第28話

 趣味でも面倒なことがあるんだなぁ。

 薄ぼんやりと思いながら、帰宅してソファに背を預けて一時間以上が経過していた。壁のアナログ時計がちくたくと秒針を刻んでいる。

 物静かだ。近頃は、珠桜がこっちに来っぱなしだった。静けさが身に沁みる。耳を澄ませば、隣の物音が聞こえるのではないか。そんなきりがないことを考えてしまう。それほどまでに、ダメージを食らっていた。

 自分の分を作るのも面倒くさい。

 やりくりしながら料理するのは楽しかった。母さんのレシピを上手く再現できたときは、大喜びしたものだ。たとえ、自分一人のためであっても、負担に思ったことはないような気がする。

 ただ、今に至っては、自分の分を考えるのすら面倒くさい。今日はもう、うどんでいいかと天井を見上げながら考える。

 カップ麺があったはずだ。

 俺は料理が好きだし、毎日やることに苦難もない。だからって、冷凍食品だろうとレトルトだろうとカップ麺だろうと、使えるものは何でも使う。作る分には栄養も気にするが、そうでなければぼちぼちだ。

 夜食を食べることもあるし、そんなときは既製品に頼る。それに、風邪を引いたときに肺腑に沁みた。

 珠桜が俺を拾ってくれたから今回はどうにかなったが、そうでなければ苦労しただろう。食べられるものがないわけではないが、レトルトくらい用意していないと困る。次も珠桜が助けてくれるとは限らない。

 甘えることを覚えたが、迷惑をかけていいってことではないし、かけたくもなかった。珠桜を助けてやりたい。見守っていたい。無理はして欲しくない。にこにこしながら食事をしていて欲しい。

 ……今、珠桜はどうしているのだろうか。

 教室では、過度にへこんでいるようには見えなかった。けれど、デフォルトで静かな子だ。教室での様子だけでは、心情を読むことは極めて難しかった。

 自室で会えていれば、とは思うが、それでも芯まで読めるとは言えない。自信もない。けれど、珠桜が素でいられるのがテリトリー内であることは間違いないのだ。肩の力を抜いた珠桜からなら、多少は話を聞ける。聞いてやりたい。

 だが、しばらく、というメッセージに了承してしまったのは俺だ。それに、無理やり聞き出したいわけじゃない。自発的に語って欲しい。これは期待し過ぎているだろう。

 珠桜のことだ。俺に話す必要性はない。流れの都合上、顛末を話してくれてもいいのかもしれない。

 だが、それはあくまで、こちら側からの話だ。それを珠桜に押し付けたいわけじゃない。尊重したいのは本音だ。

 何にしても、珠桜のことばかりを考えている。

 出会ってから今までだって、考えてはいた。隣人であることがバレないように距離を測ろうとしていた時期から、料理を作るようになってから。ずっと変わりなく、珠桜のことを考え続けていると言っても過言ではなかった。

 ただ、それは付随だったのだ。バレないように、というのも自分が面倒事に巻き込まれたくがないためのものであった。料理だって、自炊のついでに考えていたものだ。

 今は確固として、珠桜のことだけを考えている。

 蛇足なんてどこにもない。生活の一部を切り捨てているような気さえする。このままじゃまずい。

 ふーっと長く息を吐いて、腰を上げた。このままソファと仲良くしていたら、ずぶずぶとスプリングを負かして沈み込んでしまいそうだ。


「よし」


 細くはあるが、声が出たことに苦笑いが零れる。その零れた何か分軽くなった身体を動かして、お湯を沸かした。

 並行して、冷蔵庫の中を覗き込む。卵を落としてもいい。あと、ネギは切っておいてある。ショウガチューブもありだろう。青菜漬は買ったものだが、摘まむにはいいかもしれない。

 それを用意して、カップ麺の蓋を取った辺りで、ちょうどお湯が沸いた。それから、三分。できあがったものに卵を落として、茹だっていく間に、青菜漬を摘まんでいた。ネギを振りかけて、麺を掬う。

 一人きりの食事なんて慣れていた。淡々と食すことに、これといった感慨もない。そのはずであるし、この数日間だってそうしてきた。

 だが、と眼前の席を何くれとなく目をやってしまう。そこには、この頃目を輝かせて料理を食べ進めている隣人が座っていたのだ。

 そんなものは、凝縮すれば二週間ほどしかない。それだというのに、そこに誰もいないということが、無性に意識を散らした。

 珠桜は口数が多いわけじゃない。食事時間に話が弾むも弾まないも、雑多だ。だから、静かな夕食の時間が例外なわけじゃない。

 それだというのに、異様に気持ちが上滑りする。今日は特に、葵たちに突かれたからか。やたらと意識が奪われている。ふぅと一息吐いたつもりの音が、ため息のような深みを持つのは、そういうことだろう。

 カップ麺はあっという間に食べ終えてしまって、またぞろ手持ち無沙汰が発生した。こんなことなら、料理に没頭しておけばよかったのかもしれない。けれど、キッチンに立って長らく集中していられる気がしなかった。

 カウンターの前で、俺の手元を観察している姿。一度容認したからか。珠桜はよくそうしていて、その視線がないことを感じずにはいられない。今まで普通にやってきたことに、珠桜が忍び込み過ぎていた。

 料理で関わる。その影響力を見透かすことができていなかった。

 料理は俺の柱だ。そこに触れるのだから、奥深くに入り込んでくる。予測できたはずのことに気がついたときには、もう手遅れだった。

 根を張ったものを引き剥がそうとすれば、大ダメージは免れない。心を掘り起こして、ひとつひとつの根を剥ぐように抜いていく。そんな作業を心の中でやれるものなのか。

 仮に抜けたとしても、次から次へと生えてくるに違いない。雑草というには奇麗な花が咲いているが、それがたった一度の引き抜きで撲滅できるとは思えなかった。

 瑞々しい花を咲かせるには、それなりに世話をかけなければならない。そして、そうして丁寧に育まれた花を摘んで捨てるなんてことは、できそうにもなかった。

 それに、俺はきっと、何度だって自ら手間暇をかけて、この花を咲かせてしまう。心に引き入れて、大事に仕舞ってしまう。

 気になる。

 葵が勘繰った中身が、強烈な光を放つような気がした。そのまばゆさに存在を確認しきれない。心許なく落ち着かない。徹頭徹尾、珠桜に支配されまくっている。どうにもならない切り離しに能力を使っても仕方がない。そう開き直ってしまったほうが建設的だ。

 そうして、珠桜が手伝ってくれる片付けは気持ちが明るくなるのになぁ、と思いながら、後片付けのためにキッチンへと向かった。

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