第31話

 帰りのホームルームをばっくれることになってしまったが、和久田が上手く言っておいてくれたらしい。

 放課後になってから教室に戻り、和久田にお礼を言って、珠桜の荷物も一緒に持って保健室に戻った。和久田は心配こそしたが、俺たちの状況に首を突っ込んでくることはない。葵との攻防を知っているから、俺が口を割らないと分かっているのだろう。大丈夫だということだけは伝えておいた。

 とはいえ、心配がなくならないのは、自分が分かっている。視線は感じていたが、同じように不安を抱えている俺には何も言えることはない。そして、心配であるから、一刻も早く保健室へ戻りたかった。

 そうして辿り着いた先で、珠桜は眠ってはいなかったが横になっていた。


「大丈夫か?」


 しつこいだろう。けれど、確認せずにはいられない。過保護になっている。この過剰さは、どこから生まれてくるものか。心中の形はまだ手探り状態だった。


「うん。帰りに理充くんに迷惑をかけないために、体力を戻しておこうと思って」

「いざとなったらおんぶして帰るよ」

「普通に恥ずかしいんだけど」

「不調なら仕方ないだろ」

「理充くんだって、そういうの恥ずかしがるほうだと思ってたんだけど」

「珠桜が優先」


 我ながら、よく言えたものだなと思う。眩暈で不調の珠桜よりも、俺のほうがよっぽど調子を崩しているかもしれない。けれど、久々の濃いやり取りで、貴重さに拍車がかかって、バランスを崩していた。

 珠桜は困ったように眉を下げて、唇を蠢かす。


「理充くんって恥ずかしいこと言うよね」

「そうか?」


 今ズレているのは分かるし、今を指摘されるのならまだ納得した。けれど、まるでいつものように言われると心外だ。


「熱に浮かされているときも大概だったよ」

「それはノーカンで」

「覚えてるって言ったくせに」


 困り顔ではあるけれど、俺に対する遠慮はない。あけすけな距離感が心地良かった。学校ではこんな態度は見せない。今、俺たちは日頃の禁を破っている。


「それはそれ」

「じゃあ、今日はどうしたの?」

「珠桜が倒れるから、心配してるんだよ」

「理充くんは体調不良に弱いんだなぁ」

「弱るものなんだろ」

「今日は理充くんくんの不調じゃないじゃん」

「弱っている人には優しくするものだ」


 ああ言えばこう言う。口論とは言わないが、砕けた応酬だった。くだらない。何気ない。これが戻ってきたことに、浮かれていただろう。


「理充くんはいつも優しいよ。私の我が儘だって黙って聞いてくれるもん」


 深刻とは言わない。けれど、軽口からテンポが外れた。我が儘に心当たりがまったくなくて、首を傾げる。


「しばらく放って置いて、ってなんて曖昧なことも何も聞かずにいてくれるってすごく優しいと思う」

「ヘタレなだけだよ」


 いいように捉えられていることに苦々しくなる。珠桜の意見を尊重したい。それも事実だったが、嫌われたくないほうが大きかった。


「それでも、だよ」


 否定しないままに受け入れられてしまったら、どうしたらいいのだろうか。俺は答えを見つけられずに、珠桜の言葉を聞いているだけになってしまった。


「私には嬉しかったの。時間がかかったけど、もう大丈夫だから」

「……いいのか」

「うん。理充くんが責められてなければいいの」

「は?」


 目を瞬くと、珠桜は渋面になる。


「私のせいで、理充くんが色々絡まれるのは嫌だったから。一緒にいたら、もっと絡まれるかもしれないし……いつ、隣人だって分かって、色々詮索されるかもしれないと思ってたけど、もう、いいかなって」

「どうして?」


 何を持って、よしとしたのか。こだわるつもりはないが、知っておきたくはあった。

 珠桜のことが知りたい。知らないことがあるのだと、この期間によくよく思い知らされた。食事だけの関係で終わりたくない。


「おんぶして運んでくれるくらい、へっちゃらなんだと思って」

「それかよ」

「それくらい、理充くんは織り込み済みなんだなぁって分かれば大丈夫。それに、私だって黙ってなきゃいいんだもん」

「それ、簡単なことか?」

「心意気の話」


 そういう珠桜の顔つきは硬い。簡単じゃないのは明白だ。けれど、珠桜の中で決着がついたという話なのだろう。そういうのであれば、俺はそれだけ分かっていればいい。

 彼女は俺と一緒に矢面に立ってくれる。それくらい、俺のことを遠ざけようとは思っていない。それだけ分かっていれば、十分。それこそ、心意気の話だ。


「珠桜がそう思ってくれて、しばらくを解除してくれるなら、俺は嬉しいよ。一緒に噂になろうか」

「……やっぱり、理充くんって恥ずかしいこと言うよね」


 くすりと笑った珠桜が起き上がる。フラつくような危うさはない。だが、視線を逸らせなかった。

 その間に、珠桜は起き上がって、髪を整えて、と身支度を調えていく。その動きが不意に止まって疑問を抱いたところで、じとっとした目で見られた。そのまま数秒が経過する。それから、ゆっくりと珠桜が口を開いた。


「あのね、理充くん」


 窘めるような言い方をされてもなお、心当たりに達していなかった。


「理充くんが心配性なのは分かるけど、女子に身支度をじろじろ見るのはやめたほうが良いよ?」

「……すまん」


 こほんと咳をひとつ挟んで、顔を背ける。

 当たり前だ。ベッドから起き上がる女子高生をガン見していた。自分の行動を言語化すると、その文字列の際どさが鮮烈に輝く。

 珠桜は俺の反省を見るとくつくつと笑い声を上げた。どんなテンションなのか。俺と同じように、久々のことに調子を崩しているのだろうか。そう思うと、何だか悪くない。

 そうとは限らないが、人は都合の良いほうを取るものだ。そう結論を出している間に、珠桜は帰り支度を整えたらしい。


「帰ろう? 理充くん」


 今まで聞いたことのない言葉は、胸の柔らかいところに染み込む。相槌を打つと、珠桜は目を細めて笑った。

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