立ち飲み居酒屋で鈍めのアラサーおじさんの隣にクーデレダウナー系女子大生が来る話

剃り残し@コミカライズ連載開始

イチブ

第1話

 立ち飲み居酒屋『梁山泊』。安い、早い、美味い、駅チカの四拍子が揃った良店で、俺のような独身アラサーサラリーマンが金曜日に一人で飲むにはピッタリの店だ。


 立ち飲みと言ってもテーブル席もあり、同僚と来ているのか、大声で騒がしいグループもいる。


 毎週金曜日の夜はここで飲んで家に帰るのがここ数ヶ月のルーチンだ。理由は2つ。1つはこの騒がしさが好きなこと、もう1つは店主の黒部くろべ香菜かなが高校の同級生だからだ。


 立ち飲み席になっているカウンターの端が俺の定位置。カウンターの向こうで忙しなく動き回っていた黒部が一息ついたようで水の入ったグラスを手に近づいてきた。


「ふぅ……疲れたぁ……餃子10人前はヤバかったわぁ……」


「そりゃ大量だ……」


「あそこのテーブルのオーダー……んー……ちょっとマズイかも」


「不味いの!?」


「あぁ、違う違う。隣のテーブルの一人客の女の子いるじゃん? さっきからちょいちょい団体さんに絡まれてんのよねぇ」


 黒部の懸念事項を確認するために振り向く。


 2つのテーブルをつなげた8人の若い男性グループ、その隣の2人用の小さなテーブルに座っていたのは一人の女の子。大学生くらいだろうか。モノトーンで統一されたシャツとズボン、頬のラインできれいに揃えて切られたショートボブには銀色のメッシュが入っている。


 大人びた雰囲気に、アンニュイな目つき、大きな猫目でスタイルも良いので確かに目を引く。酔った若い男が群がるのも理解は出来た。


「店長の出番だね」


「まだ料理のオーダーが溜まっててさ。悪いけど、これを渡してきてくれない?」


 黒部がそう言って俺に紙のコースターとグァバジュースを渡してくる。そこには手書きで『席の変更は自由だよ。カウンターしか空いてないけどね』と書かれていた。お節介になりすぎないくらいの気遣いで悪くない。


 その2つを持って俺は一瞬だけウェイターになる。


 文字の書かれた面を一瞬だけ上にして、ひっくり返してからその上にグァバジュースを置く。


 ちらっと女の子が俺を見て会釈をしてきた。注文はしていない飲み物のはずだが意図を汲んでくれたらしい。


 念の為、新手のナンパと思われないために「店長から」と黒部の方を見ながらボソッと言ってカウンターに戻る。


砺波となみ、ありがと」


 テキパキと手を動かしている黒部がちらっと顔を上げてウィンクをしてくる。


 コクリと頷いて返事をして、また一人飲みの世界に戻る。雑音がすべて自分を通り抜けていく感覚に身を委ねていると、不意に隣に誰かがグラスを持ってやってきた。


「グァバジュース、飲めないから代わりに飲んで」


 隣を見ると、俺がグァバジュースとコースターを持っていった席の女の子が立っていた。存外にハスキーな声をしていて大人っぽさを際立てている。


「了解。カウンターは自由席だから」


 真横にいるため暗に離れてくれと言う。するとその女の子は1人分の距離を開けて黒部に「レモンサワーください」とオーダーをした。


 そんな人を横目に手元にある温いビールの代わりにグァバジュースを口に含むと冷たさと酸味で酔いが覚めるようでスッキリする。


 そのままスマートフォンを触りながらぼーっと一人でいるとレモンサワーを持った黒部が近づいてきた。


「どうぞ。レモンサワー」


 黒部がカウンター越しにグラスを置くと「ありがとうございます」と言ってそれを受け取る。仕事が一段落したのか、黒部は女の子の前でカウンターに腕をついて話しかけ始めた。


「大学生?」


 女の子はコクリと頷く。


「わぁ……若いねぇ。大学はどこに?」


西京さいきょう芸大です」


 女の子はジト目で鬱陶しそうにしながらも黒部に対応している。


「わ、エリートだ」


 黒部が驚いた様子を見せると、幾分か女の子の態度が和らいだように見えた。


「知ってるんですか?」


「そりゃもちろん。私もそこのOGだからね」


「えっ……そうなんですか?」


「うんうん。ま、一年でやめちゃったけどね」


「そうなんですね……」


「専攻は何?」


「油絵です」


「いいねぇ。あー! 私も久々に描きたくなっちゃうなぁ!」


「描いたらいいじゃないですか」


「ま、そうだよねぇ。そうだけどさぁ……」


 二人の会話に耳を傾ける。どうやら共通点があるため会話が弾んでいるらしい。


「あぁ、ごめんね。たくさん話しちゃって。砺波となみが『話しかけるな』ってオーラを出してるからさ」


「砺波……?」


 黒部の視線に続き、女の子の視線が俺の方を向いたのが分かる。


砺波となみ誠也せいや。さっきコースターを持っていったでしょ? けど、店のスタッフじゃないからね。高校の同級生なんだ」


「えっ……」


 女の子は俺を見て驚いた顔をする。


「なっ……何?」


「同級生……? お姉さんって27くらいですよね?」


「あはっ! ちょっと若く見られちゃった! 今年で29!」


「29……!? 砺波さん、大学生かと思ってた……ごめんなさい……」


 女の子は俺に向かって頭を下げる。同年代だと思っていたからグァバジュースを持ってきた時はタメ口だったのか。


「これでも社会人7年目だよ……童顔の自覚はあるけど。新しい取引先の人にいっつも舐められるんだよね」


「ふふっ。仕方ないね」


 女の子は落ち込んでいる俺を見て笑いながらレモンサワーを口に含む。


「結局タメ口なんだ……」


「ダメ?」


「いいよ」


「ありがと。これ、やっぱ頂戴」


 黒部が大学の先輩ということで打ち解けた上に、俺もその同級生だから少しは警戒が解けたらしく、女の子は俺の隣にやってきてグァバジュースを持っていく。


「飲めないんじゃないの?」


「飲めるよ。グァバジュースが飲めない人なんているのかな? 飲まず嫌いはいるかもしれないけどさ」


「なんで嘘ついたの……」


「変な薬が入ってたら嫌だから」


「そんな事しないよ!?」


「男はみんなそう言う」


「擦れてるねぇ……」


 黒部が苦笑いをしながら入ってくる。


「砺波さんを疑ってるわけじゃないよ。けどさぁ……はぁ……」


 女の子が何かを思い出したようにため息をつく。


「なになに? 何かあったの?」


 黒部が尋ねると女の子はコクリと頷く。


「ちょっとした愚痴ですけど。えぇと……あ、私は氷見ひみ氷見ひみりょうです」


 氷見さんは思い出したように自己紹介をすると、名前に違わないクールな目つきのまま話を始めようとする。


 その瞬間、オーダーが入り黒部は「はーい!」とどこかへ行ってしまった。


 残された俺と氷見さんで目を見合わせる。


「まぁ……黒部はああいう適当な感じだから……俺で良ければ話を聞くよ」


 氷見さんはコクリと頷く。


「私、この辺にある会社でアルバイトをしてるんだ。イラストを描いたりちょっとしたデザインをしたり。で、基本はリモートで完結するんだけど、週次で社員の人と打ち合わせがあって。それもリモートでいいのに毎週対面でやろうって呼び出されるんだよね。しかも決まって金曜日の夕方。社員の人は若い男性。どう思う?」


「うーん……狙ってる? あわよくば飲みに行きたい?」


「だよね。それが困りごとなんだ」


 これだけ可愛ければこういう誘いは数多あるのだろうけど、仕事の関係者だと無碍にも扱えないので大変そうだ。


「ま、誘われたら他の社員経由で通報すればいいよ。今どき、バイトの女子大生に手を出すなんてコンプラ的には真っ黒。完全にアウトだから」


「通報しても仕事はあるのかな……それだけ我慢してれば給料は良いんだよね」


「なら……その人に脈なしだって分からせるとか」


「面と向かって『脈なしですよ』って言ってみる?」


 氷見さんがニヤリと笑ってそう言う。


「それも良いね。後は彼氏の存在を匂わせる、みたいな。いかにも彼氏の影響です、みたいな小物を持つとか、ホーム画面やSNSのアイコンをそれっぽいものにするとか」


「うーん……それいいね。採用。彼氏いないから手伝ってよ。手、ここに置いて」


 氷見さんがテーブルに手のひらを置いたのでその隣に俺も同じように手を置く。


 氷見さんはその2つの手を上からスマートフォンで撮影した。


「こういう写真でしょ? SNSのカップルアカウントとか頭が空っぽそうな人達が上げがちな写真だよね」


 氷見さんは俺と自分の手が並んだ写真を見せてくる。警戒心が薄れたからなのか、随分と毒を吐いてくるようになってきた。


「そ……そうだね……」


「ま、色々と試すしか――」


「あれ? 氷見ちゃん?」


 不意に後ろから話しかけられる。氷見さんに続いて振り向くと、長髪をセンター分けにしてヒゲを生やしたチャラそうな男が立っていた。


「あー……あぁ、高岡たかおかさん。お疲れ様です」


 氷見さんは無表情なまま対応をする。この感じからしていきなりあたりを引いてしまったのかもしれない。


「こちらの人は――」


「砺波さんです」


 高岡という男の質問に氷見さんが食い気味に答える。氷見さんは俺との距離を更に詰めて腕が接触するくらいの距離にくる。


「砺波さん、この人は高岡さん。ほら、さっき話してたバイト先の社員さんだよ」


「あぁ……ど、どうも……」


 全く関係のない社会人二人が会釈をし合う。


「あ、もしかして彼氏さん?」


「いえ、ち――」


 高岡の質問に否定しようとしたのだが、氷見さんはかなり食い気味に俺に被せてきた。


「はい、そうなんです。同じ大学の人で」


 ……ん!? 彼氏のフリをしろってことか!?

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