第34話
俺たちは様子見するほうだったはずだ。しばらく、なんて言葉を律儀に守ろうとするほどには、距離を測って時間をかける。そういう素質があったが、一緒に行動するという点においては、決断力を持っていたらしい。
二人分があれば、一人の人間よりちょっとだけ動きが良くなるようだった。……もっと単純に、珠桜と一緒にいたい欲求に従っただけ、という線が濃いのはこの際、考えないようにしている。
「おはよう」
半笑いの挨拶を道端で交わして、登校するのは初めてのことだ。しっくりこないような。秘密を共有しているような。くすぐったい感情を飼い慣らしながら、一緒に教室に入った。
一日目から注目を浴びることはない。登校時間は大体の生徒が同じなのだから、一日くらい同時になるものはいる。そんなところだろう。
和久田の視線は気になったが、そのときは流れた。慕われている委員長は、どれだけ気になったところで俺たちだけのことに構ってはいられない。
和久田からの追及はその場では流れたが、そのまま流れるなんてことはなかった。そして、直近でベンチに突撃してきていた日がある。和久田はそこでなら俺が捕まえられると分かっていたようで、そのチャンスを逃すことはなかった。そういう意味でも、如才がない。
俺と珠桜が約束通り弁当を持って移動したときには、まだベンチは空だった。しかし、すぐに和久田が後を追ってきたし、葵も図ったようにやって来た。
こうもちゃっかりしていると苦々しい。もしかすると、和久田が連絡をしたかもしれない。珠桜と仲良くしたいと憚っていなかったし、質問攻めにしてきた仲だ。
それをどうこう言うつもりはない。珠桜が望んだ状態なのだろうから、俺にしても拒否する理由はなかった。
ただし、集まった四人のバランスの悪さといったらない。共通点が見つからなかった。
それを言い始めたら、そもそも皆が皆、単体で動いているほうだ。葵は自由奔放に渡り歩いているし、和久田も誰からも慕われている。いつも特定のグループに所属しているという感じではない。
俺も一人が楽なほうだし、珠桜など言わずもがなだ。そんなバラバラで気ままな四人が集まって、バランスが取れるなんてあるはずもない。
しかも、俺と珠桜の行動は変化の初日だ。自身たちでは、二人でいることに違和感はない。だが、葵と和久田にしてみれば、違和感しかないだろう。妙な間合いがある。
そして、ベンチに四人は多いという物理的な逼迫感があった。
「葵は和久田のほうのベンチに移動しろよ」
「何その釣れない態度」
「珠桜とは弁当広げるからしょうがないだろ。こっちのほうがベンチ広いんだから」
「順番とか贔屓とか言い出さなかったのはいいけど、なーんか納得いかない」
「珠桜と隣がいいからそっちいってくれ」
「理充くん!」
おふざけなのは分かっていても、声を上げずにはいられなかったようだ。ついでに、制御するかのように制服の裾を引かれる。
何それ可愛い。
「だって、珠桜は他じゃ緊張するだろ」
「そうだけど、そんな言い方しなくてもいいでしょ」
「悪かったよ。……ってことだから、葵と和久田はそっちで」
「いいけどさ~いいけど、何だろうなぁ」
「分かるよ、あおちゃん」
和久田がとんとんと葵の肩を叩きながら、ベンチへつく。勝手に納得されても困るが、納得されないのも困るので、ひとまずはそれでよしとしておいた。
二つのベンチに二手に分かれて座る。俺たちは弁当を広げ、葵と和久田は購買で買ったパンやおにぎりを取り出している。
「珠桜」
「ありがとう。お味噌汁、ありがたいんだよね」
「温かいのが飲めるのはいいよな」
「もしかして、保温ポットっていつも私のほうにつけてくれてた?」
「まぁ」
「どうしてそういうことをしちゃうかなぁ」
「好きだろ?」
「……好きだけど」
一度、という言い方には語弊があった。けれど、会話の中で好き嫌いを話すことに衒いがなくなっている。衒いがないが、意識しないわけでもない。狭間で揺れ動きながら、俺は珠桜に振り回されている。
「ねぇ」
「……何」
「見せつけ?」
「どういう発想なんだよ」
「だって、息ピッタリなんだもん。ズルいよ、ズルい! 連れてきてくれたんだったら、紹介くらいしてよ!」
ブレない。本当にブレない。珠桜も困り眉になっている。けれど、見慣れてしまった表情で、慌てることもない。珠桜が本当にパニックになっているときは、顔色が変わる。
そういう読みができるようになった成長や親交を喜ぶべきなのだろう。暗い顔が分からなければ、助けることもできない。だから、いいことだ。けれど、少しでもいい顔を見ていたいところだった。
「小月珠桜さんです」
「何その義務的な他者紹介は。ていうか、知ってる! 雑!」
「紹介しろっていったのはそっちだろ。何だよ。他に知りたいことがあるなら、珠桜に声をかければいい」
「ていうか、珠桜って呼んでなかったよね? マサくん、色々隠してたな~」
「言う必要がなかっただけだ」
「小月って取り繕ってたでしょ」
「他人に知り合いを言うのに苗字を伝えるのは変じゃない」
「友だちにそれを適用しなくてもいいじゃん。珠桜ちゃんだってこっちは分かってるんだから、呼び方隠すことないってこと」
「もうしないよ」
「どういう風の吹き回し?」
先日のやり取りを思えば、心変わりに見えることだろう。問いももっともだ。
ちらりと珠桜を見ると、珠桜は太腿の上で拳を握り締めていた。これは多分、気合いを入れているのだろう。昨日、ふんすと握っていたあれだ。
「私が、話したいなって言ったの」
「珠桜ちゃんが……?」
ゆっくりと瞬かれた葵の瞳に、きらりと光の粒が輝いたような気がした。
「あたしと!?」
「う、ん」
頷くのがぎこちないのは、恐怖というよりは驚きだろう。葵の勢いに仰天する気持ちはよく分かった。
葵は瞳をキラキラとさせて俺を見てくる。宝物を見せてくるような子どもだ。喜んでいるのはいい。珠桜だって、ここまではすっぱなな顔をされれば、思い違いをする心配もないだろう。勢いが良すぎて困惑はするだろうが。
「わー! 珠桜ちゃんが仲良くしてくれる! よくやった、マサ」
「はいはい」
俺の手柄ではない。
この交流は珠桜が求めて調えているものだ。俺が勧めたわけではなく、珠桜が自ら答えを出した。不安を乗り越えて決めたことだ。
「珠桜ちゃんとマサは何で仲良くなったの?」
「隣のときに、お弁当の話をしたの」
しれっと言葉を省略している珠桜の度胸には笑いそうになってしまった。間違ってもいないので、俺は弁当を食べ進めて傍観する。
「それで、お弁当をってこと? 珠桜ちゃんって積極的だったんだね?」
「理充くんが優しいから」
「マサがか~~珠桜ちゃんが可愛いからでしょ?」
茶化すような視線がぐさりと刺さった。珠桜がそろりとこちらを見る。その視線の内訳を探ることは難しい。
可愛い。
数日前だったら、俺は否定しないまでも、話を流していただろう。今だって、そうしたかった。だが、俺は既にそれを本人にぶちまけてしまっている。二人きりで本気で漏らしているのだから、この場で認めるくらい手軽だ。
「困ってるみたいだったし」
「……否定しないし。でも、困ってるって何?」
今度は、問いかけの視線が珠桜に戻る。葵の動きは忙しない。元気印はいつものことだが、いつにも増してテンションが上がっているようだった。
そして、興味関心があるのは和久田だって同じらしい。視線が珠桜に集中する。珠桜の拳が再度握り込まれたのは、今度は緊張かもしれない。
自分がやけに珠桜の仕草への感度が高くなっていることを感じる。俺も気を張っているから起こる、今だけのことだろうか。それとも、珠桜への目が養われてしまっているからだろうか。
どちらにしても、今は目覚めている。それだけのことだった。
「あの、私、料理苦手で……」
やはり、スムーズにはいかないらしい。言葉尻が消えていく。
たったこれだけのことで、と思う気持ちがないわけじゃない。面倒くさい。でも、人目に晒されるというのは、たとえ友好的であっても過去を刺激するものであるのだろう。珠桜にとっては。
珠桜はそこまで深刻な言い方はしなかった。それだけを信じるほど、俺はお人好しじゃない。
逃げてきた。簡単なことに思えて、そう簡単じゃない。それも、高校生が一人暮らしに踏み切るほどの何かがあったのだ。トラウマと称して相違ない何かが。
それを想像すれば、たったこれっぽっちのことさえ、珠桜にとっては大変なことだと見守る気持ちが強まる。庇護欲の成長っぷりが凄まじい。
「へ~、意外!」
珠桜の肩がびくりと揺れる。意外性を指摘されるのも苦手らしい。人と違って責められた。その記憶は消えやしないのだろう。
俺だって、他意なく母さんがいないことに同情された記憶はなくならない。可哀想なんて言われる筋合いはなかった。数は多くはない。それでも覚えているものだ。
「珠桜ちゃんってすごく色々できそうなのに」
「そんなこと、ないよ。和久田さんのほうが、色々できそうだよ?」
「そうだね。優ちゃんは万能マンだから」
「私だってできないことはいっぱいあるよ。料理だって、そんなにできないし……ていうか、料理をマサくんと比べちゃったら、この中じゃ誰もできない部類じゃない?」
「それ言っちゃうか~~」
「理充くんの腕はシェフみたいなものだから……」
三人揃ってこちらを見てくる。一体感なんてひとつも持っていないのに、奇妙な連帯感があった。
「そんなに褒めても何も出ないぞ」
「卵焼き……」
「だから、やらないって言ってんだろ」
ひょいっと伸びてくる葵の腕から、ひょいっと弁当を遠ざける。葵はぶんむくれたが、すぐに気を取り直した。その切り替わりの速さに眉を顰めるよりも先に、葵の顔がぐりんと珠桜に向き直る。
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