第六章
第26話
隣人としての付き合いがなくなり、隣席も遠ざかっている。危惧していた通りに、交流はいっぺんに薄れた。
高校になって一年間。それより前だって、一人で家事をこなすことは日常で、それに戻っただけだ。けれど、手空きの時間が増えた。実際、二人分の料理を作っていたのだから、その分の時間は削減されている。時間が増えたのは事実だ。
それが手持ち無沙汰で困惑する。ずっとそうして生活してきたというのに。珠桜のことを考えずにはいられないし、様子を窺う癖がついていた。
目が合うと、珠桜は目顔で挨拶するし、マンションのときは声に出して挨拶することはある。そうしたクラスメイトの交流は消えていない。まっさらになったわけではなかった。それを心の支えにして、日々を過ごしている。
こんなにも張り合いがなかったか。そう思いこそすれ、日々が忙しくないわけではなかった。
それもこれも
「珠桜ちゃんはもう来ないの?」
と葵に絡まれ続けているからだ。
ついでに言えば、
「本当にマサくんがそんなに小月さんと仲良しだったの?」
と、昼休みに凸してくる人物が増えてしまっている。
どうやら、葵が和久田に状況を話したらしい。相談というほど深刻ではないらしいが、和久田も気になる案件だったようだ。
「そうなの。優ちゃんだって、二人が話しているの見たことあるでしょ?」
「隣のときはね、結構話してたと思うよ」
「席替えしちゃったんだっけ? それからは? だって、弁当渡す仲になっていたんだよ?」
「教室では席を離れちゃったクラスメイトって感じで、特に感じないかな? あおちゃんだって、そのお弁当のとき以外はどうしてるのか知らなかったんでしょ?」
「そう。いつの間に……! って感じ」
「隣席の間にだよ」
きっかけはそこにある。同じクラスで隣の席。そうした接点がなければ、いくら隣人であっても距離を縮めることはなかったのだから、嘘は言っていなかった。
しかし、こんなことで諦めてくれるのならば、二人がかりで押しかけられてもいない。和久田が目を細めて、じっとこちらを見てくる。無言の言いがかりが痛い。
「何だよ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「隣席のときだって、お弁当なんてことまで仲良くしてるようには見えなかったけど? 他にどこか話す場面があったんじゃないの?」
……こういうときばかり、というのは和久田には不相応な評価であるかもしれない。大抵のことに勘は働いているような気がする。鋭さがあるから、委員長として如才ない。
「だとして、何なんだよ。別に俺が小月と仲良くなる機会を得たからって、二人に関係ないだろ」
「だから、ズルいんじゃん」
葵の主張は、あの日から変わらなかった。繰り返される主張には飽き飽きしている。下手に進展しないことは、俺にとって好都合だ。だが、延々とあの日を繰り返しているようで、胸が張り裂けそうになる。
珠桜の顔色の悪さが頭の中に刻み込まれていた。
「出し抜いて仲良くすることないじゃん」
「大体、葵が仲良くすればいいって焚きつけようとしてたんだろ」
「それは、あたしが仲良くしたいから! 仲良くなったんだったら、教えてくれればよかったのに」
「小月が人付き合いを広めて回るタイプに見えるか?」
「それは見えないよね」
和久田の立ち位置はいまいち分からない。援護射撃とも取れる相槌に、葵は不貞腐れた。
「でも、だからって、マサはあたしたちと友だちじゃん。友だちの話したっておかしくないでしょ」
「しれっと和久田のことも巻き込むなよ」
「優ちゃんだって友だちでしょ」
まぁ、話す相手として、その領域にはいるだろう。だが、俺は和久田のプライベートなことは知らないし、連絡先を交換しているくらいだ。連絡を取ることもない。
否定する気はないが、珠桜と比べてしまうと、その関係の薄さは浮き彫りになる。この場合は、和久田との距離感が遠いというよりは、珠桜との距離感が近過ぎるというのだろうが。
「だからって、は変わらん」
「でも、お弁当なんてどうして作ることになったの?」
射ってくる矢の正確性が苦い。
和久田を引き込まれたのは、悪手だ。葵に声をかけられれば、和久田を排除することは難しかっただろう。それにしても、二対一になるのは避けるべきだった。
「なんか、流れで」
「何それ! 絶対誤魔化してるじゃん。秘密主義者め!」
秘密にしたいのは本当で、指摘は間違ってはいない。
だが、弁当を作るようになった理由と言われると、流れとしか答えようがなかった。
俺と珠桜の始まりは、行き当たりばったりだ。理由をつけられるようなものではない。自分が進言したことも、珠桜が頷いたことも。すべては事の次第でしかなかった。精査できるような立派な理由は存在しない。
「俺は元々、そんなに多くを語るタイプじゃないだろ」
「なんか、かっこつけたようなことを言っても誤魔化されないよ」
「小月のことは小月のことだからな」
「だからって、珠桜ちゃんに突っ込んで聞けないでしょ」
「その分別はあって、どうしてあのときは迫ったのか」
「だって、その場だったから。普段は捕まえるのが大変なんだよ」
「レアキャラかよ」
「レアキャラだよ?」
きょとんと言われても、こっちにその感覚はない。関係が薄れた今でさえも、さほど珍しくはなかった。葵はクラスが違うということもあるだろう。それにしたって、共有できない感覚だ。隣人という圧倒的なアドバンテージのおかげだろうが。
「じゃ、小月は触れられたくないんだろ」
「でも、マサくんとは仲良くしてるんだよね? あおちゃんが見て仲良しだなって思うくらい」
「葵の観察眼が正しいとは限らない」
「そういうこと言う!?」
騒ぐ葵の威勢を浴びるのは、物珍しいものでもない。レア度など欠片もないので、流すことだって身についている。相手にしないでいると、葵は頬に空気を溜めこんでぶんむくれた。
「あんなにやる気なさそうだったのに」
「人付き合いなんて流動的なもんだよ」
「小月さんからアクションがあったりしたの?」
「なんで?」
ひとつの事柄から、枝分かれしていくことは不自然ではない。飛び石のようになっていることも然りだ。しかし、和久田がそこに到達した動線は読めなかった。
「だって、あおちゃんが見るに、マサくんが動くように見えなかったんでしょ? 私だって、そんなに積極的に話しかけるのなんて一度も見たことないよ。他に交流を持つ場所があるとしても、マサくんから突撃するのは想像しづらいいんだよね」
「そうそう。それ」
後乗りは否めない。ただ、言語化に手間を取っただけなのだろう。葵は同意であるとばかりに大きく頷いた。
「だから、流動的なものだって言ってる」
「じゃあ、珠桜ちゃんのどこが気になったの?」
よくもまぁ、飽きないなとため息が零れそうになる。零したところで、引っ込めてはくれないことは明らかなので、吐き出す息抜きもしない。
こうなったら、俺からアプローチをしたという流れに乗るべきだろうか。そっちのほうが、珠桜へ突撃する確率を下げられるかもしれない。そして、わずかでも操縦できるのであれば、そのハンドルを放すヘマをしたくはなかった。
珠桜は今、自らと向き合っている最中だ。飽き飽きしているが、二人がこちらを向いているのは都合がいい。邪魔させるつもりはなかった。そうでなければ、こんな思いをして距離を置いている意味がない。
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