第51話
金曜日の昼、朝日さんとランチにやってきた。
俺が取りまとめて店員に「ランチセットを2つ」とオーダーを告げると朝日さんが「あ」と言って割って入ってきた。
「ランチセットのご飯、私の方は無しでお願いします」
朝日さんはサラダとチキンソテーのランチセットからライスを抜くというオーダー。料金は変わらないので少しもったいなく思う。
「かしこまりましたぁ」
店員もそれが普通だとばかりに笑顔で受け入れる。
ご飯が無いとランチセットもかなり寂しいものになりそうだが、糖質制限でもしているんだろうか。
オーダーを伝えに店員がテーブルから離れたところで朝日さんに聞いてみる。
「朝日さん、糖質制限してるの?」
「まぁそんな感じですかね。あ! ダイエットじゃないですよ! 単に午後に眠くなっちゃうのを予防するために炭水化物を少なめにしているんです」
「あー……血糖値スパイクってやつね。炭水化物をたくさん食べて血糖値が一気に上がって眠くなるってやつ」
「そうですそうです。砺波さんもどうですか?」
「うーん……お腹空いちゃうからなぁ……」
「砺波さん、たまに少年みたいなことを言いますよね」
朝日さんは笑いながらそう言う。
「そっ……そうかな……」
年に比べて幼い、ということなんだろうか。少し恥ずかしくなる。
「そこが良いんだと思いますよ」
「誰目線!?」
「そりゃ氷見ちゃんですよぉ。そろそろどうなんです? 付き合いました?」
朝日さんが前のめりになって尋ねてくる。
「だからそういうのじゃないから……」
「そうですかそうですかぁ……今日も夕方に会うんですねぇ。楽しみですねぇ」
朝日さんはテーブルに肘をつくとニヤニヤしながら俺をいじってきた。
◆
夜、氷見さんは少し遅れて居酒屋にやってきた。
「はっ……はっ……お待たせ。遅くなってごめんね」
氷見さんは駅から走ってきたのか、乱れた息と前髪を整えながら俺の隣にやってきた。
よほどお腹が空いていたのか、俺の箸を持つと届いたばかりの俺の小籠包をさっと口に運ぶ。目を見開いて「あふっ……あふっ……」とアツアツの肉汁に苦しむ氷見さんにビールジョッキを渡す。
「ぷはぁ……生き返った……」
「氷見さん、走ってきたの?」
「はっ……速歩きだし……」
氷見さんは恥ずかしがりながら競歩のようにL字に曲げた腕を振る。
「そんなにお腹空いてたんだ……」
「それもあるけどそれだけじゃないよ」
後はなんの理由があるんだろう。トイレだろうか。さすがに「トイレ?」と聞くのは憚られるので首を傾げて苦笑いをして誤魔化す。
「けど、実際お腹はすっごく空いてるんだよね。お昼食べてなくてさ」
氷見さんはそう言うと店主の黒部を呼び、焼酎のグァバジュース割と大盛りのチャーハンと麻婆豆腐をオーダーした。
「忙しかったの?」
「ま……そこそこ」
氷見さんはチャーハンを待ちきれないらしく、俺の小籠包をまたチラチラと見ている。
「……た、食べて良いよ」
「悪いね。私の麻婆豆腐、食べさせてあげる」
氷見さんとトレードが成立。
小籠包の入ったせいろを氷見さんの方へ渡すと、氷見さんはアツアツの肉汁と奮闘しつつ、ものすごい勢いで残っていた小籠包を平らげた。
「うぅん……おいひ」
氷見さんは小籠包を飲み込む前後でやってきたお通しのもやしナムルも一口で食べきってしまう。
飲み物が運ばれてくるとさっさとグラスを持ち俺に向けて「乾杯」と言うと実際には乾杯もせずに一気に半分ほどを飲み干した。
どうやら俺の隣には、とんでもない大食いモンスターが降臨してしまったらしい。
「あんまりハイペースだと酔っちゃうよ。空きっ腹に酒なんて一番やばいんだから」
氷見さんは俺の忠告も聞かずに「余裕余裕」と言いながらかなりのペースで飲み食いを始めた。
◆
1時間後――
「んはぁ……ねぇ〜とーなーみーさーん。話聞いてる〜?」
空きっ腹に酒を入れた氷見さんは完全に出来上がってしまった。日本酒を飲んだ時くらいの壊れっぷりを見せた氷見さんはよろめきながら俺に抱きついてくる。
「はいはい……聞いてるよ」
「塩対応〜! しかも態度が硬い〜! 岩塩対応!」
「岩塩対応なんてはじめて聞いたよ!?」
「モジモジしちゃって塩対応になる人は〜?」
氷見さんは俺と肩を組み、右手をインタビュアーのように口元に添えてきた。
「も……藻塩対応?」
「せいか〜い! アハハハ!」
「あはっ……あはは……」
ただのオヤジギャグじゃないか! と言いたくなるがぐっと堪える。泥酔した人なんてこんなものなのだから。
ふらついている氷見さんを引き剥がすこともせずに付き合っていると、不意に氷見さんが顔を擦り付けるようにして甘えてきた。
「……ね、砺波さん」
少し前までのハイテンションとは打って変わってしっとりとした声で俺の名前を呼んでくる。
「どうしたの?」
「その……ちょっと眠くなっちゃったなって……」
「眠い……?」
食べるだけ食べて飲むだけ飲んだらそりゃ眠くもなるか、と思いながらカウンターに残っている空き皿を見る。
チャーハンに麻婆豆腐、更には唐揚げやワンタンスープまで追加でオーダーしたので氷見さんの腹はパンパンなんだろう。
それこそドカ食いによって血糖値が……ん? 血糖値? 朝日さんともそんな話をしたな。
「氷見さん、炭水化物をたくさん食べたから眠くなっちゃったんじゃない? 血糖値スパイクとか言うじゃんか」
「けとっ……すぱっ……えっ……あ……け、血糖値……?」
泥酔している氷見さんはいつもよりワンテンポ遅れて日本語を理解する。
やがて氷見さんは「ぶはっ!」といつもより大きめに吹き出しながら笑った。
「も〜! 砺波さん、そういうとこ良すぎっ!」
そう言うと陽気に笑いながら俺の頭をくしゃくしゃにしてくる。
「なっ……何が?」
「そりゃ狙った回答が返ってくるわけないとは思ってたけどさ、飲み過ぎとか食べ過ぎとかそっちを想定してたのに……ふふっ……血糖値スパイクって……ふっ……ふふっ……」
氷見さんは俺の肩に顔を埋めて笑い続ける。
「へっ……変だった?」
「変だよ。そこが良いんだよね」
「変なの」
「そ。私も変」
俺の肩に顔をおいたまま氷見さんがそう言う。氷見さんは俺の頬をツンツンと突きながら囁き声で続ける。
「けどね……一応教えてあげる。女の子がこの時間に眠いって言い出したら、それとなーく泊まれるところに連れて行ってあげるのが正解だよ」
「この辺だと……カプセルホテルかラブホくらいしか……ん!? あっ……いや……そ、そういうこと!?」
これはよくあるホテルへの誘い文句か、とやっと気づく。
「ふふっ……と、砺波さん……本当そういうとこ良いよ」
氷見さんは笑い過ぎで腹筋が痛くなってきたのか身体を曲げて笑う。
「氷見さん……また俺をそうやってからかうんだから……」
「どうかなぁ?」
氷見さんはニヤニヤしながら俺の髪の毛に指を挿し込む。そのまま頭皮を何度も指先でマッサージしながら「ふぅ……」と息を吐いて小休止した。
「けどさ……心配だな、砺波さんのこと」
「何が?」
「そんなにブイニーだとそのうち悪い女に騙されちゃいそうじゃない?」
「えぇ……騙されるかな……?」
「うん。そうかもしれないよ? だからさ……その前に私に騙されちゃわない? そしたら安心じゃん」
「騙されることに変わりはないんだ!?」
「ふふっ。どうやって騙そうかなぁ」
氷見さんは俺から離れると悪巧みをしている人のようにニヤリと笑う。
横目にその顔を見ていると何故だか安心してしまい、ついあくびが出てしまった。
「あ、あくびした。眠い? 眠いよね? お泊りする?」
「はいはい。まだ電車あるからね。家に帰るよ」
「じゃせめて同じ駅で降りない? 1両目の先頭に立って、車両に乗ってる人を見渡してみようよ。他の車両だと接続部分で邪魔になって出来ないことだからさ」
「えぇ……1両目だと改札まで遠くない? 最後尾の車両の方が改札に近いよ」
「だから、良いんだよ」
氷見さんはそう言ってふふっと笑う。
わざわざ遠回りするのがいいなんて変な人、なんて思いながら首を傾げる。
氷見さんはテンション高めに「そういうとこ〜」と言いながら俺を指さして笑っていたのだった。
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