第24話
金曜日の夕方、定時より少し早く上がったので氷見さんを待つ形になる珍しい日となった。
氷見さんも比較的早い時間にやってきたのだが、黒いマスクをつけているところに違和感を覚える。
氷見さんは「やっほ」といつものようにローテーションで言うと俺から顔を逸らしてマスクを外した。
「ど……どうしたの?」
「今日はそっち向けない……ニキビできちゃって」
それでもここまで来るあたり、氷見さんは強烈なルーチン人間なんだろう。
「了解。慣れるまで待つよ」
「鼻の頭に大きいやつ。思ったより小さいってなる方がいいから、気持ち大きめを想像しておいて」
「はいはい……」
人並みに女の子なんだなぁとしみじみと思う。
「あ、そういえば俺さ、来週は来るのが遅くなるんだ。多分9時か……10時前くらいかな」
「了解。待ってる。何かあるの?」
「うん。新人の歓迎――」
氷見さんは素早くマスクをつけて俺の方を向いた。
「例のモデル?」
やけに棘のある言い方だ。
「あ……うん。うちの部署はあの人だけなんだ」
「へぇ……けど歓迎会なら二次会もあるんじゃないの? 別に無理してこっちに来てくれなくてもいいのに」
「そんなに二次会まで行く人いないから、別に行かなくてもいいかなって」
「そっか。なら私も友だちに会うためにここに来ないとだね。仕方ないなぁ」
氷見さんは言葉とは裏腹に満更でも無さそうにニヤけた目をする。
「まぁ……たまにはナシにしとく?」
「ううん。待ってる」
「そっか」
氷見さんは店の出入り口をじっと見つめる。斜め後ろから見る氷見さんは何かを考え込んでいるようだ。
「多分……何かのきっかけで砺波さんがここに来なくなっちゃったとしても、私は1年後も2年後も来てると思う。で、お店に誰かが入ってくる度に期待して、顔を見ちゃうんだ」
氷見さんはそこで言葉を切って俺の方を振り返る。
「こんなのが何ヶ月も続いてる今ってすごい奇跡なんだよね。2回目があることすら稀なのに、それが何回も続いちゃってる。だから、いつ切れてもおかしくない。ふとしたきっかけでね」
「氷見さん……」
「何?」
「他に友達作りなよ……」
氷見さんはずっこけた後にすぐに穏やかに微笑む。マスクをしているが目だけでも笑っていることが分かるくらいに細くなっている。
「そういうとこ、本当良いよね。そうなんだけど、そうじゃないんだ」
「難しいなぁ……」
「難しいんだよね、人間関係ってさ。近づけば離れていくわけで」
「そ、そんなに友達欲しいの……?」
「砺波さん、それ地雷」
「あっ……ごめん……」
射水さんは氷見さんのことを『孤高の存在』と称していたがそれは単にぼっちなのでは……? と思い始める。
氷見さんは取り繕うように「狭く深い交友関係だから」と早口で呟く。
「ま、改めて棚卸してみたけど砺波さんは他人の中では最高だよ」
「それ褒められてる!?」
氷見さんは真顔で頷く。
「世界にいる約80億人のうち、私と家族を差し引いた残りの約80億人。その中の頂点ってことだよ」
恋人も友達も全てひっくるめた中で、ということか。最高というのがまた曖昧だけれど悪い気はしない。
「そう言われると褒められてる気になってくるよ……他人って言葉が強すぎて打ち消されちゃうね」
「他人……ま、そうだね。けど他人っていいことだよ」
「そうなの?」
「自分にも家族にもできないことがあるからね。知り合って、距離を縮めて、近づいて、くっついて、埋め合って、愛されて。他人だからこそできることだよ」
氷見さんは目を細めてそう言う。
「なるほどなぁ……」
「砺波さんが他人で良かった。他人みたいな砺波さん」
氷見さんの目が笑う。解釈一つでこうも受け取り方が変わるものかと驚く。
「『水みたいな日本酒』みたいな言い方しないでよ……」
俺達がそんな話をしていると、黒部が近づいてきて俺と氷見さんの前におちょこを2つととっくりを置いた。
「なにこれ?」
「サービスの日本酒。味見がてら飲んでみてよ。あ、これ水ね」
黒部はご丁寧に水もセットでおいて立ち去る。
氷見さんは黒部の背中に「ありがとうございます」と言ってからとっくりを持っておちょこに日本酒を注いでくれる。
「かんぱ〜い」
二人で同時におちょこに口をつける。
「わっ……すごいねこれ、水みたいに飲めちゃう」
「タイミング良いなぁ……けどそれ、一番危ないやつだよ」
「危ないの?」
「ガブガブ飲んだらすぐに酔っちゃう――というか、すごいペースだね……」
氷見さんは俺の忠告を無視して早くも二杯目に突入していたのだった。
◆
「砺波さん、ほんと水だよね」
目の据わった氷見さんが水の入ったグラスに口をつけてそう言う。
かれこれ日本酒の沼にハマること1時間。ふたりして、しこたま飲んでしまい、俺もかなり酔ってきた。
「あはは! 氷見さんそれ水だから!」
「ぬぅ〜……? みずだ。おしゃけは〜……こっち!」
「せいか〜い!」
「追加のご褒美で〜す!」
氷見さんは上機嫌にとっくりの首根っこを掴んで並々と日本酒を注ぎ直す。
ま、こんなだけど今日も無事に帰れるだろう。俺と氷見さんに限って――
◆
目が覚める。どうやら室内で寝ていたらしい。
痛む頭を無理矢理に叩き起こして接着剤でくっついているんじゃないかと思うくらいに重たいまぶたを開ける。
誰かが俺の右腕を枕にして寝ている。しかも俺にすっぽり包まれるように背中を向けていて、俺が背後から抱きしめているような形だ。
すぐにその人が氷見さんだと気づく。
「ぬっ……おっ……えっ……?」
頭を可動域いっぱいに動かして状況把握に務める。知らない天井に知らないベッド、知らない壁。つまりここはどちらかの部屋ではない。
妖しい間接照明にベッド上にある古臭い操作盤。鏡張りの壁を見ると自分と目が合った。
ここは……ホテル!? 何ならラブホテルか!?
「んん……」
氷見さんは俺が動いたことで眠りから覚めつつあるようだ。頭をポリポリとかきながら枕代わりにしている腕に顔を擦り付けてくる。
「んっ……ん?」
違和感を覚えたのか氷見さんはその場でぐるりと回転。俺と向かい合うようにこちらを向いた。
氷見さんもかなり重たそうに目を開く。
1度、目が合うも氷見さんはそのまま二度寝をしようと目を閉じた。
「なんで砺波さんが夢に……二度寝したらまた会えるかな……あれ? じゃあさっきの納豆風呂地獄は――」
氷見さんは夢と現実がごちゃごちゃになっているのか、独り言を呟く。数秒寝息を立てた後にハッとした表情で大きく目を開ける。
パッチリと開いた氷見さんの目と再び見つめ合う。
「……とな……みさん?」
「お、おはよ……」
二人して首を傾げる。これ、どっちも覚えてないけど何をどこまでしちゃってるんですか!?
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