第48話

 金曜日の夜、いつものように氷見さんと並んで立ち飲み。


 背後にあるテーブル席では俺と同年代と思しき人による女子会が行われている。


「理想の身長差? ヒール履いても追い越さないくらいじゃない?」


「この人たち良くない?」


「あー! これこれ! そのくらいが私の理想なの! 背伸びしたらギリギリちゅーが届くくらい!」


 ギャーギャーと背後から聞こえる声を聞き流していると、氷見さんは「私達のことかな?」と俺にだけ聞こえるように呟いた。


 氷見さんがヒールを履いても追い越されないくらいの身長差。キスがしやすいかどうかはわからないが、氷見さんが少し背伸びをすれば届くくらいの距離だろう。


「氷見さん、普段はスニーカーだよね」


「うん。ヒール履いたら170は超えちゃうけど……ま、砺波さんならそれでも私より高そうだし。多分、ちょっと背伸びしたら口も届くかな」


「これが理想なのねぇ……」


 俺は隣にいる氷見さんを見る。少し見下ろすような視線になる、これが後ろのにとっては理想の身長差ということらしい。


「砺波さんは? もっと小さい子が良かったりする?」


「うーん……ま、小さい方が可愛らしくはあるけど……別に気にしないかな」


「なら良かった。身長の縮め方で検索しちゃうところだったよ」


「そのままでいいからね!?」


「冗談。伸ばす分にはいいけど縮めはしないよ」


 氷見さんはケラケラと笑いながら「砺波さんは今日も真面目だ」と言う。


「けどいい感じの身長差だって言われて悪い気はしないね」


 氷見さんが俺の方を見ながらそう言うので「確かに」と返す。


「だからこのぐらいが一番立ちバックがしやすいんだって〜!」


 背後から中々の爆弾発言が飛んでくる。二人で優越感に浸っていたのも束の間、かなり気まずい空気が氷見さんとの間に漂う。


「……らしいよ?」


 氷見さんが恥ずかしがりながら横目に俺を見てそう言う。


「あ……う、うん……そうなんだ……」


 俺が苦笑いをしながら答えるとまた背後が騒がしくなる。


「えっ、てかスタイル良くない!?」


「わかる〜! そうだよね〜!」


 氷見さんがほのかにドヤ顔で俺を見てくる。


「らしいよ?」


「別に今更言われなくてもそうだよね」


「……あっ、ありがと」


 氷見さんは照れくさそうに前を向いた。


「というか中々に失礼な人たちだよね……俺達に聞こえてること分かんないのかな……」


「酔っ払いだしそんなもんだよ。ま、私スタイル良いから」


 氷見さんはふふんと顎を突き出して爽やかに微笑む。知らない人から褒められたので氷見さんはかなり気を良くしているようだ。


「俺も褒められないかなぁ……」


「私が褒めてあげるよ。知らないに褒められるより良くない?」


「おばっ……ひ、氷見さんも好き放題言われてるから案外根に持ってるよね?」


 氷見さんは明らかにすっとぼけていると分かるように可愛らしく「はにゃ?」と言って首を傾げた。


「では早速……」


 氷見さんはニヤリと笑うと全身をスキャンするように俺をてっぺんからつま先までじっくりと眺める。顎に手を当てて「うーん……」と考え込んでいる。


 長いこと考え込んだ氷見さんは結論が出たように頷いた。


「立ちバックがしやすそう」


「氷見さん!?」


「ふふっ。冗談だよ。ま、でも確かにちょうどいいよ。高すぎず、低すぎない。このくらいが良いんだよね」


 氷見さんは自分の額に手を当てて俺との身長差を図りながらそう言う。


「そういうもんか……」


「ま、私は平均より少し高めだから。案外レアだったり? いないんだよねぇ、ちょうどいい身長差の人」


「平均より少し高めの男の人なら合うってことでしょ?」


 氷見さんは唇を尖らせて非難めいた目を俺に向ける。


「砺波さん、そういうことじゃないよ」


「あ……そうなの……」


「そこだけは突き抜けてるよね」


「え、な、何が?」


「そういうとこ、良いんだよね」


 氷見さんは詳細は言わずに笑いながら俺の顔を指差す。指の向き先的には鼻だろうか。


「えっ……突き抜けてるって……鼻がデカいってこと?」


 俺が質問をしたのと同時にまた後ろのテーブルが盛り上がり始めた。


「鼻が大きい男はアソコもデカい! いやこれ私の経験則だから!」


 まるで氷見さんの意図を補足するかのような声に驚いてしまう。


 氷見さんの方を見ると顔を赤くして必死に首を横に振り始めた。


「あっ、そ、そ、そういうことじゃなくて! 今のは単に砺波さんという概念を指さしていたというか! そもそも指差し自体が失礼という話もあるけどそれはそれで置いておくとして。全く今のは邪な気持ちがなくて純粋に良いというか! ね!?」


「すごい偶然だ……」


 深追いすると単なるセクハラなので一旦会話を打ち切ってビールの入ったグラスを手にする。


「あー、確かに大きそう〜!」


 また背後から声が聞こえてぶふっと吹き出す。


「砺波さん、褒められたじゃん」


「いや本当……え、お、俺達の話ししてるの?」


「そうじゃないの?」


 二人で目を見合わせる。


 さすがに不愉快なレベルになってきたので恐る恐る二人で後ろを振り向くと、後ろのテーブルの人達は1台のスマートフォンに釘付けになっていた。


「こっちがいとこで〜、こっちが旦那さんのマクアダムスさん。スタイルが良くてお似合いだよねぇ。本当、ピッタリの身長差」


 一人が写真をズームアップしながらそう言う。


「やっぱ欧米系の人ってデカいのかな?」


「どうなんだろうねぇ」


 どうやら最初から最後まで俺達の事は一切触れられていなかったらしい。


 氷見さんと前を向き直し、お互いに頷いて勘違いしていたことを共通認識として持つ。


「どうせ私はちんちくりんだ……」


 氷見さんは浮かれていた反動でずーんと落ち込んでしまった。


「ひ、氷見さん!? そんな事ないよ! 何でも似合うし毎週飲んでるのに細身だし! ね!?」


「ま、いいや。砺波さんと理想の身長差だってことは不変の事実。この恥は二人で墓場まで持っていこうね」


「あ……うん。そうしましょう」


 ……鼻の話じゃないなら俺は結局何が突き抜けていたんだ?

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