第40話

 金曜日の夜。いつもの店、いつもの場所、いつもの面子で立ち飲みをしていると、不意に背後から「すみませーん」と声をかけられた。


 氷見さんと同時に振り向くと、そこにいたのはカメラを持った見知らぬ人の集団。


「あー……な、なんですか?」


「今、お時間よろしいですか? テレビの取材をしていまして〜。カップルの方にインタビューをしているんです。さっきまで他のテーブルの方のインタビューをしていて後ろから見てましたけど後ろ姿からお似合いでしたよ〜?」


 太い縁のメガネを掛けたディレクターらしき人がニヤつきながらそう言う。


「あー……別に――」


「大丈夫ですよ。ね? 砺波さん?」


 カップルじゃないし、というので俺があしらおうとしたのだが、氷見さんは俺に被せるように取材の許可を出してしまった。


「ちょちょ……」


 俺は氷見さんに後ろを向かせて他の人に聞こえないようにして話しかける。


「本当に大丈夫? 氷見さん、顔出しとかしちゃっていいの?」


「何かだめなことある? テレビの取材なんて楽しそうじゃない?」


 氷見さんはポカンとして首を傾げながらそう言う。


「いやまぁ……氷見さんがいいなら」


「じゃ、私に話を合わせてね。


 氷見さんはニヤつきながら囁くような声で俺の名前を呼び、また取材陣の方を向き直す。


 今日の氷見さんはいつもより多めに飲んでいたので、かなりはっちゃけているんだろう。


「じゃあ早速インタビューを始めますね。お名前はなんですか?」


「七尾です」


 出たよ。俺の架空の彼女こと、25歳のデザイナー職の七尾涼。


「あー……黒部です!」


 氷見さんに合わせて偽名でいこうとしたのだが咄嗟のことでいい名前が出てこずに店主の名前を借りてしまった。


「ありがとうございます。お二人はいつからお付き合いされているんですか?」


「3ヶ月前からです」


 氷見さんはふふっと笑いながら答える。当然のように嘘なのだが、こうも自然に嘘がつけるものかと思うと苦笑いしか出てこない。


「ちなみに……告白はどちらから?」


「うーん……気づいたら……みたいな感じです。ね?」


 氷見さんは俺の方を上目遣いで見てくる。


「そ、そうですね……本当、いつの間にかって感じで……あはっ、あははは……」


 嘘をつきなれていないのでどうしても不自然な反応になってしまう。


「良いですねぇ、初々しくて。彼女さんは彼氏さんのどういうところが好きなんですか?」


 氷見さんはボッと顔を赤くしてモジモジしながら「全部です」と答えた。


 思わずカメラマンが「可愛い……」と呟いてしまうくらいに照れた氷見さんの初見の破壊力は凄まじいらしい。


「で、では彼氏さんは?」


「彼氏さんは?」


 ディレクターの言葉を次ぐように氷見さんニヤニヤしながら俺に言わせようとしてくる。


「えぇと……そうですね……」


 チラチラとカメラと氷見さんを交互に見てなにか無難な事をひねり出そうとするが如何せん嘘がつけない。


「と、とりあえず可愛いのは大前提として、すごくしっかりしていて自分の夢に向かって突き進んでいて尊敬できるんです。けど、ここだと普通の女の子というか……毎週グァバジュースを呑んでるところとかも……いいかなって……」


 途中から氷見さんが見ていられないくらいに顔を赤くしているので俺も言葉から力がなくなっていく。


「あ……ありがとうございます!」


 ディレクターも俺達の微妙な空気を察したのか口をパクパクさせながらそう言った。


「では本題です。最後にエッチしたのはいつですか?」


「……ん?」


 氷見さんと顔を見合わせる。


「黒部さん、なんて聞かれた?」


「最後にエッチしたのはいつですか? だってさ」


「いつだっけ?」


 氷見さんが真顔で俺に振ってくる。


「あー……えぇと……」


 氷見さんはこのセンシティブな質問への回答を俺に丸投げしてきた。


 数日前と答えるのは生々しすぎる。かといって付き合って3ヶ月の設定なのにあんまり前を答えても視聴者に『早すぎないか?』と思われかねない。


 というかこれは何の番組なんだ、と思いながらスタッフが持っているステッカーを見ると、下世話な深夜番組をやっていそうな芸人の名前が入った冠番組ということが判明。受けなきゃよかった、と思っても後の祭りだ。


「じ、実はまだなんだす……」


「あっ、そうなんですね! それは失礼しました! インタビューは以上となります! ありがとうございました!」


 ディレクターは本題を聞き終えるとすぐにカメラマンと別の所へ行ってしまった。


 その直後にADらしき女の子が寄ってくる。


「ご協力ありがとうございました。こちらは映像の使用許諾書です。ここと……ここにサインをお願いします!」


「あのー……ちなみにさっきのインタビューってどういう番組で使われるんですか?」


 最後の爆弾質問に不安を覚え、つい尋ねてしまう。


「えぇとですね……スタジオの出演者に先程のインタビューの前半を見てもらって、その様子からお二人が最後にエッチしたのがいつかを予想してもらう、という企画なんです」


 超下世話!


「あ、そ、そうなんですね……」


「あ、あの! 気になるようでしたら顔と声の加工はさせてもらいますので! できたら前向きに検討いただけると嬉しいです!」


 若いADの女の子がキラキラした目を俺に向けてくる。


 その許諾書を前に悩んでいると、氷見さんが俺からその紙をひったくり、サラサラとサインを始めた。


 顔のモザイクと音声加工ありならオッケーという条件付承認にしたらしい。


「いいでしょ?」


「あ……うん。俺はそれなら大丈夫」


「じゃ、これでお願いします」


 氷見さんが紙を手渡すとADの女の子は笑顔で「ありがとうございます!」と言って去っていった。


 二人でカウンターに向き直り、感想戦を始める。


「砺波さん、お疲れ」


「氷見さんもね。最後の質問、俺に振るんだ……」


「あっ……あれはさすがに困ったから……ありがと」


「いいんだけど……咄嗟に嘘がつけないんだよねぇ……」


「へぇ……じゃ好きなところもガチなんだ?」


「あれは架空彼女の七尾さんに向けた言葉だから……氷見さんこそ『全部』なんて適当すぎるでしょ」


「架空彼氏に向けた言葉だからね。そういえば砺波さん、最後の方噛んでたよね。『そうなんだす』って言ってたよ」


 氷見さんは思い出し笑いをしながらそう言う。


「いやぁ……いくらバレないように加工されてるとはいえ、あれは使われないでほしいよ……」


「確かに」


 氷見さんは焼酎のグァバジュース割を口につけ、また思い出したようにニヤけている。


「可愛いのは大前提……ね」


「恥ずかしいからやめてくれる!?」


「永久保存版だなぁ」


 氷見さんはイジり以外の何かの要素を含んだニヤケ顔でそう言ったのだった。


 ◆


 会社の昼休憩。朝日さんと二人でランチが運ばれてくるのを待っている間に朝日さんが俺にスマートフォンの画面を見せてきた。


「砺波先輩。これって先輩と氷見ちゃんですよね?」


 朝日さんが見せて来たのは俺と氷見さんが受けたインタビューの動画。朝日さん、案外こういう番組も見ているのか、と意外に思う。


 約束通り放送版では顔にモザイクがかかり、音声も犯罪者へのインタビューのような低音ボイスに変わっていた。


「なんで分かるの……」


「先輩がモザイクを貫通してきてるんです」


「まじで!?」


「嘘ですよ。背景がもろにあのお店なので」


「あぁ……そういうことか」


 モザイクは人間だけなので背景でピンときたということらしい。


「けど……なんで付き合ってるなんて設定でインタビューを受けてるんですか……」


「その場のノリでさ。まさかそんな変な企画だとは思わなくて」


「ま、けどさすがに百戦錬磨の芸人さんは見る目がありますね。バッチリあたってましたよ」


「そうなの!?」


「はい。見てみます?」


 俺が頷くと朝日さんは俺と氷見さんのラストエッチ予測の部分を再生してくれた。


『いや〜これはまだヤッてへんやろ〜。ってかこれ、彼女さんは大変やろ〜。彼氏が真面目すぎるよ〜。何が『夢を追いかけて』やねん。そこは『乳がでかくて可愛い』でええねんて。ブイニーやて、ブイニー』


『3ヶ月目でそんなん言えるか! アホ!』


 そんな事言えるか!


 関西弁で述べられる予測は確かに当たってはいるが、それ以外はかなり俺に対して失礼な物言いで思わずずっこけてしまう。


「ブイニー……?」


「砺波先輩、そういうとこですよ」


 朝日さんは氷見さんのようなことを言いながら笑っていたのだった。

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