第2話

 氷見さんは咄嗟の嘘なのだろうが俺を彼氏ということにしてきた。


「ど、どうもぉ……」


 俺が適当に合わせると高岡は苦笑いをして「そうなんだ。またね」と軽く挨拶をして自分の席に戻っていった。


 それを見届けてから俺達はカウンターの方を向き直す。


「砺波さん、ごめんね。いいチャンスだったから。年の差もあるように見えないから大丈夫かなって」


「ま、これで解決するならいいけど……」


「大丈夫。それにしても、コテコテなことやっちゃったなぁ」


 氷見さんはローテーションながらも落ち込んだようにカウンターに肘をついて顔を乗せた。


「コテコテ?」


「ラブコメ漫画でよくあるじゃん? こういうさ、『この人は恋人です!』って咄嗟に嘘をついてドキドキしちゃう、みたいな」


「あぁ……そんなに気にすること?」


「個性的じゃないよね」


 氷見さんは悲しそうにそう言った。やはりこの手の人は個性や独創性を大事にしているんだろう。


「さすがアーティスト……」


「私はアーティストじゃないよ。ただの一般人。自分の世界がないんだ」


「自分の世界……?」


 抽象的な話でポカンとしていると、氷見さんは口元だけ笑う。


「創作の話。技術はすごいけど世界観がない。まるで空虚。そういう評価なんだ。ま、理由はわかってるけど」


「理由?」


「私は絵を描きたいだけなんだよね。そこに載せたい想いも世界もない。ただ色を混ぜて気持ちいいからやってるだけ。だからワタシのは高尚な芸術じゃないんだって」


「って言われたの?」


 氷見さんはコクリと頷く。


「専門的なことは分からないけど……本音だけで生きられないのはどの世界も同じなんだねぇ」


「本音?」


「そ。俺はただのサラリーマンだけど、やっぱり建前だらけだからね。『クソ上司〜!』って思いながらもペコペコしないといけない時もあるし」


「大変だね」


 氷見さんは表情を変えずにそう言う。


「けどどこの世界もそうなんだなって。アートの人だってさ高尚な目的ばかりじゃないと思うけどね。モテたい、有名になりたい、金を稼ぎたい。そういう欲求ありきで、それをうまいこと隠すために世界観がどうだとか色々言ってるだけなんじゃないの? だから『色を混ぜることが気持ちいい』ってだけでも十分だと思うけどなぁ」


「そっか……うん、確かに」


 氷見さんはさっきとは打ってかわり、しみじみと頷いている。


「それに居酒屋でグァバジュースを飲んでる人は十分個性的だよ」


「こっ、これは私が頼んだわけじゃないし……」


 氷見さんは俺の冗談に笑いながらも、褒められたことで恥ずかしがる。


「あ、そうだ。砺波さんっていつもここにいるの?」


 氷見さんが話の流れをぶった切って聞いてきた。


「ううん。金曜日だけかな。なんで?」


 唐突な質問に面食らう。氷見さんは「なんとなく」とだけ答えてグァバジュースを口にした。


 ◆


 翌週の金曜日、いつものように立ち飲み居酒屋『梁山泊』でカウンター席に一人で立ってビールを飲む。固定席になっているカウンター席の端、左側にある壁にもたれかかり黒部の仕事っぷりを眺めたりスマートフォンでSNSを見たりしながら金曜の夜を過ごす至福のひととき。


 そんな俺のお一人様空間にふと柑橘系のいい匂いが漂ってきたかと思った矢先、右隣にショートボブの女性がやってきて、黒部に向かって「グァバジュースの焼酎割りで」と言った。


「あ……氷見さん。こんばんは」


 氷見さんは俺の声を待っていたかのようにこちらを向き「やっほ」と無表情で言う。


「今日も打ち合わせだったの?」


「ううん。違うよ。リモートになったから」


 じゃあなんでこんなところにいるんだ? 俺に会いに来た? いや、考えすぎか。


「会いに来たと思ってる?」


 氷見さんは俺の方を見たまま聞いてくる。


「ま、まさか……そんなわけないじゃん」


 心を読まれたようでギクリとするも一旦否定はしておく。


「良かった。けどそうなんだよね、実際」


「……え?」


「シャワーを浴びて、お洒落をして、髪の毛を整えて、お化粧をして、砺波さんいるかな〜? って考えながら電車に乗ってここに来たんだ」


 氷見さんはカウンターに肘をつき、俺の方を見てニヤリと笑う。


 なるほど。俺をからかって反応で遊びたいだけか。


「はいはい、ありがと」


「……砺波さんのそういうとこ、良いんだよね」


「会って2回目のひとをからかうんじゃないよ」


「そういうとこもいいよね。普通は『年上をからかうな』って言いそうなところじゃん? そうじゃなくて2回目、か」


「見た目は変わらないからね」


「確かに――あ、ありがとうございます」


 氷見さんは黒部からグァバジュースの焼酎割りを受け取ると俺に向かって突き出してくる。


「乾杯、砺波さん」


「うん、乾杯」


 右手でビールジョッキを持ち、氷見さんのグラスと乾杯をする。コン、という鈍い音は騒々しい店内にすぐにかき消されてしまった。


 無言で飲み物をゴクゴクと飲んでいると、不意に隣から氷見さんが話しかけてきた。


「砺波さんってさ、小学生から社会人までのどこで出来た友達と仲が良い?」


「うーん……まぁ……高校かな?」


 黒部の方を見ながら答える。


「やっぱそうだよね。なんか大学の人とは話が合わなくて。この年になると友達って作りづらいんだなって思ってさ」


「ま……そんなもんだよ」


「社会人はどうなの?」


「もっとだよ。基本利害関係だし」


「社会人になってから友達ってできたことある?」


「うーん……」


 氷見さんとの関係は友達と呼べるほどのものではないだろう。まだ会ったのも2回目だし。


 俺は悩んだ末に「いないなぁ……」と言う。


 その答えを聞いて氷見さんはフッと笑った。


「やっぱ砺波さんだね」


「何が?」


「ここで『氷見さん』みたいな面白くも何ともない薄っぺらい事言われたら、来週は来たくなくなりそうだったから」


「あ……あはは……」


 どうやら俺はギリギリセーフだったらしい。

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