第45話

 金曜日の夜、いつものように氷見さんと並んで立って飲むこと1時間。


 ふとしたタイミングで氷見さんが「今日はいつもと違うんだ」と言ってきた。


「何が違うの?」


 氷見さんは俺の方を見てニヤリと笑う。


「当ててみて」


 氷見さんの全身を使った間違い探しが始まった。


 だが、ぱっと見ではいつもとの違いがわからない。


「うーん……ありがちなのは髪型? けど巻き方も色も先週と同じだよなぁ……顔もいつも通りに可愛い――あ……」


 ふとした失言に氷見さんから軽いパンチが飛んでくる。


「ふっ、不意打ちはずるい!」


「あ、え、えぇとね! 変な意味じゃなくていつも通りってことで……いつも通りにね! そのー……いつも通りにお美しいみたいなね!」


「ふぅん……じゃ、違いは何だろうね?」


 ペースを取り戻した氷見さんは俺の方に身体を向けて両腕を広げる。まるで服を見せているかのようだ。


 よく見ると、色味はいつものモノトーン配色だが首の詰まったデザインでこれは見覚えがない。


「……新しい服?」


「あ、確かに。それも正解だね」


「じゃあ想定回答は別なんだ……うーん……あ、ちょっと痩せた?」


「初めて会った時から体重はキープしてるよ。ま、悪い気はしないね」


「なんだろ……背が伸びた?」


「伸びてないよ。というか砺波さん、当てずっぽうに褒めてればそのうち当たるなんて思ってない?」


 ギクリ。


「あ、あはは……どうかなぁ……」


 氷見さんのいう『違い』を当てるのは早々に諦めていた。氷見さんも褒められて満更でもなさそうなので、飽きるまでこれを続けようかと思っていたところだった。


「ま、当てずっぽうでもいいよ。自分でも気づかないところを褒めてもらえるし。我ながらいいシステムを思いついた。すごいぞ自分」


 氷見さんはグラスを持って焼酎のグァバジュース飲みながらそう言う。見た目には変わらないが中身の壊れっぷりからして、今日はかなり酒が入っているようだ。


「うーん……じゃ、ヒント欲しいな」


「いいよ」


 氷見さんはそう言うとグラスを置いて首の横で手をヒラヒラさせ、手首のスナップを効かせて上を示した。


「首から上?」


 氷見さんは無言で頷く。


 面積でいうとかなり絞られたので俺はガチで当てに行くために氷見さんとの距離を詰め、膝を曲げて目線を合わせる。


「うーん……? まつ毛パーマした? いや……違うか。化粧のこと良くわかんないからなぁ……ピアス……も前からしてるよね?」


 ブツブツ言いながら氷見さんの顔を色んな角度から観察していると、氷見さんは顔を赤くして逸らし、両手で軽く俺を押し返してきた。


「ち、近いよ……恥ずかし……」


「あ、ごめん……」


「あ、いっ……良いんだけど良くないというか、良くないんけど良くて……総論は良くなくなくて……心臓が破裂するというか……」


「破裂するの!?」


 戸惑っている氷見さんの視線の先にあるのは黒部お手製のにんにく餃子。


「あ、も、もしかして臭かった!? ごめんね……」


 心臓が破裂するほど臭かったのか。


「臭い……? あぁ……餃子ね。私も食べてるから一緒だし。臭くないよ。けど、いいヒントかも」


「俺の口臭がヒント!?」


 なおさら分からなくなってきたぞ。


「さ、何かなぁ?」


 氷見さんは耳にかかった髪の毛を手で払いながらそう言う。


「いやぁ……わかんないよ……降参」


 俺は両手をあげて降参の意を示す。


「正解はね……これだよ」


 氷見さんは側頭部の髪の毛を持ち上げてフリフリと揺らす。


「髪の毛? 色変えたの?」


「ううん。シャンプー変えたんだ」


「分かるわけなくない!?」


 しょうもな! という感想はぐっと飲み込む。酔っ払いの絡みなんてこんなものなのだから。


「匂いがぜんぜん違うんだ。ほら、嗅いでみて?」


 氷見さんが近づきながら髪の毛を束にして近づけてくるので恐る恐る匂いを嗅いでみる。ココナッツのような甘い香りだ。


「う、うーん……? いい匂いだけど前のを知らないから比較のしようがないよ」


「砺波さん、普段から私のことクンクンしてないんだ」


「してるわけなくない!? 仮にこっそりと氷見さんをクンクンしてたとして、俺がいきなり『う〜ん、氷見さん。シャンプー変えた?』って言ってきたらどう思う!?」


 氷見さんは冷静になり、顎に手を当てて考え込む。


「……とりあえずこの会は隔週開催にして家も引っ越す」


「正しい防衛策だね。急に連絡を断つと逆上して何されるか分かんないからね」


「フェードアウトだ」


 氷見さんは笑いながら自分の定位置にゆっくりと戻っていく。


「けど私は当てる自信あるけどなぁ。砺波さん」


「俺を当てる?」


「この店中のジャケットを集めたとして、匂いで当てられるかも。利き砺波さん」


「怖!?」


「だってこの匂いでしょ? わかるよ、絶対に」


 氷見さんはまた俺の近くに来てワイシャツの肩の辺りに鼻の頭を擦り付ける。


 目を閉じて嗅覚に集中している様はテイスティングをしているワインのソムリエのようだ。


「ちょ……臭いから……」


「全然。部屋と同じ匂いだよ」


「そ、そう? ちゃんと洗ってるつもりなんだけど……」


「ふふっ。そういうことじゃないよ。安心するんだよね、これ」


「あ、そうなんだ……」


 そのまま何度かスンスンと鼻で息をした氷見さんは「あれ?」と言う。


「どうしたの?」


「砺波さん、柔軟剤変えた?」


「氷見さん、来週のこの会はスキップで。あとそのうち無言で引っ越すけど気を悪くしないでね」


 氷見さんは俺から離れるとニヤリと笑い「すぐに新しい家を特定するから」とヤンデレのフリをして冗談を言ってきたのだった。

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