第32話

 聞き慣れないアラームの音で目が覚める。


「あぁ……私だぁ……ごめん……」


 ソファの方から氷見さんの寝起きでかすれた声が聞こえ、少ししてアラームが止まる。


 スマートフォンで時間を確認すると朝の七時半。休みの日も規則正しい生活をしているらしい。


「二度寝だね……」


 ソファの方から「うん」と聞こえたのと同時にまた眠りにつく。


 寝ているのか起きているのか自分でも曖昧なまどろみの中で過ごしていると、今度はインターホンの音で目覚めた。時計を見ると二時間くらいが二度寝によって経過していた。


「あぁ……配達かぁ……」


 ベッドから降りてインターホンの前に向かう。「お願いしま〜す」と寝起き全開の声でエントランスのオートロックを解除。


 配達員が部屋の前まで来るのを待っている間、暇になったので振り返ると氷見さんは頭から毛布を被っておばけのような格好でソファに座っていた。


「何してるの!?」


「……寝起きの顔、見せらんないから」


「そんなに……?」


「酒、徹夜ゲーム、酒。むくむよね。ムクムクだよ、ムクムク」


「なるほど……」


「砺波さん、蒸しタオルが欲しいな」


「虫……? あったかなぁ……あ、てんとう虫の柄ならあるけど」


「ふふっ……ちっ……ちがうよ……ふふっ……蒸したタオル……レンチンで……いっ……ふふっ……」


 毛布のお化けのツボに入ったらしく、毛布が小刻みに震えている。


 そこで俺は自分の勘違いに気づく。


「あっ、あぁ……蒸したタオルか! 寝起きで頭が回ってなくてさ……」


「濡らして絞ったタオルを500ワットで一分くらいチンしたらできるよ」


 氷見さんも寝起きなので深入りしてイジることはせずにそう言って毛布の中でモゾモゾと動き回っている。


「はいはい……」


 洗面所に行きタオルを濡らして絞る。


 レンジでチンをしている間に宅配便を受け取り、段ボールとホカホカのタオルを持って部屋に戻る。


 毛布の隅にタオルを置いて「どうぞ」というと、毛布の裾あたりから白い手が出てきて蒸しタオルを持っていった。


「あー……最高……砺波さん、ありがと。宅配、何が来たの?」


「フルーツの詰め合わせ。ふるさと納税の返礼品だね」


「へぇ……」


 毛布の中から「じゅるり」とわざとらしい音が聞こえた。


「……食べる?」


「えぇ!? いやいや! 悪いよぉ! 砺波さんが寄付をしたお礼にもらった物なのに私が貰うのは、ねぇ?」


 氷見さんは棒読みで毛布の中から答える。


「じゃ、毛布の中から出てきなよ。ここに箱があるからさ」


「はぁい……」


 蒸しタオルのむくみ取りが終わったらしく、氷見さんは毛布の中から腕を出し、テーブルの上にあるメガネを取った。


 毛布の中でメガネを掛け、氷見さんは頭から毛布をかぶる形で顔だけを覗かせた。


「や、おはよ。砺波さん」


 どすっぴんではあるが、タオルで蒸された肌はツヤツヤしていて、自然な雰囲気をまとっていた。その姿を見ているだけで妙に胸がざわつく。


「えと……あ……うん」


「どうしたの?」


 俺が聞きたいくらいだ。妙に氷見さんを意識してしまい、本当にどうしてしまったのか。


「なっ……なんでもないよ」


「そっか……わ! すっごいメロン! あー……けど折角なら冷やして食べたいね」


「冷蔵庫に置いてくるね」


「うん。あー……雨なんだ、今日」


 毛布を頭から被ったまま、氷見さんが振り返って窓から外を見る。


 電気をつけていないので光源に乏しい部屋は薄暗い。


「雨なんだよねぇ……今日って暇なんだっけ?」


 俺の質問に氷見さんは外を見たまま頷く。


「暇だよ。けど……予定がある日に雨が降ったら無理矢理でも行こうってなるけど、雨が降ってるタイミングで予定を考えるって難しいよね」


「ま、行けるところも限られちゃうしね」


「だよねぇ。ね、砺波さん」


「何?」


 氷見さんは被っていた毛布を外して、曇り空を吹き飛ばすくらいの笑顔で振り向いてきた。


「仕方ないから家で過ごそうか。残念だけど」


 言葉とは裏腹に氷見さんは笑っている。


「……そうだね。本当、残念」


 俺も氷見さんに釣られるように顔がほころぶ。


「砺波さん、笑ってるよ」


「氷見さんもだよ」


「私はメロン待ち」


「俺もだよ」


「本当かな?」


「本当だよ」


 氷見さんが帰らずにまだ二人で一緒にいられる。そこに嬉しさを見出したから笑っていたなんて、とてもじゃないけど言えるわけがない。


 ◆


 冷やしたメロンを食べながら二人でサブスクの婚活サバイバル番組を視聴する時間。


 6時間にも及ぶ番組もいよいよ最後の二人の女性を男が選ぶクライマックスに差し掛かっていた。


「砺波さん、どっちだと思う?」


「うーん……右の人かな?」


「私は左の人だと思う。根拠はあるよ」


「何?」


「目が違うんだよね。やっぱ、好きな人を見る時の目ってあるんだ。イラストレーターの仕事が軌道に乗る前はショッピングモールで似顔絵を描いてた時期もあって、たくさん見てきたから分かるんだよね」


「カップルとか?」


「それもそうだし、その手前の人たちも、だね。クリスマスに独りでそういう人たちの正面に座って描くのはしんどかったけど……ま、こういう能力が身についたからいいかな」


 芸術を極めるには技術だけではなく観察力も必要なんだろう。


 そんな話をしている間に番組は進行し、氷見さんの言う通り左側に立っていた女性が選ばれた。


「ほらね」


 氷見さんが胸を張りドヤ顔をする。


「すご……」


「ま、二分の一だし。砺波さん、こっち向いてよ」


「ん?」


 氷見さんに言われるがまま横を向く。氷見さんもソファの背もたれに肘をつき、少し顔を傾げて俺の方を見ていて目が合う。


 氷見さんに言われるがまま向いたのだが、当の氷見さんは俺と目を合わせて嬉しそうに笑うのみで何も言わない。


「……何?」


「何でもないよ」


 氷見さんは微笑んでそう言うと俺から顔を逸らすように正面を向いた。


「ね、砺波さん。明日、晴れたらどこか歴史的な場所に行こうよ。どこでもいいよ。百年後も残ってるような場所なら」


「うーん……お寺とかお城とか、そういうところ?」


「うん。けど百年後に残ってるなら今日建ったところでもオッケーだよ」


「変なオーダー」


「でしょ?」


「明日は……降水確率50パーセントだってさ」


「二分の一だね。ちょうどいいや。降ったら行かない。降らなかったら行くって感じで」


「了解。で、どこにする?」


「どこでもいいよ。明治神宮でも浅草でも小田原でも」


「変なオーダーだねぇ……」


「そうなんだよね」


 氷見さんは嬉しそうに笑う。


 そんな話をしていると、氷見さんのスマートフォンが鳴った。


「あ……電話だ。うわ……イラストの仕事先……」


 氷見さんは顔を引きつらせると「ごめん、出るね」と俺に断りを入れて電話に出る。


「氷見です。はい……はい……えっ……いやぁ……火曜まではさすがに……いや、分かりますけど……はぁ……はい……はい……やりますやります……はい〜失礼します〜」


 氷見さんはスマートフォンを耳から離すと、「キィーっ」と奇声を発しながら勢いよく連続で画面をタッチしだした。


「あ……荒ぶってるね……」


 ひとしきりスマートフォンに当たり散らした氷見さんがため息をつく。


「イラストのお仕事、リテイクだってさ。提出期限が休み明けの火曜。この連休は部屋にこもりっきりになっちゃうな」


「あら……じゃあ明日は行けないね」


「うん。多分八百万の……なんとかって神様が明日はやめとけって言ってるんだと思う。じゃないとありえないよ、こんなタイミングで仕事の連絡なんてさ……」


「ふぅん……」


「けど……いつか、絶対に行こうね」


「来週?」


「一週間も先になると考えすぎて倒れちゃうよ」


 氷見さんは笑いながらそう言う。


「そんなに神社が好きなんだ……」


「そういうことじゃないよ」


 氷見さんはニヤリと笑って俺の頬を突く。


「本当、砺波さんのそういうところが良いんだよね」


「あ……ありがと……」


「だから、また金曜日に会おうね。待ってるから」


「はいはい。また金曜ね。お仕事頑張ってね」


「どっちが社畜だか分かんないよね……なんちゃって……あはは……」


 氷見さんは妙に引っかかる言い方をする。思い出せそうで思い出せない違和感がある。


「……ま、俺よりも氷見さんの方が社畜してるよね」


「そういうとこ、いいよね」


「どういうとこ!?」


 氷見さんは連休が潰れたというのに楽しそうに笑っていたのだった。

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