第46話

 木曜日の午後、オフィスで隣の席にいる朝日さんをちらっと見ると、手に持っている飲み物のポップな色使いが目を引くパッケージが目についた。


「朝日さん、それ何なの?」


「あ、これですか? 今バズってるんですよ〜。どこ見ても品薄なんですけど、下のコンビニに行ったら偶然見つけちゃって!」


「へぇ……美味しいの?」


「うーん……ま、人気なのはパッケージデザインのおかげって感じですね。流行りものなんてそんなものですよ」


「あ、案外冷めてるね……」


「ま、そんなもんです。ちなみに……これデザインしたのって誰か知ってます?」


「知らないし、いちいち誰がデザインしたかなんて気にしてないなぁ……」


「そうですよねぇ。けどこればっかりは許されませんよ」


 朝日さんはパッケージの下の方を指さして俺の顔の近くに持ってくる。そこには小さく『Ryo Himi』と書かれていた。


「りょひみ……?」


「氷見ちゃんですよ」


「あっ……えっ……ええ!? そうなんだ……聞いてなかった……」


「これが発売されたのって今週の月曜からなんですよ。先週の金曜だと情報解禁前だったんじゃないですか?」


「なるほど……」


 氷見さんはまともな人なのでそういうのはきちんと守るタイプなんだろう。


「これ見て予習しておいてください」


 朝日さんは俺に空になった飲み物の容器を渡してくる。


「……俺に捨てさせようとしてない?」


 ジト目で朝日さんを見ながらしばし無言で向かい合う。


 やがて朝日さんは「てへっ」と可愛らしく言って舌をチロッと出すと、椅子から立ち上がり、俺から容器を奪ってゴミ箱へと向かっていった。


 ◆


 仕事の帰り、自宅の駅より一駅手前で下車。自宅の最寄駅よりも大型のスーパーに行くためだ。


 すっかり暗くなった道を歩いて行き、店内に入ると明るい白色の照明が出迎えてくれる。


 事前に作っていたメモを頼りに食材や調味料をカゴに入れながら歩いていると、ふとポップな見覚えのあるパッケージが目についた。


 飲料ゾーンを4列分の幅を取っていたそれは、既に最後は残り一個。棚はスカスカになっている。


「こんなに人気なのか……」


 価格は200円。せっかくなので一つ飲んでみるかと手を伸ばすと、隣から同じ容器に手を伸ばしてきた人と手がぶつかった。


「あ……すみません……」


 謝りながら隣を見ると、氷見さんが口をパクパクさせながら固まっていた。


「氷見さん、こんばんは」


「あ……う、うん。砺波さん……これ……飲むの?」


「天才クリエイターの容器デザインによってバズリにバズっていると聞いたもので」


 氷見さんは「耳が早い」と言い照れ笑いをしながら俺の肩をペシンと軽く叩く。


「砺波さん、それは言い過ぎだよ。ま、悪い気はしないけど」


 氷見さんは「半分こね」と言って自分のカゴに飲み物を入れると、近くにある惣菜コーナーに視線をやる。


 そこにはスキャナーとシールプリンタの繋がった装置を持った店員が立っていた。


 どうやら惣菜の半額シールを貼って回っているらしい。


 氷見さんについて行って惣菜コーナーに向かう。狩人の目をした氷見さんは的確に半額シールと2割引のシールを見極めて半額シールが貼られた弁当を数個かごに入れた。


 その様子を見ていた俺に気づくと氷見さんは真顔で俺の前に戻ってきた。


「これは冷凍しておいてこまめに食べるんだ。一食分じゃないよ。一応」


「あ……う、うん」


「料理はしないだけでできないわけじゃないよ。これも一応」


「う、うん……別にそんな偏見持ったりしないよ……」


「得意料理はないからリクエスト次第。これも一応」


「あ……うん。生姜焼きかな」


 氷見さんに気圧されてつい食べたいものをリクエストしてしまった。


「ならよし。今度ね。サムデイ」


 氷見さんは真顔でサムズアップをしてくる。俺も戸惑いながらそれを返して約束を交わすと、氷見さんはレジの方へ向かっていった。


 ◆


 スーパーを出ると先に会計を済ませていた氷見さんが壁にすがって出口で待っていた。


 俺に気づくと、反動を使って勢いをつけて壁から離れて俺の方へやってきた。


「一緒に帰ろうよ」


「いいよ。じゃ、こっちで」


 俺が指さしたのは自宅への最短ルートではなく、氷見さんの自宅の方へ向かうルート。


「あがってく?」


 氷見さんは意図の分からないニヤケ顔で誘ってきた。


「ううん。明日も早いし」


「そっか。残念」


 二人で並んで広い歩道を歩く。


「氷見さん、荷物持とうか?」


「ううん。大丈夫。ありがと」


 氷見さんはそう言って荷物を右手から左手に持ち替えると、右手を袋の中に入れてガサガサを何かを探し始めた。


 少しして出てきたのは氷見さんがパッケージデザインを手掛けた飲料。


 片手で器用にストローの袋を破って先端を露出させると、先端を俺に向けてくる。


「砺波さん、これ挿して」


「あ、うん」


 言われるがまま、袋から出かけているストローを取り出して蓋に挿し込む。


 氷見さんはそのままストローの飲み口を俺の方に向けてくるので、先に一口いただく。


「うん、美味しいね」


「良かった。ま、私は味にはなんの貢献もしてないけどさ」


 氷見さんはニヤリと笑い、俺が口をつけたばかりのストローで飲む。


 氷見さんは間接キスなんかは一切気にしない人だから俺も無意識を装う。さすがにもう一度飲み口を向けられたら気にはなってしまうが。


 氷見さんはちらっと俺の方を見るとまた飲み口を向けてきた。


「飲む?」


「じゃ、じゃあ……」


 意識するな。意識するな。意識するな。自分に言い聞かせ、平然を装ってもう一口飲む。


 その様子を氷見さんは真顔でじっと観察してくる。


「な、何?」


「なんでもないよ」


 氷見さんはふっと笑ってまた前を向く。


「そういえばさ、パッケージの件でエゴサしてたら見つけたんだけど、私男だと思われてたみたい」


「あぁ……名前がリョウだから?」


 氷見さんはストローを咥えて「そ」と頷く。


「ま、だからなんだって話だけど」


「そうだね」


 中身のない会話を繰り広げながら大通りを進んでいると、氷見さんが飲み物の容器を俺に渡してくる。


「飲みたい」


「じゃあ何で渡したの!?」


「飲ませてもらいたいから」


 氷見さんはそう言って俺の方に顔を向ける。


 ストローの飲み口を向けると氷見さんは「そういうこと」と言ってストローを咥えた。


 ズズッと音がなったのでほぼ飲みきったようだ。


 軽く振るとまだ少しだけ水分が残っているようなので容器を傾けて最後の一滴までを飲み干す。


「砺波さん、気に入っちゃった?」


「結構美味しくて……まぁ次にいつ買えるかわかんないけどさ」


「面目ない」


 人気のパッケージを作ってしまって、ということだろう。


 二人で目を見合わせてニヤリと笑う。


 そんな中身のない会話を繰り広げているうちに、あっという間に分岐点に差し掛かった。


「あ、私が捨てとくよ。家、そこだし」


「ありがと」


 氷見さんはそう言って俺から飲み物の容器を受け取る。


「じゃ、また明日ね」


 俺がそう言うと氷見さんは「また明日」と言った。明日は金曜日。立ち飲み居酒屋でまた会う日だ。


「明日も会えるんだ。今週はお得だね。カレンダーに半額シール貼っとこうかな」


「なんで!?」


 氷見さんはふふっと笑うと容器を持っている手を俺に向けて振ってきた。


「おやすみ、砺波さん」


「うん。氷見さんもおやすみ」


 氷見さんに見送られる形で俺は一人で自分の家の方角へと向かった。


 ◆


 砺波さんはいつも通り、特に下心も見せずにさっと離れていった。


 その背中を見つめながら、最後に砺波さんが口をつけたストローを咥える。吸うとズズズッと音がして僅かに甘い味がした。


「間接キス……悪くないじゃん。砺波さん気にしてた? してないかな? ま、私が言ったからか……」


 前に「良さがわからない」なんて言った手前、めちゃくちゃ意識していたなんて言いづらい。


 けど、悪くない。


 妙なもどかしさをぶつけるため、おしゃぶりのようにストローを噛む。


 小さくなってしまった砺波さんの後ろ姿に「また明日ね」と言って私も自宅に向かって歩き出した。

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