第41話

 居酒屋『梁山泊』では黒部の思いつきで不定期にイベントが行われる。今日のイベントのテーマは『童心』。


 普段のメニューに加えて駄菓子が食べ放題、懐かしい飲み物が限定メニューに追加されていて、毎週来ている俺と氷見さんは興味深くラインナップを眺め始めた。


「ラムネ飲んでみたいな」


「いいね。俺も頼もうかな。黒部ー、ラムネをふたつー」


 キッチンの方から黒部の「あいよー!」という声が聞こえ、少しするとラムネとセットの『うめぇ棒』を持った黒部がやってきた。


「これ、サービスね」


 黒部はさも超高額なサービスをしてやったかのようなドヤ顔で10円の風船ガムを置いて去っていく。


「たかが10円、されど10円」


 氷見さんは風船ガムに向かって両手を合わせてから一つをポケットに入れた。


「氷見さん。そういうとこいいね」


「砺波さん、まだ早いよ」


 氷見さんはそう言って笑いながらラムネのラベルを取る。


 ポロンと落ちた凸型の玉押しを見て氷見さんは首を傾げる。どうやらラムネを飲むにはビー玉を押し込まないといけない、ということを知らないらしい。


 ビー玉がガッチリと栓をしている瓶に口をつけてみるも、一滴も甘いシュワシュワの液体が落ちてこず、氷見さんはラムネのビンを見ながらまた首を傾げた。


「……ん? 出てこないな……」


 ぽかんとしている氷見さんがなんとも可愛らしい。


 助けを求めて俺の方を見てくるが、敢えて俺は自分のラムネに手を付けず、無言で氷見さんに微笑み返す。


「へぇ……そういうことするんだ……」


 氷見さんはジト目で俺を見てくるが、闘争心に火がついたらしく、また片手で瓶を掴んでその構造を観察し始める。


「うーん……? うん? ここが……こうで……ビー玉が落ちて……押し込む!?」


 自力で答えに辿り着いた氷見さんは答え合わせをしたいのか目を輝かせながら俺の方を見てきた。


 俺が無言で頷くと、氷見さんは早速玉押しをビー玉に押し当てた。今度はビー玉を押し込むところで力が足りないらしく、何度も「ふん!」と裏返った声で気合を入れながら押し込もうとしている。


「……砺波さん、ヘルプ」


「I need somebody?」


 俺が冗談めかしてそう言うと氷見さんは頬を膨らませて「誰でもいいわけじゃないよ」と返してきた。


「砺波さん、今日はやけにSっ気が強いね」


「そ、そうかな?」


「それはそれで良き」


 氷見さんは可愛らしい声でそう言うと俺に瓶を寄越してくる。


 体重をかけてビー玉を押し込むとボン! と小気味よい音が鳴って開栓。


 泡が立ち始めた瓶を氷見さんに渡す。


「砺波さん、ありがと」


「ご賞味あれ」


 氷見さんは一口飲んで「ブドウ糖が溶けた炭酸水だね」と身も蓋もないことを言う。


「そりゃそうだよ……」


「おいし」


 口元のニヤケを隠そうともせずに氷見さんはまたラムネの瓶を口につける。


 ビー玉の制御はお手の物らしく、うまいこと窪みに引っ掛けている。


 次に氷見さんが手に取ったのは『うめぇ棒』。「懐かしいなぁ」と言いながら袋を開けてお菓子を取り出した。


 一口かじりついた氷見さんは口の中の水分がなくなってきたのか水を飲む。


 そして、コップを置いて空いた左手を俺の背中に回して下から上に背骨に沿って指を這わせてきた。


「あふん!」


 いきなりのことに驚き、こそばゆさから変な声が出てしまう。


「ふ……ふふっ……『あふん』って……」


「いっ、いきなりでビックリしたんだって」


「小学生の時に流行らなかった? 背筋をなぞると寿命が縮むってやつ」


「あったあった」


「でしょ?」


 氷見さんはニヤリと笑ってまた俺の背中を下から上に向かってなぞる。


「あふん!」


 気を張っていたのにどうしても声が出てしまう。


「背中、弱いんだ?」


 氷見さんのニヤけ方はドSな人のそれだ。


「べっ、別に……あふん!」


 味をしめた氷見さんは俺の首筋を的確にくすぐってくる。


「なるほどねぇ……首が弱いんだ?」


「どうもそうらしいです……あ、そういえばこれってローカルルールなのかな……上から下だと寿命が縮むけど下から上だと寿命が伸びるってルールなかった?」


「あったよ。だから砺波さんの背中も下から上の順番」


 氷見さんの指の感触を思い出すと確かに下から上に向かってなぞられていた気がする。


「長生きさせてくれるんだ」


 氷見さんは「もちろんだよ」と伏し目がちに言う。どことなく寂しそうな目だ。


「日本人の平均寿命だと女の人は6年長く生きる。私と砺波さんの年齢差は8個。私達が平均寿命まで生きると仮定したら、14年間私は一人でここに来ないといけないんだ」


「その年になってもここに来てるんだ……」


 氷見さんは俺の目をじっと見た後に「どうかなぁ?」とおどける。


「ま、どこに住んでるかも知らないし、老人になっても一緒かどうかも分からないけどさ。老人ホームで再開するかもね」


「すごい先の話だなぁ……」


「そうだよ。けどね……どうせ死ぬなら砺波さんと同時がいいかな。14年も砺波さんがいない世界にいるのは辛いかも」


「じゃ、氷見さんの寿命を縮めてあげるよ」


「わ、人を下げることで自分を相対的に上げるタイプの人だ」


 氷見さんの毒舌ジョークを食らいつつも二人で目を合わせて笑い合う。


 氷見さんはテーブルに肘をついて顔を乗せ、少しだけ目を細めてじっとこちらを見てきた。


「いいよ。砺波さんと同時に逝けるなら。寿命、短くしてよ」


「氷見さん……」


 氷見さんの顔は笑ってはいるが、神様に祈るような言い方で、どこか悲痛な雰囲気を感じてしまう。


 俺はゆっくりと氷見さんの背中に指を持っていく。


 さすがにしっかりと指を付けるのは体を触ることになるから悪いため、当たるか当たらないかのギリギリを攻めながら指を首筋から縦に下ろす。


「んっ……ちょっ……あっ……」


 氷見さんは顔を真赤にして腕を噛んで声を殺す。


「変な声出さないでよ……背中をなぞっただけなんだから……」


「さっ、触り方が良くない! 良くないよ良くない良くなくなくなく……と、とりあえず……よ、良くはないけど良かったから……その……も、もう一回だけ……」


 氷見さんは混乱しているのか指を立ててもう一度と言ってくる。


「どっち!? もう一回? 本当に大丈夫?」


「うん。もう一回」


 言われるがまま氷見さんの背中を当たるか当たらないかの距離感ですーっとなぞる。


 氷見さんはカウンターに肘をついて身体を支えながらぷるぷると体を震わせている。


「ん……砺波さん、これやばいよ。本当に寿命縮みそう」


 興奮した様子で目を大きく開けた氷見さんにそう言われると、さすがに早死はしてほしくないと思ってしまう。


「じゃあもうやめとこうか……」


 氷見さんは首を横に振る。


「ううん。私は2回やったから砺波さんの寿命が+2年。私は2回されたから−2年。だからあと9年分やろうよ」


「えぇ……後九回も氷見さんの背中をなぞるの?」


 ニヤリと笑った氷見さんは首を何度も横に振る。


「ううん。9あふんだよ」


「まさか……あふん!」


 氷見さんの指が俺の背中を下から上に向かってなぞる。


「あと8回」


 氷見さんは心底楽しそうに笑っている。


 絶対にラムネの件を根に持ってるな。氷見さんを過剰にイジるのは金輪際やめよう、と決心するのだった。

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