第38話
金曜日の夜、いつものように氷見さんと並んで飲んでいると、隣から氷見さんが「どうしたの?」と声をかけて来た。
「え? 何か変だった?」
「うーん……うまく言えないけど……なんか変。飲むペースもいつもより遅いし。もしかして……健康診断で何か引っかかった?」
氷見さんは心配そうに俺の顔を覗き込んで来る。
氷見さんの眉尻が下がっている光景は貴重なので心配させているにも関わらずつい顔が綻んでしまう。
「ううん。オールAだったよ」
「なら良かった」
氷見さんはそう言いながらも、可愛らしく頬を膨らませて俺の脇腹を何度かつついてきた。
「どうしたの?」
「心配させられたから仕返し。結果が出てたなら早く教えてよ。悪いところがあったら気を使わせちゃうし、こっちからは中々聞きづらいんだよ? 今日、お店に来てからの2時間、ずっとハラハラしてたんだから」
「あ……ごめんね。そんな心配されてるとは……」
「貴重な飲み友達だから死なれちゃ困るんだ。私の左側が空いちゃうから」
氷見さんは穏やかに笑いながらそう言う。
氷見さんも既に居酒屋『梁山泊』の常連。金曜日におけるカウンター席の壁際から1人分ずれた場所は氷見さんの特等席と言っても過言ではない。
「まだまだ肝臓もいけそうだから。しばらくはここに来られるよ」
「……良かった」
氷見さんはほんのりと微笑みながら飲み物をぐいっと煽った。
そして思い出したように「じゃあ何があったの?」と尋ねてくる。
「実は明日、友達の結婚式があってさ。あんまり呑み過ぎると明日に響くなぁって思ってたんだ」
「へぇ……やっぱりそのくらいの歳が結婚式のラッシュなの?」
「そうだねぇ。高校や大学の友達とか、たまに会社の人とか。まぁそんなに仲良くなかった人にもたまに呼ばれてるんだけど」
「……それ、ご祝儀狙いじゃないの?」
氷見さんは架空のご祝儀目当ての人に眉をひそめながら聞いてきた。
「ま、そうかもしれないけど誘われたら断れないしさ……それに、なんだかんだでいいもんだよ。人の結婚式を見るのって」
「へぇ……あんなの、幸せな人が笑顔で合法的にやれるカツアゲじゃない?」
「ははっ! 確かに!」
氷見さんと目を見合わせて笑い合う。
「砺波さん、いい人すぎるんだよ。お願いしたらなんでもしてくれそうな雰囲気出してるし。あ、黒部さーん。ヒレカツください。揚げたてで」
「カツアゲに引っ張られてるね!?」
氷見さんは口元だけで笑って返事の代わりにした。
机に肘をつき氷見さんが話始める。
「ま……ってことは砺波さんもいずれは皆にカツアゲするんだ? 盛大な結婚式で」
「うーん……ま、いろんな人の結婚式を見て思うのは、別に自分の時はたくさんの人はいなくていいかなって……なんなら二人でもいいかな」
氷見さんは「本当、いい人過ぎるね」と言ってグラスに口を付ける。
喉を何度か上下させて焼酎のグァバジュース割を流し込み、テーブルにグラスを置くタイミングで「賛成」と言った。
「何が賛成なの?」
「こじんまりとした結婚式。国内が良いよね。滝が見える山荘とかどう?」
「どうって……氷見さんの理想は良いと思うけど、俺の理想の結婚式に賛成も何もないような……」
「そっ、それは……砺波さん、良くないね。それは良くない気づきだよ」
氷見さんはそう言って最後の一つになっていたチキン南蛮の切れ端を俺の口にねじ込んできた。
「これは良くないんだ……」
「ま、少しくらい口出ししてもいいじゃん。その時はご祝儀払うから」
「ならいいか……ってこじんまりとしてるのに氷見さんは呼ぶの!?」
「呼んでくれてもいいよ。ほら、記念の絵も描くし。新郎新婦の二人の絵」
「それはむしろお金を払って来てもらうレベルな気がするよ……」
「値段は新婦の人次第かな。朝日さんならタダにしとくよ」
「ないない」
俺は笑いながら否定する。
「黒部さんは?」
氷見さんは声を押し殺して聞いてくる。
「もっとないよ」
「……私は?」
氷見さんが上目遣いで俺を見ながら尋ねてくる。
流れで「ない」と言うのは簡単だ。だけど、氷見さんの目を見ていると、そんな風に茶化せる雰囲気ではなさそうだ。
「……ありえなくは……ない?」
氷見さんは真顔のまま何度か瞬きをすると「だよね」と言って定位置に戻っていく。
「ま、楽しみにしてるよ」
「な……何を?」
「砺波さんと一緒にカツアゲする時を、ね」
氷見さんは嬉しそうにウィンクをする。
「その時は絵を描く人は別に用意しないとだね」
俺がそう言うと氷見さんはポカンとして固まってしまった。
「氷見さん? どうしたの?」
「……砺波さん、今日は妙に察しが良いなぁ……『カツアゲはダメだよ、氷見さん』って言ってくると思ったのに」
「あんまり飲んでないからじゃない?」
氷見さんは俺の言葉に笑いながら首を横に振り、「素面とそんな変わらないよ」と言ったのだった。
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