第39話
金曜日の夜。いつものように定時で仕事を終えて店で待っていると、氷見さんが射水さんを連れて店にやってきた。
氷見さんは俺に向かって手を振りながら、自分の右隣に射水さんを立たせる。
「射水さん、久しぶりだね」
俺がそう言うと射水さんは伏し目がちに「こんばんは」と言って会釈をした。あまり元気がない様子なので少し心配になる。
一方の氷見さんはいつも通りの雰囲気。射水さんを連れてきた理由を説明するわけでもなく、飲み物とつまみをオーダーした。
氷見さんと射水さんの飲み物が届くと、氷見さんは俺の方に射水さんを連れて距離を詰めてくる。
「近くない?」
「未来の話が聞こえなくなっちゃうから。今日はちょっと相談があって来てもらったんだ」
氷見さんは捨てられた犬を見るような目で射水さんを見ながらそう言う。
「相談?」
「うん。実はさ、未来に最近仲の良い男の人がいて……けど……なんか話を聞いてるとちょっとどうかなって思うところがあってさ。二人で話してても埒が明かないからここは大人の男性に話を聞いてみようと思って」
「……で、俺?」
「適任じゃない?」
「恋愛相談かぁ……ま、カウンセリングみたいなことなら。で、どんな人なの?」
氷見さんは射水さんに「話してみて」と合図をする。すると射水さんも酒を飲みながらゆっくりと話し始めた。
「えぇと……マッチングアプリで出会った人なんです。社会人で今年28の人で、すごく良い人ではあるんですけど、たまーにちょっと変というか……やたらと『男だから〜』とか『女は〜』みたいな言い方をするのがちょっと気になってて」
「なるほどねぇ……」
「けど! それ以外はすごく良い人なんですよ! そろそろ告白されそうな雰囲気で……受けたいんですけどそれが引っかかってるんです」
氷見さんは「どう思う?」と言いたげな視線を俺に送ってくる。
「そもそもこの話に結論が出ずにここに来てる時点で氷見さんは『ノー』だと思ってるってことだよね?」
「ま、なんとなーくだけど……ちょっと気になるなって。未来が卒業したらすぐに結婚とか言ってるらしいし」
「なるほどなぁ……その人って『普通はこうだろ?』みたいな事って言ったりするの?」
「あ、結構言いますね。私、スマホのカバーはつけないこだわりがあるんですけど、『普通つけるでしょ?』って言われて。別にどっちでも良くないですか!?」
「あはは……う、うんうん。そうだねぇ」
まじでどっちでも良いわ! という言葉をぐっと飲み込む。だが自分の考えを押し付けるタイプではあるらしい。
「ほ、他に気になるところはあるの?」
「なんかその人、地雷系のファッションが好きらしくて。私の系統とはまるで違うんですけど、地雷系の女の子を街中で見ると私にも勧めてきたりするんですよね」
「おぉ……それは……」
やたらと男女規範や自分の常識を押し付けたがり相手を自分色に染めたがる。モラハラ気質なところが見え隠れしている気がした。
「やっぱり……やめたほうが良いんですか?」
射水さんが困り顔で尋ねてくる。結論は『やめておく』なのだが伝え方に悩むところだ。
「うーん……そもそも論だけど相談してる時点で『やめとけ』って直感してるってことだと思うんだよね。話を聞いてる限りだと、その人って結構なモラハラ気質な可能性もあるし……それに射水さんって自己肯定感が低いタイプだったりしない? そういう人は抜け出せなくなるからやめといたほうがいいし、それはそれとして射水さんも自己肯定感を上げていった方が良いと思うよ。結局相手によらず依存体質になっちゃうから」
酒の勢いもあり、思ったことを素直にぶちまける。
すると、射水さんと氷見さんはポカンとしてしまった。
そして、氷見さんはニヤリと笑って射水さんの方を向く。
「ほら、砺波さんも私と同じこと言ってる。そんなに焦らなくて良いよ、未来。私がいるじゃん」
氷見さんはそう言って射水さんと肩を組んで頬をこすり合わせる。
「涼せんぱぁい……」
「そういえば、その人ってどこで働いてる人なの? 業界とかさ」
「
「おぉ……総合商社……」
エリート高給取りの代名詞。朝日さんなら何か知ってるだろうと思って連絡をしてみる。
『茶楽商事の男の人ってどうなの? 合コンの成果的に』
朝日さんからすぐに返信がくる。
『無いですね。すっごい態度が大きい人か、やたらとエリートな俺すごい感を出す人しかいないです。サンプル数は20で19人がそうでした』
俺は朝日さんにお礼を送ると、無言で朝日さんとのやり取りを二人に見せる。
「と、いう体験談もあるから、結論はまぁ……そういうことだね」
俺がそう言うと射水さんは憑き物が落ちたように晴れやかな表情で「ありがとうございます」と言った。
「やっぱり単に背中を押してほしいだけだったんだね……」
「ま……まぁ、そういう事ですね。はぁ……中々いい人とは出会えないですね。涼先輩が羨ましいです」
射水さんは恥ずかしそうに頬をかきながらそう言う。
「えっ……ひ、氷見さんもマッチングアプリしてるの?」
俺の質問に空気が凍る。
しばらくして氷見さんは大笑いしながら「してないよ」と答える。
「砺波さん……本当……ふふっ……な、なんで人の事はすごい的確に分析できてたのに自分のことになるとそんなに……ふふっ……」
氷見さんは俺の何かがツボに入ったらしくお腹を抑えて笑っている。
「砺波さん、相変わらずなんですね」
射水さんも俺の方を見て笑っている。
「なになに……何か変なこと言った?」
「何も。あ、砺波さん。私も一つ相談があってさ」
「なんでも聞きましょう」
「アラサーの男の人でね、たまに話すんだけどすごく波長の合う人がいるんだ」
「そ、そんな人がいるんだ……」
氷見さんはマッチングアプリをしていないとは言ったがいい感じの人がいないとは言っていなかった。心に重石が乗ったようにズーンと気持ちが沈む。
最近は少しいい雰囲気だと思っていたが、俺もその男と天秤にかけられていたりするんだろうか。けど仕方がない。氷見さん程の美人なら引く手は多すぎるくらいだろう。
「そ。で、何度かお泊りもしててさ。ちょっといい感じにもなったこともあって。けど結局何もなくて……私ってキープされてたりするのかな?」
けしからんやつがいたものだ、と思う。このフラグ、早めに折っておくべきだろう。氷見さんとの貴重な金曜日の立ち飲みが失われるのは惜しい。
「うーん……ま、何にしても碌なやつじゃないよ。氷見さんに思わせぶりなことをしてるなんてさ。やめときなってそんな人。射水さんと一緒にさ、振り切る良い機会なんじゃない?」
俺は全力でその男とのフラグをへし折りにかかる。射水さんの件で的確なアドバイスをした今の俺の言葉なら氷見さんにも刺さるだろう。
だが、氷見さんは「ふふっ」と笑うのみであまり俺の言葉が響いている感じはしない。
「砺波さんはそう思うんだ?」
氷見さんは笑顔で俺との距離を詰めてくる。
「そ、そうなんじゃないかな?」
予想外の反応に驚きながらも俺は自分の作戦を継続する。
「そっか。けどさぁ……離らんないんだよねぇ。そういうとこが良くて。筆でくすぐられてる感じっていうのかな? ずーっと気持ちいいんだよね」
「氷見さんさぁ……射水さんの心配をする前に自分の心配をした方が良いよ……やばい沼にハマってるじゃん……」
氷見さんも案外盲目なタイプらしい。呆れ半分で俺がそう言うと氷見さんの隣でビールを飲んでいた射水さんが「ぶーっ!」と勢いよく吹き出してテーブルにビールをぶちまけた。
「あら……大丈夫? これで拭いて」
俺はポケットからハンカチを取り出して射水さんに手渡す。
「砺波さん、そういうところ……ほんと最高だよね」
氷見さんはビールが飛び散ったハプニングにも動じずにカウンターで頬杖をついて俺の方を見ながらそう言ったのだった。
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