第27話

「隣でおろおろしているから気になっただけだよ」

「おろおろ……確かに、大人しいよね。小月さん。それが可愛かったんだ?」

「……どういう探りを入れてんだよ」


 客観的事実を客観的に頷くことは簡単だ。だが、探られると痛い腹がある。

 はっきりと珠桜を可愛いと思っていた。どこが、と思考を巡らせ始めれば、いくらだって例を挙げられる。

 それは葵たちが知らぬ顔ばかりだ。自分だけがそれを知っている。その優越感を譲るつもりはない。譲れるはずもなかった。独占欲の発露は、もう認めている。そうして認めてしまったものに、取り乱すつもりはなかった。


「そういう反応が怪しいんだよなぁ」

「あおちゃんがいるのに、他の子に可愛いなんていうのは良い度胸だよね」

「誰がいるって?」


 葵が可愛くないというつもりはない。愛嬌は存分にある。愛嬌だけにスポットを当てるのであれば、珠桜よりもあるだろう。けれど、他の子よりも特別に葵を置いているというような言い方に頷くつもりはない。

 特別に置くのであれば、他の候補がいる。


「だって、あおちゃんと一緒にご飯食べてて、めっちゃ仲良しなんだと思ってたけど?」

「なし崩し」

「あ、ひどっ」


 どれだけ不満を漏らされても、それこそ珠桜よりもずっとなし崩しだ。

 中学時代に葵と仲良くなったのも、偶然にも等しい。共通の友人がいただけだ。その流れで話すようになった。高校に入っても続いているのは、他に中学からの友人がいなかっただけだろう。

 葵はそのうちに高校の友人を多く作り、昼食だってあっという間にまちまちになった。今、こうして続いているのは、まさになし崩しでしかない。


「そりゃ、中学から一緒だから和久田に比べれば仲がいいし、一緒に食べてるけど、毎日ってわけでもないよ」


 俺はいつもここだが、葵が来る来ないはあちらの判断だ。いつだって仲良しこよしってわけではない。


「でも、わざわざ男女二人で食べないでしょ? だから、あおちゃんより仲がいい子って想像できないんだよね」

「しなくていいよ。小月とのことは放っておいてくれ」

「何か小月さんにされてるの?」

「何だよ、それは」


 発言の筋道など、他人へ伝わるものではない。それにしても、なぜ珠桜にフックがあるような話になるのか。

 トーンが落ちたのは、あからさまだっただろう。


「だって、マサくんからのフック軽いんだもん。それに口重たいし」

「隠してるとは思わないけどさ、マサのラフさからは遠いよね」


 別段、意図してラフにしてきたつもりなんてない。ただ、他人に執着するようなことはなかった。距離を測っていたなんて言うつもりはない。それでも、一人でいることに慣れていて、気に留めてもいなかった。

 その隙を認識させたのが珠桜だ。だから、彼女だけが違う箇所に滑り込んでしまっている。ラフさから遠かろうと何だろうと、優先度が違った。

 そして、あちらの瑕疵のような言いざまは看過できるようなことはない。


「だからって、あっちが何かしたとかいう謎論理はやめろよ。小月が何かしたわけじゃない。あんな大人しい子が何かできるとか勘繰りはするだけ無駄だからな。小月を不快にさせるな」


 ムキになっているのは明白だっただろう。何かがあると明言しているようなものだ。だが、疑っている二人は、そんなことは既に了承している。だったら、ムキになってフックを見せたほうが問題はないだろう。

 このときに、策略が組み立てられていたわけではない。ムキになるときに、余所事を考える余裕などあるわけもなかった。


「わー、マジだ。マサがマジだ」

「何だよ、それは」

「珠桜ちゃんが気になってるってそういうこと?」

「安直」


 言いながら、弁当を食べ終えて蓋を閉めて片付ける。

 気になる、という発言はいくらでも取りようがあるだろう。しかし、それにしても……と思わざるを得ない。

 半眼になった俺に、葵も目を眇めてくる。見抜こうというような視線だが、それで何が見抜けるというのか。自分の腹の底は、自分でも読めていないと言うのに。


「そうでもなきゃマサは動いてないのかなって」

「えー、マサくんがねぇ」

「もういい。放っとけ」

「照れてるじゃん」

「ないわ。もう行く。とにかく、俺がどう感じていると探ろうと勝手にすればいいけど、小月に難癖をつけんなよ。それだけ」

「分かった分かった」

「小月さんを怖がらせたりしないよ」


 和久田はともかく、葵の返事に信憑性があるかどうかは怪しい。だからといって、塗り固めるのは逆効果だろう。

 それでよし、として俺はベンチから立ち上がった。


「もう行くの?」

「うん。じゃあ」


 俺としては終着したものだったが、葵にとってはまだ深入りしたいところがあったのか。それほど俺と珠桜が気になるのか。読めない感情を読んでも仕方がないので、軽く手を上げてロビーから立ち去った。

 教室へ辿り着くと、惰性で教室内をさらってしまう。珠桜の姿はない。レアではないけれど、以前なら見つかっていたタイミングで見失うことはあった。

 お昼をどうしているのだろうか。

 何度だって浮かぶ疑問は、ため息とともに飲み下した。




 どれだけ交流を深めているといっても、それはマンションというプライベートが確約された隣人でのことだ。

 隣席と隣人の狭間である通学路をともにするような習慣はひとつも身についていない。むしろ、秘することとして、お互いに気をつけていたほどだろう。

 結果として、自宅でなければ珠桜には会わないことが多い。スーパーで見かけてもスルーするのは、あの雨の日以前と変わっていなかった。つまり、今となっては、偶然を装うのも難しい。

 しばらく、と距離を置くことを決めた。仕方のないことだと思っているし、珠桜を急かそうなんて気持ちはない。だが、そうした理性と情緒は別問題だった。

 きっと、珠桜と出会う前の俺であれば、こんなことを考えることなどなかったはずだ。けれど、珠桜と出会って、距離を縮めてしまった。看病してくれた一夜が効いている。

 珠桜はふらっと境界線を越えて心に触れてしまったのだ。こちらが開いてたというのもあるだろう。許していい相手だと、無意識に感じていた。そうして二人でいることに慣れてきていたところだ。

 虚無感。寂寥。母さんを亡くしてしばらくぶりに、そんなものを感じている。この感情をどう飼い慣らせばいいのか。慣らせないから、当時かなり落ち込んでいたのだ。

 その焼き増し、というほど理性がないわけじゃない。俺だって成長している。まさか、こんなところで成長を感じることになるとは思わなかった。

 気持ちの沈下は、やる気を削ぐ。毎晩、毎朝。難なくこなしていた。今までもこれからも変わらないと思っていた調理にも、やる気が低下している。こうも連日面倒くささが続くとは。到底、予想だにしていないことだった。

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