったのだった。
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