第47話

 金曜日の夜、いつものように氷見さんと二人で並んで立ち飲みをしていると、背後から大きな歓声が上がった。


 今日はサッカーの日本代表戦のパブリックビューイングが催されているため、テーブル席の方では青いシャツを着た人が肩を組んで大はしゃぎしている。


 俺と氷見さんはそれを冷めた目で見つめながらいつものように店の端で静かに酒を飲む。


「サッカー? すっごい声だね」


 氷見さんは興味なさそうにチラッとこのために設置されたスクリーンを見てそう言う。


「そうみたいだね」


「へぇ……」


 氷見さんは欠片も興味がないようで、冷めた表情でグラスについた水滴を指でなぞっている。


「ま、ああいう時に混ざって馬鹿騒ぎできるような性格なら生きやすいんだろうなぁ……」


 陰キャサイドの極地にいる氷見さんは陽キャの集団を見た感想を静かに述べる。


「そうだねぇ……」


「砺波さんは割と合わせられるタイプでしょ。ナイトプールも余裕そうだったし」


「ま……騒ぐのが好きってわけじゃないけど――」


 日本がゴールを決めかけたようで、店内が一気に騒々しくなり、直後に「あぁ……」と落胆の声が響く。


 その緩急の大きさについ顔をしかめると氷見さんはふっと笑ってカウンターに置いていた俺の手をつついて来た。


「ね。今日は早めに帰って家の近くで飲み直そうよ」


「いいけど……日本酒はだめだよ?」


「……けち」


 氷見さんは唇を尖らせてそう言う。


 家の近くで日本酒を飲みだすと、あまり耐性がない氷見さんが泥酔してしまい、俺が氷見さんを介護することになるのは目に見えているので、それだけは避けなければ。


「じゃ……あ、餃子がラスト一個だ」


 氷見さんが餃子を指差す。


「本当だね」


 さっさと食べてしまおう。


 そう思って箸を持って餃子にタッチしようとした瞬間、氷見さんの方からも餃子に向けて箸が伸びてきて箸同士がぶつかる。


「あ、どうぞ」


 俺は氷見さんに譲ろうとしたのだが、氷見さんは俺の腕を掴んで首を横に振る。


「砺波さん、キックオフだよ」


「……何が?」


「この餃子はサッカーボール。負けられない戦いが、ここにある」


「何の勝負!?」


「相手に食べさせた方が勝ちとしようか。勝った方が次の店を選べるんだ」


「はいはい……じゃあどうぞ」


 俺は箸で餃子をつまみ、氷見さんの口元に持っていく。


 だが、氷見さんは口を閉ざしたまま開けようとしない。


「食べないの?」


「食べたいけど、私に食べさせた砺波さんの勝ちになっちゃうからなぁ……」


「別に良くない!?」


「じゃ、食べてあげても良いよ。ちゃんと『あ〜ん』って言いながら食べさせてね? 後、日本酒がたくさんあるお店をチョイスしてね」


「じゃあいいよ……」


 なんでそこまでせんといかんのだ、と思い餃子を皿に戻すと氷見さんは「あっ……」と言って寂しそうに餃子を見つめる。


「砺波さん、餃子余ってるよ」


 今度は氷見さんが箸で餃子を持って俺の口元に近づけてくる。


「はい、あ〜ん」


 氷見さんは笑顔ととびきりのぶりっ子ボイスを作って餃子を勧めてくる。


 餃子を近づけられてわかったのは、確かにこの流れで食べた結果負けになるのは何故だか悔しい。しかも氷見さんのトーンからして日本酒がたくさんある店を選ぶのは確実。


 ここは俺が氷見さんに食べさせなければ。


 口を閉ざしたまま首を横に振ると、氷見さんはニヤリと笑って餃子を皿に戻した。


「食べないと勿体ないね」


「じゃ、俺が食べさせてあげるよ」


「日本酒?」


 氷見さんが上目遣いで聞いてくる。そんなに飲みたいのか……


「いいよ。日本酒がある店を探そうね」


 氷見さんの顔がぱあっと明るくなって元気良く頷く。


 同意が取れたので餃子を持って氷見さんの口元に近づけると――


 何故か氷見さんは俺の腕を掴んで止めてきた。


「まだ何か?」


「『あ〜ん』が抜けてるよ」


 面倒な酔っ払いだこと!


「あ……あ〜ん……」


 氷見さんは満足げに頷くと餃子を一口で食べた。


「うん……冷めてるけどおいひ。砺波さんのシュートが決まったね。じゃ次のお店を――」


「氷見さん、俺は日本酒のあるお店を探すとは言ったけど注文するとは言ってないよ」


 氷見さんは呆然とした表情で餃子を咀嚼して飲み込む。


「……オフサイドトラップ?」


「とりあえずサッカー用語並べようとしてない!?」


「と、砺波さんがそんな姑息な手を使うなんて……」


「氷見さん、絶対泥酔して壊れるじゃん……」


「良識ある行動を心がけます」


 氷見さんは試合前に国歌斉唱をするサッカー選手のように背筋を伸ばし、胸を手を当てて宣言する。


「えぇ……本当に?」


 懐疑的な俺の質問に対し、氷見さんは何度も「うんうん」と頷く。


「ワタシ、ニホンシュツヨイ」


 氷見さんの棒読みに説得力は皆無。


「今のところ0勝2敗くらいだと思うよ……」


「じゃあ勝ち点が足りないし予選リーグ突破は絶望的か……」


「氷見さんって案外サッカー詳しいよね!?」


「ま、ルールだけは昔教えてもらったから」


 元カレか!? と少しだけ心がざわつく。いやなんでざわつくんだと言う話ではあるけれど。


 ちらっと俺を見ながらグラスに残った氷をボリボリと食べながら氷見さんが俺の頬を突く。


「砺波さんの考えてること、丸わかり」


「なっ……何が?」


「『元彼の影響か〜』みたいに思ってない?」


「お、思ってないよ!?」


 そう言うも声が上擦ってしまい、動揺していることは氷見さんにもバレバレだ。


「へぇ〜……思ってたんだぁ……え、嫉妬? 砺波さん嫉妬してたの? かわいい〜!」


 氷見さんがニヤニヤしながら俺の脇腹をつついてくる。日本酒関係なく酔っ払いじゃないか!?


「べっ、別に……氷見さんくらい可愛かったらそりゃ彼氏の一人や二人くらい……」


 氷見さんは嬉しそうに微笑む。


「前にも言ったけどそんな人いないよ。で、サッカーはお父さんに教えてもらった……っていう面白くない真実はあるけどね。いやぁ……砺波さんも嫉妬とかするんだなぁ……ありがたやありがたや……」


 氷見さんは俺を見ながら拝み始める。


「なんで拝むの……というか既にだいぶ酔ってるよね?」


「ワタシ、シラフ、ニホンシュ、ノム」


 嫌な予感しかしなかったが、それは図らずも的中。


 二軒目で散々日本酒を飲んだ氷見さんは、それは楽しそうに俺が嫉妬した話を何度も蒸し返してくるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る