第3話

 氷見さんと知り合った日から2週間後の金曜日。今日も今日とて仕事終わりに一人で立ち飲み居酒屋『梁山泊』で飲んでいると、隣に氷見さんがやってきて焼酎のグァバジュース割りを頼んだ。


 氷見さんは俺の方をチラリとも見ようとしない。別に毎週ここで会えることをお互いに期待しているわけでもないし、毎度のように話しかけるのも違う気がした。


 そんなわけでしばらくは無言のまま過ごすことになった。


 だがそんな時間も10分ほど。先に折れたのは氷見さん。「砺波さん」と俺の名前を呼んできたのだ。


「こんばんは、氷見さん」


 俺が挨拶を返すと氷見さんははにかみながら「負けちゃった。我慢比べ」と言った。


「我慢するくらいなら最初から話しかけてよ……話好きなの?」


「ううん、そんなに。けど、ここに来ると饒舌になるかも。自分で言うなって話だけどさ」


「なるほどね。今日は現地で打ち合わせだったの?」


「どっちだと思う?」


 氷見さんはにやりと笑って尋ねてくる。見た目は初めて会った日と二回目に会った日と今日で違いはないので、どっちなのかは分からない。


「うーん……じゃ、リモート?」


 氷見さんは「ううん」と言って首を横に振った。


「対面。ま、別の会社だけど」


「アルバイト、掛け持ちしてるんだ」


「そんなとこ」


「忙しそうだね……」


「学費を稼がないとだから。皆周りの子もやってるし」


「周りの子も……?」


 若い女の子が学費を稼ぐためにやっている掛け持ちのアルバイト。


 皆やっている、が決まり文句……パパ活……なわけないか。


「本当はリモートで済ませたいんだけど、それなりにお金もらってるから断れないし。前の人みたいに下心がある感じじゃないから全然いいんだけどね」


「そ、そうなんだ……」


 リモートでは済ませられず、それなりの金額を貰うバイト……パパ活!? 下心しかないだろそれは!?


「それにさ、ママって言われるのも悪くないなって」


「ママ!?」


 赤ちゃんプレイ!? 特殊過ぎないか!?


「けど、毎回のように3回も4回も出してって言われるとさ、体力が持たないよね。こっちも一晩中やることになっちゃうし」


 ……いよいよアウトな話じゃないかこれは!? いくらなんでも赤裸々に語り過ぎじゃない!?


「あー……えーと……そ、そうだねぇ……つ、強い人は凄いって聞くし……」


 何と言ったものかと悩み、苦笑いをしながら答えると氷見さんはにやりと笑う。


「砺波さんは何回くらい?」


「えぇ!? な、何の話かなぁ……」


「何の話だと思う?」


 氷見さんがニヤニヤしながら問い詰めてくる。


 ここでやっと気づいたのだが、どうやら俺はまた氷見さんにからかわれていたらしい。


 少し唇を尖らせて氷見さんに「からかった?」と聞いてみる。


 氷見さんはクスクスと笑いながら頷いた。


「砺波さんが勘違いしてそうだったから面白くて。してないよ、パパ活」


「あれ……? じゃあ何の話?」


「副業でイラストレーターをしてるんだ。最近はVTuberの立ち絵を描いたりしてて。キャラデザを担当している人をママって呼ぶんだよね」


「ほ、ほう……?」


「バブル状態だから需要はたくさん。だけどリテイクも多くて、何回も修正とか書き直しがあってさ。3回も4回もやり直しをしてたら学校の課題もあって徹夜になっちゃうから体力が持たないなって」


「だっ、騙された……」


 皆やってると言っていたのは、芸術系の大学は画材なんかの備品にお金がかかると聞くし、どの学生も技術を金に変えるためにアルバイトをしている、というところか。


 頭を抱えて俯いていると氷見さんはスマートフォンで一枚の絵を見せてくれた。和装で黒髪の女の子。桜が散っている背景でピンクを基調としつつもカラフルな彩りを見事に調和させている。


 本人のプライドや夢もあるだろうから簡単には言えないが、イラストレーターとして飯を食う将来もあるんじゃないかとすら思えてくる。


「これが私の愛娘だよ」


「うわ……すご……」


 氷見さんは得意げに微笑む。


「けど……何気に氷見さんの絵って初めて見たかも。大学で描いてる絵もあるの?」


「うーん……そっちは恥ずかしいや。また来週ね」


 氷見さんは来週もここには来るだろうけど、多分絵は見せてくれないはずだ。プロの世界では酷評されているから見せたくない、みたいな気持ちもあるんだろう。


 そんな予想が立つくらいには氷見さんのことが分かってきた日なのだった。

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