第5話

 週末の日曜日。起きてスマートフォンを見ると昼前の11時。


 腹は減ったが何かを作る気にもならない。ベッドで横になったままSNSを見ていると青いコンビニチェーンの『デカ盛りキャンペーン』の宣伝が目に入る。


「最寄りじゃないけど散歩がてら行ってみるか……」


 重たい身体を無理矢理起こし、部屋着代わりのグレーのパーカーを羽織って外に出た。


 ◆


 大通りに沿って5分くらい歩くと目当てのコンビニに到着。俺が店に入ろうとしてコンビニの自動ドアが開くと、丁度店から出ようとしていた人と同時に向かい合う形になった。


 見覚えのある銀色メッシュの入ったショートボブに、思わずその人を顔をじっと見てしまう。


 太い黒縁眼鏡にグレーのパーカー、太ももをガッツリ出している黒いショートパンツと部屋着のようなスタイルは初めて見るが、それでも氷見さんと分かる。


 さっと俺を通そうと避けた氷見さんが顔を上げて目が合う。


「……え!?」


 氷見さんが珍しく驚いた声を上げる。


「や……やっほ……」


 苦笑いをしながら手を振る。


「砺波さん、そんなに驚いてないんだね」


「だって知ってたから」


「……ストーカー?」


 氷見さんは首を傾げてそう言う。


「前に言ってたでしょ!? 『梁山泊』の最寄りから六駅だって」


 氷見さんは少し間を開けてポン、と手を叩いて俺との会話を思い出したことを教えてくれた。


 俺と氷見さんは一駅隣に住んでいる。今いるコンビニは丁度その中間地点にあるので鉢合わせたんだろう。


「ごめん、寝起きでさ。頭が回ってなくて」


 氷見さんがくしゃっと髪の毛に手を差し込む。言われてみたらいつもより髪の毛が少しボリューミーかもしれない。


「俺もさっき起きたんだ。ご飯買いに来たの?」


 氷見さんは手に持っていたビニール袋をさっと後ろに隠した。茶色っぽい袋だったので中身は弁当箱なんだろう。


「何で隠したの……」


「ま、いいじゃん。砺波さんは今からご飯?」


「そうだよ」


「じゃあどこか行こうよ。30分後にまたここに集合ね」


「なんで30分後……」


「準備があるから。こんな格好で外を出歩けないよ」


 氷見さんはそう言って自分のパーカーの紐を指に巻き付ける。


「ここは外だよね……?」


「じゃ、そういうことで」


 氷見さんは真顔で俺に手のひらを向けてそう言う。そのまま俺がやってきたことは反対の方向へ一人で歩いていってしまったのだった。


 後ろ手に持っているのは明らかに弁当。デカ盛りキャンペーン用のポップが透けて見えるのでかなりの大きさであることは確実だ。


「あれを食べてからまた来るのかな……?」


 どんだけ大食いなんだろう、なんて思いながらその後姿を見届けた。


 ◆


 家に戻り、一応部屋着からシャツに着替えてまた約束の時間にコンビニの前に向かう。


 週末に女性と二人でご飯というのはいくら相手が一回り年下とはいえ緊張するシチュエーション。氷見さんもちゃんと着替えてくるかもしれないし、少しだけ気合を入れながらコンビニの前に到着。


 入り口付近にはメガネを掛けたままの氷見さんが立っていた。白いニットに白いフレアスカート。足元だけは黒く、モノトーンではあるけれど晴れやかな印象だ。


「お待たせ」


 俺が話しかけると氷見さんは顔をちらっとあげてスマートフォンをポケットにしまう。


「今来たとこだから大丈夫、っていうのはありきたりだね。けど本当に今さっき来たんだよ」


「今来たところだから大丈夫の反対って何なんだろうね」


「うーん……待ちぼうけで瀕死の重体?」


 妙なゴロの良さに思わず笑ってしまう。氷見さんはそれを見て満足そうに口元だけでニヤけた。


「じゃ、行こうか。なにか食べたいものある?」


「あそこかな」


 氷見さんが指差したのは国道を渡った先にある大手のイタリアンチェーン。やれ、デートで行くなだとかコスパが最強だとかなんだとか言われる店だ。


「えっ……いいの?」


 さすがにもう少しちゃんとした店に入るものかと思っていたので驚いて聞いてしまう。


 氷見さんはどこ吹く風といった様子で頷いて横断歩道へ向かうのでその隣を歩く。


「日曜日のお昼に友達と偶然あってすっぴんメガネで気を抜いたまま入るにはピッタリじゃない?」


「そういうもんか……」


「あ、一応言っておくと記念日とかはちゃんとしたところがいいかな。サプライズも花火のついたプレートも高級店も好きじゃないけどね。二人でゆっくり、こじんまりしたお店の小さな2人用テーブルをお皿で埋め尽くして話をしてる。そんな感じが理想なんだ」


 赤信号なので横断歩道の前で立ち止まると、氷見さんは雑談がてらにそんな話をしてきた。


「そ、そうなんだ……」


「今のは砺波さんが誰かに『氷見さんってどういう人なんですか?』って聞かれたときのための情報ね」


「共通の知り合いって黒部しかいないけどね……」


「じゃ、黒部さんに伝えておいてよ。はい、復唱!」


「えーと……こじんまりとしたお店でサプライズやプレートは無しで――」


「あ、信号変わった」


 信号が青になった途端、氷見さんは逃げるように早足で歩き始めた。


「ちょ! おいていかないでよ!」


 慌てて駆け足で追いつく。俺が追いつくと氷見さんの速度が弱まった。


「ごめん、冷静になったらちょっと恥ずかしくてさ」


 氷見さんは頬を赤く染め、前を見て歩きながらそう言う。


「何が?」


「友達に理想の記念日デートを教えて復唱させてるって……ねぇ?」


「まぁ……確かに」


「砺波さんって質の良い日本酒みたいだね」


「どういうこと?」


「いい日本酒って水みたいに飲みやすくて、気づいたら酔ってるって言うじゃん? それと同じ。話をしているうちに気づいたらすぐ近くまで来てて、つい話し過ぎちゃうんだ」


「ごめんね……って俺は悪くないか」


「そうだね」


 氷見さんは横断歩道を渡り終わると立ち止まり、俺の方をじっと見てくる。


 氷見さんの唇が僅かに動き、前歯が僅かに見える。


「砺波さんのそういうとこ、良いよね」


 俺が氷見さんのセリフを先んじて言うと、氷見さんは唇を尖らせて「それは私が言いたいんだけど」とボヤいてレストランへと入っていったのだった。

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