第35話
金曜ならいつでもいいと伝えた結果、朝日さんは爆速で調整に走り、話をした2週間後にナイトプールの会が開かれることになった。
屋内型のプールは薄暗く妖しい色合いのネオンの装飾が施されている。
男性陣は先に着替えを済ませて女性陣を待つことになったのだが、俺の他にいる3人は全く見たことがない人。
朝日さんの同期、即ち他部署の新人ということらしい。
「モナミさんって優しいんですねぇ。朝日がまとめて買ったチケットが余ったからって、わざわざ参加するなんて」
朝日さんはこの場に俺がいることの自然さを出すために適当な嘘を皆についているらしい。
「けど朝日のインストラクターとかエグいっすね! 毎日一緒ってコトっすか!? えぐっ!」
「ぶっちゃけ俺らもワンチャンあるんすかね? 朝日ってそういうのどうなんすか? コナミさん」
「そ、そうだね……恋人とかそういうプライベートな話はあまりしないからわかんないかな……」
俺はZ世代の圧力に気圧されながら苦笑いをして答える。
そうこうしていると、着替えを終えた女性陣がやってきた。朝日さん、氷見さん、ほか2名。
真っ先に目が行ったのは氷見さん。程よい露出加減の黒いビキニの上からパーカーを前を閉めずに羽織っている。
「さすが朝日の大学の友達……爆美女しかいないわ……エグいぞ……」
「黒い水着の子めちゃくちゃ可愛くないか? ヤバッ!」
3人はさっさと朝日さん達の方へと近づいていく。水着の美女が来ればそれなりの態度で出迎えるのが礼儀だろうとは思いつつも、他の3人の若さに押されて少し距離を取りながら遅れて合流する。
氷見さんは話しかけられても恥ずかしそうに俯いている。緊張している時に出がちな硬いスマイルを見せている。ちらっと目が合うと、氷見さんは安心したように微笑んでくれた。
そんな若人達の様子を見ていると、朝日さんが集団から抜けてきて俺の隣に来る。
「砺波さん、男性陣は若いチャラ風な人で固めておきました。イケメンもいません。後々話を聞かれるのも面倒なので同じ部署の人も省きました。お膳立てはしておきましたからね。意図は分かりますね?」
「あ……うん、ありがとう。けど……お膳立て?」
朝日さんは「フフフ」と得意げに笑う。
「氷見ちゃんの好感度バク上げ作戦ですよ。周囲にいるのは同年代だけど浮ついた男性陣。そこに落ち着いた雰囲気の砺波さんがいる。砺波先輩は氷見ちゃんの隣をキープしてれば良いんです! 氷見ちゃんもこういう派手なところは好きじゃなさそうですし、敢えて砺波先輩が落ち着いた雰囲気を出すことで差別化を図るんです。いつも通りにしていれば、勝手に周囲とのギャップで好感度が上がっていくはずですから」
「なるほど……まぁ……うん。いつも通りに過ごすよ。ありがと」
「はい! 他の3人は私に任せてください。お二人はいつものようにバーカウンターでお楽しみくださいね。あ……そういえば氷見ちゃん、着痩せするタイプでしたよ。ぼんっ! です。ぼんっ!」
朝日さんは最後にニヤリと笑って胸のあたりに手を当てて爆発するジェスチャーをすると駆け足で集団に戻り、プールの中心にある大きなオブジェを指差した。
すぐに6人が移動を始める。
氷見さんはその集団についていこうとしたが、ちらっと俺の方を見ると、駆け足でこっちに向かってきた。
「お、お待たせ……」
氷見さんは水着に慣れていないのか妙にモジモジしていて、時たま自分のお尻に手を伸ばして水着の位置を整えている。
「あ、うん。バーカウンター、行く?」
氷見さんはコクリと頷く。
二人でドゥンドゥンと四つ打ちのバスドラムが鳴り響く中、バーカウンターに向かって並んで歩く。
「砺波さんの会社ってあんな感じの人が多いの? チャラいというか……ガツガツしてると言うか……」
「あはは……アレはだいぶ偏ってる気がするけどね……朝日さんの同期だから俺は良く知らない人達でさ。さっきなんか名前間違えられちゃったよ。コナミさんだって」
「ゲーム作ってそうな名前だね」
氷見さんは言い間違えがツボに入ったのか「ふふっ」と笑う。
「ま、けどゲーム会社ならいい方だよ。私の中学時代のあだ名なんて酷いもんだよ」
「そうなの?」
「ジミさん。地味だったから」
スケッチブックを脇に挟んで一人で移動し、教室の隅で絵を描いている氷見さんの姿が容易に想像できる。
「あー……」
「しっくり来るよね」
氷見さんは自虐気味に笑う。
そのままバーカウンターに到着。カウンター席の左端に俺が向かうと右隣に氷見さんが着席した。
「やっぱりここが落ち着くね」
右を向くと氷見さんの横顔の左半分が見える。
「確かにね」
氷見さんと目を見合わせてニヤリと笑う。やっと金曜日がやってきた、という感じだ。
飲み物を注文して出来上がりを待っていると、場内には懐かしい音楽が鳴り響いた。
「うわぁ……懐かしいなぁ。10年前くらいの曲だよね」
「うん。知ってる」
「大学生の時によく聞いてたなぁ」と俺が言うと
「小学校の給食の時間に流れてたよ」と氷見さんも同時に思い出したように言った。
二人で目を見合わせて笑う。
「小学生かぁ……」
「私は逆に案外年の差を感じる瞬間ってないんだなって思うけどね」
「そう? ワンチャンエグくね?」
「ふっ……あはっ……砺波さんそれ反則……ふふっ……ひっ……」
俺が新人の男性陣の真似を披露すると、それが氷見さんのツボに入ったらしく引き笑いまでし始める始末。
「やー氷見ちゃんエグいてー」
「あはっ……あはは! それダメ……お腹痛っ……ふふっ……攣った! いてて……砺波さん、笑わせすぎ。見てよ。横腹攣っちゃった」
氷見さんは笑いながらパーカーの裾を持ち上げて横腹を見せてくる。真っ白な肌を外からいくら見ても筋肉の攣り具合なんてわかるわけはないのだが、腰にかけてのラインがとても綺麗でつい見惚れてしまう。
「あっ……う、うん……ごめんごめん!」
「変なの」
氷見さんは俺がそんな気持ちになっているとは知らない様子でふふっと笑っている。
「けどさぁ……あれはあれで大人だよね」
氷見さんは身体を180度回転させて椅子に座り直し、プールで遊んでいる人達を見つめる。
「どういうこと?」
「プールでははしゃぐもの。だからはしゃぐ。その場の趣旨に合わせた行動っていうのかな? そういうのができるのもある意味大人かなって」
「無理してでも合わせないといけない時はあるだろうけど、今はそうじゃないよ」
「ま、そうだけど。私、好きな言葉があるんだよね」
「何?」
「郷に入っては郷に従え」
「まさか……」
「プール、砺波さんと一緒に入ってみたいなって」
「あ……うん。いいよ。一杯飲んだら行こうか」
「ううん。3杯くらいかな。一杯じゃ多分素面に近くて弾けきれないから」
「氷見さん、やる気だねぇ……」
氷見さんは真顔のまま「うぇーい」と言いながら明後日の方向を見て裏ピースを俺に見せつけてきたのだった。
◆
プールに入水。腰の高さくらいの水は温水で風呂ほどではないが生暖かい。
二人で腰までぬるま湯に浸かり、手持ち無沙汰なままあたりを見渡す。
「……これで何するんだろ? 泳ぐ?」
氷見さんが首を傾げてそう言う。
「泳いでる人はいないけど……写真を撮ってる人ばかりだね?」
「私、スマホはロッカーに置いてきたよ。貴重品だし」
「俺も……」
――じゃあもうやることないな!?
氷見さんと二人でポカンとしたまま見つめ合っているとどちらからともなく「ふっ」と吹き出した。
「とことん向いてないね、私達」
「だよね」
一度プールに入った上で、バーカウンターに戻るという判断を二人でする。
その瞬間、場内に響いていた音楽が止まり照明が一段と暗くなる。
「えっ……な、何!?」
足を止めてキョロキョロしているとどこからともなくDJのような良い声の人で『ディスイズフライデイナイッ、パーリナイっ』と聞こえてきた。
音楽もEDM系に変わり、よりパリピ感が強まった空間に変わる。
照明が戻ると、あちこちに水鉄砲を持った人がいた。
「これはマズい」
氷見さんは陽キャの巣窟に取り残されたことを察してそう呟く。
「あー! いたいた! やっちゃえー! エイム……ファイア!」
バーカウンターに逃げようとした矢先、プールサイドを朝日さんを始めとする6人に塞がれる。
全員が水鉄砲の銃口を俺達に向けて、同時に水を放ってきた。
「わっ……やめっ……あははっ! 氷見さん盾にしないでよ!」
手で水をかいて反撃するも、氷見さんは俺の背後に隠れてしまった。
背中合わせで立っている氷見さんは小刻みに震えている。
「砺波さん、いいヤツだった……」
「殺さないでくれる!?」
前方からは水、後方からは氷見さんのボケが飛んでくる蜂の巣状態となってしまうのだった。
◆
少しだけ他の参加者と仲良くなって解散。家の方向はバラバラのため結局氷見さんと二人になり電車のロングシートの隅に腰掛ける。
「氷見さん、大丈夫だった?」
「うん。知らない世界で、すごく楽しかったよ。ま……しばらく四つ打ちの音楽はいいかな。明日は変拍子だけ聞いてるかも」
「そこ飽きるんだ!?」
「それと……砺波さんの『そういうところ』の良さって誰でも持ってるわけじゃなくて、砺波さんのそういうところ、いいよねって改めて思ったかな」
具体的には言及されていないが朝日さんの狙いは大成功したということなんだろう。
「……砺波さん、ニヤけてるよ」
「え? 本当?」
「うん。珍しく伝わってるのかな?」
「どうだろ……」
「ま、いいや。ね、砺波さん肩借して。最寄り駅まで」
氷見さんはそう言うと俺の許可が出る前ににもたれかかってくる。どうやら相当に疲れてしまって眠かったらしい。
すぐ近くにある氷見さんの寝顔も相応にニヤけている。ニヤけてるのはどっちだ、と思いながら氷見さんの寝顔を見つめるのだった。
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