ニブ
第50話
ありがたいコメントを頂いたのでニブ(二部)です。不定期更新となりますが、またよろしくお願いします。
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金曜日の夜、店はいつも以上に混雑していてカウンター席も人がぎゅうぎゅう詰めになっていた。
俺は壁際で隣が氷見さんなので気にならないが、氷見さんの右隣には別の客がいてかなり距離が近い。
何ならその客は左利きらしく、氷見さんと腕が何度もぶつかっていて、小さなストレス源になっていそうだ。
「氷見さん、場所変わる?」
氷見さんに尋ねるや否や「ナイス」と言って氷見さんは俺の後ろを通って壁際に逃げ込んだ。氷見さんに押し出されるように俺と氷見さんの場所が入れ替わる。
左隣から見上げてくる氷見さんは何故か楽しそうに笑っている。
「どうしたの?」
「こっちからの視点は新鮮だから。砺波さん、ありがと。いい視点を提供してくれて」
「視点を提供したかったわけじゃないんだけどね……」
「せっかくだし中身も入れ替えてみる?」
「どういうこと!?」
「私が砺波さん、砺波さんが私になる。正確に言えば、相手から見た自分がどう見られているか、ってことだね」
「なるほどね。面白そうじゃん」
氷見さんはニヤリと笑って「私から」と言いA4用紙サイズのメニューを手にした。
そして眉間にシワを寄せてメニューを顔の近くに持っていく。その様子はまるで老人だ。
「俺ってそんな老眼みたいなことしてるの……?」
メニューから顔を上げた氷見さんは笑いながら「たまにね」と言う。
「後はこんなのもあるよ」
氷見さんはそう言うとテーブルに置いていたスマートフォンを一度ポケットをしまう素振りを見せる。
そして、手首のスナップを効かせながらスマートフォンをポケットから取り出した。
「……なにそれ?」
「スマホを取り出す時の砺波さん」
「細かすぎて伝わらないモノマネみたいになってるね……よく見てるんだねぇ……」
「べっ……別に……そんな観察してないし……」
氷見さんを褒めると何故かモジモジしながらそう言って照れる。
「じゃ、次は砺波さんの番」
「うーん……そうだなぁ……」
氷見さんらしい動作。ぱっと思いつくのは真顔で正面を向くだけ。
それを実践すると氷見さんは隣で大爆笑。
「ふっ……ふふっ……砺波さんから見た私ってそんななんだ……」
「で、たまにこっちを見て笑う。こんな風に」
背丈を合わせるため、中腰になってから氷見さんを上目遣いで見ながら微笑む。
「可愛いじゃん、私」
「今、氷見さんは俺だよ」
「あっ、そうか……可愛いねぇ、氷見ちゃん。グヘヘ」
「そんなこと言ったことないよね!?」
氷見さんは「ふふっ」と笑って俺のビールジョッキに口をつける。
「それ、俺のだよ」
「今は俺が砺波だから」
氷見さんは目一杯低い声を作ってそう言う。
「ただビールが飲みたかっただけでしょ……」
「砺波さんも飲んで良いよ、それ」
氷見さんはそう言って焼酎のグァバジュース割を指差す。
「え、遠慮しとく……」
「美味しいのに」
「ビールの間に挟むのもなぁ……」
「砺波さん、このあと砺波さんに戻れると思ってるんだ?」
「えっ……い、一生続くの!?」
「うん。砺波さんはこれから私として生きるんだ。毎日絵を描いて、金曜はお化粧をしてここに私に会いに来る」
「他にも色々とやってることあるでしょ……」
「ま、おおまかにはね。私は砺波さん」
「じゃ、氷見さんは毎日朝6時半に起きてスーツを着て満員電車に乗って会社に行くんだね。20分に一回は隣の席の朝日さんからの質問か雑談が飛んでくるからそれに答える。ほぼ雑談だけど。で、金曜のために木曜までに仕事を詰め込んで、金曜は定時退社でここに来る、と」
「……砺波さんってそんな大変な生活をしてたんだ」
「どこが!?」
「主に朝。起きれないんだけど……」
「俺も毎日筆を持って絵を描いてられないよ……」
「けど……金曜のために仕事の調整とかしてるんだね」
「まっ……まぁ、一応ね……」
しまった。変に恩着せがましい事を言ってしまったか。
だが氷見さんは微笑みながら「嬉しいな」と呟く。
「う、嬉しいの? 俺の生活してみる?」
「それは遠慮しておく。朝、たっぷり寝たいから。私にはサラリーマンは無理だね」
氷見さんは自虐的に笑いながらそう言ってまた俺のビールを飲む。
「ね、砺波さん」
「何?」
「本当に私と入れ替わったとしたら何をする?」
「うーん……何だろうなぁ……結局の所、中身は自分でしょ? 違うのは外見だからそれを活かすとなると……ナンパ待ち?」
「……もっといいことに使ってよ」
氷見さんは唇を尖らせて俺の脇腹をつついてくる。
「そ、そうだよね……ごめん……氷見さんは?」
「私が砺波さんになったら……まずは給与明細を見るかな」
「だいぶ俗物的だね!?」
「まぁね。で、口座から給料3ヶ月分のお金を降ろして指輪を買いに行くんだ。で、それを私の身体に渡す、と。口座の暗証番号は私になっている砺波さんが教えてくれるものとする」
「アクセサリーが欲しいだけじゃん……」
「ふふっ……欲しいけど何でも良いわけじゃないよ。砺波さんのそういうとこ……本当いいよね」
「褒めても買わないからね」
「いいよ、まだ今は」
氷見さんは目をつむり、穏やかに笑いながらそう言う。
「いずれは買うの!?」
「うん。あくまで砺波さんの気持ちで」
「氷見さんの圧がすごいんだけど……誕生日プレゼントの伏線だったりする?」
「誕生日かぁ……それも良きかな」
「予算は少し控えめにしてよ……」
「給料三ヶ月分」
「高っ!? 誕生日プレゼントなのに!?」
「ふっ……ふふっ……砺波さん、最高。ま、けど一生物だから。ま、別になくても良いんだけどね。自分達で作るのも楽しそうだし」
氷見さんは何故か自分の薬指を触りながらそう言っていたのだった。
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