第33話

 金曜日の夜、氷見さんといつものように立ち飲みをしていると、氷見さんが壁に貼られた『今日のおすすめ』をボーッと眺めて「ホヤかぁ……」と呟いた。


「好きなの?」


「ううん。食べたことないけど……食わず嫌いってやつかな」


「なるほどね。美味しいけど、クセもあるから人によるかなぁ」


「砺波さんは何かあるの? 苦手な食べ物」


「うーん……何かあるかな……」


 俺はパッと思いつかず、店のメニューを手に取る。


「あー……あるね」


「言わなくて良いよ」


「なんで!?」


 途端に氷見さんが会話を打ち切るので驚いてしまう。


 氷見さんはニヤリと笑って『本日のおすすめ』を指差した。


「食わず嫌い王、やろうよ」


「あー……相手の嫌いな食べ物を当てるやつね」


「そ」


「氷見さんはもう正解がバレてるけど良いの?」


「別の物にするから大丈夫だよ。じゃあ……3品ずつ選ぼっか。2つは好物で、1つは食べられないものね」


「了解」


 二人で並んでそれぞれがメニューを見ながら3品の吟味を始める。


 苦手な食べ物で、この店で注文できるものだとザーサイがある。後は食べられる物。


 クセがあって普段注文していないものなら氷見さんも予想しづらいだろうから、白子ポン酢とアボカドをチョイスする。


「氷見さん、決めた?」


「うん。たこわさと冷やしトマトとザーサイかな」


「俺はザーサイと白子ポン酢とアボカド」


「……ザーサイ被り? 美味しいよね。何にでも合うし」


 氷見さんが早速探りを入れてくる。本当はザーサイは独特な香りのせいで好きではないが、好きなフリをしないといけない。


「あ、う、うん……担々麺とかに入ってるとテンション上がるよね」


「わかるわかる。単品で食べてもムニュッとした食感がいいよね」


「むにゅ? コリって感じじゃない?」


「……黒部さーん! 注文良いですか?」


 何となく分かってきたな、なんて思いながら俺の分もまとめて頼んでくれている氷見さんの横顔を眺めるのだった。


 ◆


 俺の前には小鉢が2つ。ポン酢のかかった白子と、ダイス状にカットされ醤油が添えられたアボカドがある。


 氷見さんの前にはたこわさと冷やしトマト。


 そして二人の間にザーサイと言う布陣だ。


「揃ったね。始めよっか」


 氷見さんの宣言で食わず嫌い王が開幕。


「で……ここからどうするの?」


「一つずつ食べてみよっか。で、その時のリアクションをヒントに推測していく感じで」


「オッケー」


「じゃ、砺波さんから。白子ポン酢だね」


 氷見さんに指定された白子ポン酢を箸でつまんで口に放り込む。


「うん。美味しいね」


「好き?」


「うん」


「うんじゃなくて……ちゃんとこっちを見て言って欲しいな」


「えぇ……」


「言い方や視線もヒントになるから」


「氷見さんの観察力に勝てる気がしないんだけど……」


「はい、もう一口」


 氷見さんに促されるまま白子ポン酢を食べて氷見さんの方を向く。


 ゆっくりと咀嚼し、飲み込んでから「好きだよ」と言うと、氷見さんは何故かダメージを食らったように「うっ」と声を漏らして顔を逸らした。


「……何?」


 俺の質問に氷見さんは答えずに首を横に振る。


「なんでもないよ。次は……アボカドだね」


「はいはい……」


 アボカドを口に含む。咀嚼している間に氷見さんが小さく手を挙げて何かを言いたそうな態度を取った。目で「話して」と促す。


「アボカドと白子、どっちが好き?」


 アボカドを飲み込んでから「アボカド」と答える。


「そうなんだ。じゃあ次は『大好きだよ』って言ってみてくれる?」


「えぇ……恥ずかしいんだけど……」


「アボカドが好きって宣言することが恥ずかしいなんて変なの」


「ま、たしかにね」


 氷見さんの言うことにも一理ある。


「大好きだよ」


 氷見さんの目を見ながらそう言うと、氷見さんはまた顔を逸らして慌ててグラスを口につけた。


「なっ……なるほどなるほど……」


「言わせといて照れないでよ……アボカドが好きって言ってるだけなんだから……」


「たっ……たしかにそうなんだけど……ざっ、ザーサイ!」


 氷見さんは顔を赤くしてザーサイを指差す。


 覚悟を決めてザーサイを口にいれる。むにゅっ、コリコリといった食感はいいのだが、どうしてもクセのある匂いに身体が拒否反応を示しそうになる。


 ポーカーフェイスで早めに咀嚼を切り上げて飲み込み、「好きだよ」と言う。


「へぇ……」


 何故かこれは氷見さんには刺さらず、冷ややかな視線で見られてしまった。


「……氷見さんの番だよ」


「じゃ、私はトマトから」


 氷見さんはスライスされたトマトを口にいれる。生のトマトが嫌いな人は多いので、これが当たりの可能性も大いにある。


 氷見さんは何度か咀嚼をして飲み込む。


 トマトを飲み込んだ後も俯いたまま何も言わないのでどうにも怪しいところだ。よっぽど嫌いなものを食べたので苦しい、みたいな感じなのかもしれない。


「あ、あれ? どうなの?」


「……好き」


 氷見さんは俯いたままぼそっと呟く。


「ルールが違うよ!?」


「……いいじゃん」


 氷見さんは俺の指摘を無視してたこわさをつまんで口に入れた。たこわさは前に食べているところを見たことがあるので好物なのは知っている。


 だが、氷見さんは横目でちらっと俺の方を見ながらまたも顔を赤くして「……好き」と小さく呟いた。


「めちゃくちゃ難しくしてるね……」


「そっ……そうだよ。そういう作戦だから」


 氷見さんは最後にザーサイを口にいれる。


 これまでとは違いさっさと咀嚼を終えて「うんうん、好き好き」と適当な雰囲気で言った。


 お互いに3品全てを食べる様子を見せたためシンキングタイムに突入。どれが氷見さんの嫌いな食べ物なのかを当てる時間だ。


 注文前の会話からしてザーサイが本命かと思っていたが、氷見さんの反応からしてトマトも怪しいところだ。


「うーん……トマトとザーサイの二択なんだけどなぁ……トマトの時の態度があまりに怪しい……」


「そうだけどそうじゃないよ」


 氷見さんは笑いながらいつもの口癖を口にする。これも攪乱作戦の一環なんだろう。


「砺波さんはわかりやすかったよね」


「そうなの?」


「言い方が違ったから」


 氷見さんは穏やかに笑いながら俺に早く決めろと促すように腕をつついてくる。


「じゃ、決めた。同時に指さそうか」


 俺がそう言うと氷見さんもすぐに頷く。


「うん。いいよ」


「せーのっ……」


 俺の掛け声で氷見さんと同時に手を出す。俺が指差したのはザーサイ。氷見さんが指さしたのもザーサイだ。


「正解だよ、砺波さん」


「うん。俺も正解」


 二人共ザーサイが嫌いということが判明。


「始まる前のやり取りさ、二人共ザーサイが嫌いだったのにザーサイを褒めてたってことか……」


「ふふっ……確かにそうなるね。ごめんね、ザーサイ」


 氷見さんはザーサイに謝罪しながら俺の方に向かってザーサイの載った皿を滑らせる。


「俺も嫌いなんだって……」


「あ、そうだった」


 氷見さんはペロリと舌を出して笑う。


「けど、氷見さん。トマトの時は名演技だったね。本当に『好き』って言えない人みたいだったよ」


 氷見さんは顔を真っ赤にして俺の右腕を叩いてきた。


「そっ……そうでしょ!?」


「なんで声が裏返ってるの……」


「砺波さんのそういうとこ、本当……良いよね!?」


 氷見さんは何かを誤魔化すように慌てながらそう言った。


 本当はトマトが嫌いだったのか……?

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