第21話

 氷見さんの大学が催している個展に参加するためキャンパスにやってきた。


 週末とはいえ、展示会が開かれていることや、勉強、作業のために都市型のビルのようなキャンパスの中にはそれなりに人がいた。


 学生の友人や家族らしき人、何かしらの仕事できているのか背筋を伸ばして鑑賞している人、流しで入ってきた見物客、と客層は様々だがなかなかに賑やかで、いわゆる美術館のような静けさはない。


 幾分か楽な気持ちで氷見さんを探してぐるぐると会場を回っていると、会場の中心にある大きな白い壁のところに氷見さんが立っていた。


 服装はいつものようにモノクロコーデ。グレーの襟付きのシャツにすらっと足に張り付く細身のズボンをチョイスしているのでそれなりに気合を入れている様子だ。


 話しかけようにも、氷見さんは自身の絵の前に立っている数人と話し込んでいて近づきづらい。


 氷見さんの話し相手をよく見ると『取材中』と書かれた腕章をつけているので明らかにメディア関係の人だ。


 氷見さんも必死にぎこちない笑顔を作って対応している。


 記者らしい人の隣にいるカメラマンにパシャパシャと写真を撮られているのでそれも気が張る要因だろう。


 その人たちの後ろを通り過ぎざまに氷見さんをチラッと見る。


 すると氷見さんとしっかりと目があった。「大変そうだね」という意味を込めて苦笑いをすると、氷見さんの表情が居酒屋で時折見せてくれるような柔らかいものに変わった。


「おっ、いいですねぇ〜! その表情のままこちらに視線くださ〜い!」


 カメラマンが氷見さんの表情を引き出そうと囃し立てる。


 途端に氷見さんはまたぎこちない笑みに戻ってしまった。


 そんな様子を微笑ましく眺めながら一旦氷見さんのそばを離れる。


 他の人の作品もかなり個性的で、首を傾げたり、緻密な絵に舌を巻きながら会場を巡回。


 グルリと一周し、また氷見さんの方へ行こうかと思ったところで、射水さんを見つけた。


「こんにちは、射水さん」


 射水さんに会うのは一ヶ月くらいぶりだろうか。俺が話しかけると一瞬不思議そうな顔をして、やがて思い出したように「あぁ!」と言った。


「お久しぶりです。穂波ほなみさん」


「砺波ね……」


 俺は苦笑いをしながら訂正する。


「あはは……失礼しました。それにしても、よく覚えてましたね」


「そりゃ覚えてるよ……」


「そうですか……今日は涼先輩に誘われてきたんですか?」


「そうだよ」


「へぇ……ふぅん……」


 射水さんは品定めをするような目で俺と遠くにいる氷見さんを交互に見る。


「今年は例年よりも大手のメディアが多いらしいです」


 射水さんはそう言って会場内をウロウロしている腕章をつけた人を見る。


「そうなんだ。なにか理由があるの?」


「目当てがいるんですよ」


「もしかして……」


「もちろん涼先輩です。学内イチの才能と評価され始めているうえにルックスもいい。『私が発掘したんだ』って言いたいだけの人がこぞって集まりだしちゃってるんです。ま、私は2年前から見つけてましたけどね」


 相変わらず、売れ始めたインディーズバンドの厄介ファンみたいなことを言う人だ、なんて思う。


「なるほどなぁ……けど、どうなんだろうね。写真の撮り方からして、見た目で売る気が満々だよね、あの人たち」


「分かります? そうなんですよ」


「ああいうの、氷見さんは一番嫌がりそうだよね」


「そうそう――なんか砺波さん、『俺が一番わかってるぜ』感をすごく出すようになりましたね」


「そ……そうかな?」


「彼氏面感というか……」


「言いすぎじゃない!?」


「けど、実際どうなんですか? 話は……色々と聞いてますよぉ?」


 射水さんはニヤニヤしながら尋ねてくる。


「いや……別にそんな浮ついた話はないけど……毎週飲んで話してるだけだし……」


「ふぅん……じゃ、もしですよ。もし、告白されたらどうします?」


「えぇ……そんなの想定もしてないよ……それに、なんか今は氷見さんが遠い人に感じるよ……」


「そうですか……あ、砺波さん。1枚だけ紹介したい絵があるんです」


 射水さんはそう言って俺を会場の端の方へと誘導してくれる。


 会場の端も端。ここまで来るのは全作品を制覇するという意気込みがある人だけだろうという場所に一枚の絵が飾られていた。


 モノクロの油絵。部屋の中で二人の人間が寄り添い合っている。男性らしき人はベッドを背もたれにして壁際に寄りかかっている。その隣で女性らしき人が男性の肩に頭を乗せている。


 ふたりとも、顔を描いた後に削り取られているが、ここまで含めて作品なんだろう。色合いも暗くてかなり世界観はダークだが、小さく描かれたおそろいの小物や手を繋いでいる二人の様子からほのかな幸せが伝わってくる。


 俺はこの絵の既視感のある構図にすぐにピンときた。男の服装は俺のスーツ姿にそっくりだし、氷見さんの家に泊まった日に見せてもらったスケッチとも酷似している。


「これ……氷見さんが描いたの?」


「そうですよ。メインのところには置かなくていいからって教授に頼み込んでここに置いてあるんです。タイトルも作者名もなし。特定の一人に見てもらえばそれで良いからって」


「そうなんだ……」


「私、この絵は好きです。昔の涼先輩が戻ってきてて……いや、多分ずっといるんですよね。昔も今も。隠れちゃってるだけで、涼先輩は変わってなかったんだなって思いました」


 射水さんは最近の氷見さんの作風にご不満だったが、これは満足いっている様子で、微笑みながらその絵を見つめる。


「面白いですよね」


「何が?」


「普段の会話で伝えたい意図がずれちゃったら困るじゃないですか。けど、絵はそうでもない。描き手の込めた想いと、見た人の解釈。そこにギャップがあって当たり前みたいな感じじゃないですか。評論家みたいな人が偉そうにあれこれ言いますけど、極論どういう解釈も自由にできる」


「なるほどねぇ……」


「だから砺波さん、この絵を見て色々と解釈してくださいね」


「あ……うん」


 射水さんはそれだけ言うと「失礼します」と頭を下げて会場を後にする。


 この絵を見に来る人は誰もいない。奥まったところにぽつんと置かれている上に見た目も地味なので目立たないんだろう。


 俺はじーっと一人でその絵を見つめ、首を傾げる。


 暗いトーンなので見れば見るほどテンションが下がっていく絵だ。


「よっぽど俺が泊まったのが嫌だったのかな……」


 見た人の解釈は自由だ。なかなかポジティブな解釈ができないままその絵を見つめ続ける。


 すると、隣に氷見さんがやってきて無言で絵を眺め始めた。


 しばらく二人でそうしていると、氷見さんが「いい絵だね」と声をかけてきた。


「氷見さんが描いたんでしょ?」


「分かるの?」


 氷見さんは嬉しそうな表情で聞いてくる。


「うん。さっき射水さんから聞いたんだ」


「あ……そういうことか……」


「けど言われなくても気づいてたよ。どう見ても俺と氷見さんだしね」


「そういう解釈もあるよね。顔はないけど」


 氷見さんはあくまで中立の立場で返事をしてくる。


「何で顔がないんだろう……自信の無さの現れ? 不確定な要素ってことか……?」


「砺波さん、絵なら案外伝わるんだね」


 氷見さんは俺に横顔を見せたまま、嬉しそうにはにかんでそういう。


「絵ならって……普段は伝わってないの?」


「三分の一も、かな。ね、砺波さん。今日さ、5時くらいに終わるんだ。後……3時間くらいかな。そしたら合流してどこか行こうよ」


「いいよ。また時間になったら連絡……連絡先知らないや」


「確かに。普段はあのお店にいけば会えるから困らないよね」


 氷見さんはふふっと笑ってズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。


「あ……充電切れてる……昨日寝る時にし忘れてたんだ……」


 氷見さんはスマートフォンの画面を見せながらそれが雑な嘘でないことを証明してくれる。


「じゃ、時間になったらまたこの辺に戻ってくるよ」


「うん、ごめんね。雑なナンパの断り方みたいなことしちゃった」


「そもそもラインやってるの?」


「なんですか? それ」


 氷見さんはフフッと笑ってすっとぼけた回答をすると、小さく手を振って「また後でね」と言い、自分の絵が数枚飾られている場所へと戻っていったのだった。

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