第31話
うちに泊まると言ってきかない、ご機嫌な氷見さんをまずは氷見さんの家まで送る。すると、ものの五分程度で荷物を用意してまたエントランスに出てきた。
最初は陽気で口数が多かった氷見さんだが、お互いの家の中間地点にあるコンビニを過ぎたあたりで妙に無口になってきたことに気づく。
「氷見さん、体調悪い?」
また飲み過ぎで気持ち悪くなってないかと心配になり足を止める。
氷見さんは俺と目を合わせると「あうっ」と言って勢いよく顔を逸らした。
「なっ……なんか……気づいたら結構なことしてるなって……思って……」
どうやら酔いが冷めてきて正気に戻りつつあるようだ。一人暮らしの人の家に泊まるなんて思い留まってくれそうで何よりだ。
「酔いがさめてまともになってきたみたいで良かったよ……引き返す?」
「うーん……けど砺波さんとゲームするのも捨てがたい……じゃ、枝に聞いてみようかな」
氷見さんはそう言うとその場にしゃがみこんで街路樹から落ちたであろう細い木の枝の先端を持ち、地面に対して垂直に立てた。
「これが私の家の方向に倒れたら帰る。砺波さんの家の方向に倒れたら泊まる。砺波さんはどっちに倒れると思う?」
氷見さんがしゃがんだまま上目遣いで尋ねてくる。
「氷見さんの家の方向かな」
「さて。どうかなぁ?」
氷見さんは人差し指で木の枝の先端を抑え「すぅーっ」と大きく深呼吸をする。少し間が空いて、氷見さんは木の枝から指を離した。
僅かに俺の家の方角に倒れるように力を入れていたように見えたし、実際に木の枝は綺麗に俺の家がある方角に向かって倒れた。
「……今、力入れたよね?」
俺の質問に氷見さんはわざとらしく棒読みで「えぇ?」と言いながら立ち上がる。
「枝様が決めたことだから、仕方ないね」
氷見さんは下心を感じさせない、少女のような笑みを浮かべてそう言ったのだった。
◆
シャワーを浴びて部屋着に着替えた俺達は、ローテーブルの上に缶チューハイとナッツを展開。
氷見さんの部屋着は短いズボンに長袖のシャツ。コンタクトを取って黒縁のメガネをかけた見た目は珍しくはあるが、何時間もゲームをしているうちに見慣れてしまった。
人一人分の隙間を開けてソファに並んで座り、すごろくゲームの最長ターン耐久レースも終盤に差し掛かっていた。
「あああああ! 銀次ぃいいい!」
俺はここまでコツコツと貯めていたお金をイベントで全て失い、絶望の声を絞り出す。
氷見さんはそんな俺を見てケラケラと笑うことで、暫定一位の余裕を見せつけてくる。
「ふふっ。どんまい、砺波さん」
「ここまで頑張ったオチがこれなんて……あんまりだ……」
「まだ終わらないよ」
氷見さんはそう言うとゲームを途中でセーブして中断を選択した。
「えっ……やめるの?」
「続きがしたかったら、またここに呼んで」
「俺の負けは確定してたけど終わらないとなんか気持ち悪いね……」
「人生なんてほとんどそうじゃない? 綺麗に終われることなんて滅多に無くて、ダラダラと続くか、何かを切っ掛けに尻切れトンボに終わる」
「ま……言い得て妙というか……」
「あのまま続けたら私が勝つかもしれないけど、それは確定していない。もしかすると私にも銀次が来て砺波さんが逆転勝利するかもしれない。けど……それは今決めなくてもいいかなって」
氷見さんは俺の方を見てそう言う。
「そんなに桃鉄の勝ち負けって大事?」
「それだけじゃないよ」
氷見さんは穏やかに微笑むと、その場でぐっと天井に向けて腕を伸ばした。
「んーっ……はぁ……もう四時か。砺波さん、そろそろ寝る?」
「そうだね。ベッドは氷見さんが使って」
「ううん。ソファでいい。枕だけ貸してよ」
「えっ……臭いと思うけど……毎日使ってるし……」
「構わんよ」
氷見さんはそう言うと勢いをつけて起き上がり、俺のベッドから枕を持ってくると、ソファの上で枕を抱きしめながら三角座りをした。
部屋着はショート丈のズボンで足の露出が多いため思わず目を逸らしてしまう。
「じゃ、おやすみ」
そう言う氷見さんから、早くソファから立ち退けという圧を感じて俺はベッドへ移動する。
「あ、氷見さん。テーブルの上に電気のリモコンがあるから消してくれる?」
「うん。んーと……これ? あ……真っ暗になっちゃった」
ボタンを押し間違えたらしく常夜灯すら灯らない真っ暗な空間に早変わりした。
「ま、いいよいいよ」
「懐が広い」
氷見さんは眠いのか、ふにゃふにゃした声でそう言った。
しばらく無音の時間が続いたが、氷見さんがまた暗闇の中から話しかけてきた。
「なぁ砺波ぃ、好きな女子教えろよぉ」
「修学旅行!?」
「ふふっ。ありがちだよね。恋バナはお泊まりの定番。実際どうなの? 婚活とかしないの?」
「してないなぁ……ま、そろそろなんだろうね。親からも会う度に探りを入れられてる感じがするし」
「ふぅん……社会人ってやっぱ出会いないの?」
「ないない」
「そうなんだ。じゃ、大学生なんかと遊んでる場合じゃないね」
「そうかも」
氷見さんの自虐に乗っかると二人から同時に笑い声が出た。
「ま、砺波さん。いい人が見つかったら教えてよ」
「いい人、ねぇ……今更他人と同居なんて出来るのかなぁ、なんて思っちゃうよね」
「そうなの?」
「例えば……寝る時に電気を消す人なのかそうじゃないのか。もうそれだけで、下手したら寝室を分けないといけなくなるかもしれないし」
「そんなの合わせられるよ」
「何年も続けてた生活を変えるって結構なストレスになりそうだからなぁ……」
「なるほどね。ちなみに私は普段はつけっぱなしで寝落ちすることも多いから、どっちでも寝られるよ」
「そ、そっか……」
「しないの? 婚活アプリ」
「まだいいかな……というかやけに婚活を推してくるね」
「別に推してる訳じゃないよ。むしろ進捗なんて無ければない方が良いくらいかな」
「そこまで言う!?」
氷見さんは「だってさ」と言ってしばらく貯める時間を作る。
「だってさ……すっ――こっ、ここでいつまで……砺波さんがいつまであのお店に来てくれるのかなって思っただけ!」
氷見さんは急に早口になって一気にまくしたてる。
「まだしばらくはないよ。婚活って何それってくらいだし」
「了解。ま、いい人がいたら、でいいから。そうなった時、私は邪魔になるだろうからさ」
「邪魔なんて……」
やけに氷見さんは自虐的だ。
これは気を利かせて何か言ったほうがいいんだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせていると、結構な時間が経ってしまった。
だが、一応言う文言は頭の中で固まった。
「氷見さんも……いい人、かもしれないんだけど……なんちゃって。あは……あはは……」
恐る恐るだったのでだいぶ自信のない言い方になってしまった。
氷見さんからの返事は来ない。さすがに踏み込みすぎたか、と冷や汗をかく。
だが、ソファの方からは氷見さんのいびき混じりの寝息が聞こえてきて、それが杞憂だったとわかる。
どうやら一足先に氷見さんは眠りの世界にいってしまったらしい。
かなり言い方もダサかったので聞かれていなかった方がいいかもしれない、と自分に言い聞かせる。
「氷見さんのそういうとこ、すごくいいよ」
多分、来週も再来週も、婚活パーティのことは調べもせず金曜日はいつもの店に向かってしまうんだろう、なんて思うのだった。
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