第25話

   *********************



 理充くんに伝えたことに嘘はないけれど、伏せたことがある。仲良くしてくれていた男の子に絡んだ人もいた、ということだ。

 自分が無視されるだけならば、私はまだ平気だったかもしれない。悲しいし寂しいし、苦しくもあった。けれど、自分が標的になっているのならば、自分一人が折り合いをつければそれで済む。

 自分のせいで……そこには物申したいところはあるが。だが、それでも自分の余波で他人がやり玉に挙げられるのは、居心地が悪かった。

 そこには、せっかく仲良くしてくれていた人が、これを機に自分を嫌うかもしれないという利己的な理由もあっただろう。これ以上、傷付きたくなかった。そう思えば、それまでに折り重なってきたものがそのときに崩れただけなのかもしれない。

 どちらにせよ、逃げ出す最後の一打になったのは他人のことだった。

 そのため、怯む要因として強く印象に残っている。だから、私にとって、忌避すべきことは私以外の誰かが責められているところだ。

 不動さんと理充くんの間では、気に留めるようなやり取りではないのかもしれない。けれど、理充くんは普段そこまでぶっきらぼうではなかった。そりゃ、不動さんと私の扱いが一緒だなんて思っていない。

 私と理充くんの付き合いは、なんだかんだ言っても二ヶ月とちょっとだ。春先に出会って、まだ夏休みにもなっていない。季節をひとつ巡ってもいないのだ。

 不動さんとは付き合いの長さが違う。その分、砕けているのが平常なこともあるだろう。だから、私が神経質になっているだけだ。それはよく分かっていた。

 それでも、理充くんが私のことを伏せようとしてくれているのも分かるのだ。そうして盾になってくれていた。

 それは理充くんの男気であって、私が気を張るものではないのだろう。傲慢というものだ。けれど、どれだけ容認しようとしても、不安が胸に巣くう。

 理充くんとは、すっかり仲良くなった。過去の男の子よりもずっと仲良しだと言えるだろう。今までの他の誰よりも……小学生のころよりも、ずっと近い場所にいた。

 理充くんは気がついていない。

 熱に浮かされている理充くんに話した。昔、肉じゃがを食べさせてもらえたこと。お母さんを亡くしたばかりの理充くんからのものだったこと。

 タッパを突き出してくれたその顔が、今の理充くんに重なったのだ。

 あのころ、隣のクラスの友人だった理充くんのことは、マサくんという呼び名しか知らなかった。だから、成長をした姿にすぐに気付いたわけじゃない。

 けれど、お母さんのレシピの話や、料理の腕。それから、和久田さんがマサくんと呼ぶこと。そうした複合的なことから、理充くんがマサくんであることに確信を持った。

 今更、それを取り沙汰しようなんて思わない。だから、そのまま過ごしていて、不便なこともなければ、そのことに注視することもなかった。

 その過去の繋がりが、今になって効いてくる。思い出がある仲のよい隣人。その人に面倒くさがられてしまったら、私はやっていける気がしない。今度は逃げても、回復させてくれる料理を振る舞ってくる人もいないのだ。

 ……これは、ちょっと生活を明け渡し過ぎていて別の問題があるが。

 とにかく、理充くんに嫌われることは嫌だった。

 そんなことにはならない。そう信じてもいる。まだ交流も少ない転校生の家から蛾を追い出す手伝いを申し出てくれる人だ。

 その後、空っぽの冷蔵庫を見て夕飯を申し出てくれるほどに親切でもある。ビックリしたくらいだ。

 けれど、そのころには和久田さんのマサくん呼びが耳に残り始めていた。薄らと、どこかで、帯包理充くんが小学校時代の彼であると、結びついていたのかもしれない。

 頷いてしまったことには、自分でも意外性を覚えていた。そのときから、理充くんのことを他の誰かよりは信頼していたのだろう。そこから、ひとつひとつ信頼を積み重ねてきた。

 だから、理充くんがこんなことで嫌いになるなんて本気で思っていない。実際、理充くんからは気遣うメッセージが来ていた。

 そこに、私を責めるような言葉はひとつたりともなく、不動さんを任せるように書いてあった。それは理充くんの優しさだし、頼り甲斐のある部分だ。あの場から抜け出すことを認めてくれたやり方には感謝している。だから、甲斐性に甘えていた。

 それでも、と思う気持ちは止められない。理充くんが受け持ってくれる。その罪悪感が突き刺さってきた。息が上手くできない。

 大丈夫だと伝えた後も、教室で理充くんはちらちらとこちらを窺ってくれていた。それに気付けてもいる。私が不安定になっているだけに過ぎない。でも、と何度も何度も繰り返し、不安の芽が飛び出してくる。

 今はまだいいかもしれない。けれど、これから先も交流を持ち続けていれば、不動さんからも絡まれ続けるだろう。

 既にお弁当のことが知られてしまっている。そこに加えて、隣人で夕飯もお互いの部屋で取ることも増えてきた。そうしたことが開け放たれたとしたら。

 理充くんが明かすと思っているわけではない。けれど、そうした実態があるのだ。実態があるものを絶対に隠せるとは豪語できない。

 そうして知られたとき。はたして、理充くんくんはどれほど言い募られるのだろうか。標的にされる。その煩わしさ苦しさ悲しさ。色々なものが胸を混ぜっ返して、不安を増幅させていた。

 こんなものは所詮、臆病風に吹かれているだけに過ぎない。分かっていても、拭えないものは拭えなかった。

 私は逃げて、理充くんのご飯で癒やされたかもしれない。それはきっと悪くないことだった。けれど、気持ちを立て直して、割り切って、乗り越えたというのとは違う。

 だから、こういうときに不安定さが幅を利かせて足元を揺らがすのだ。このままではいけない。そればかりが先走って、埒があかなくなる。

 これは理充くんに助けられているばかりでいるわけにはいかない。私が私自身で乗り越えて、解決して、向き合わねばならないことだ。腹の中心に力を込める。

 そうと決めれば――



   *********************




『しばらく、ご飯はいらないです。ごめんなさい。ありがとう』


 端的に届いたメッセージに問い詰めたいことは山のようにあった。責めたいのではなく、心配している。

 昼間の一件に、過去が刺激されたのだろう。その予測は立った。そして、秘密が詳らかになるところだったということもある。

 葵にどれほどの苦手意識があるのかも分からない。ただ、あのバイタリティを一心に向けられて怯む気持ちはよく分かる。

 ただでさえ、人に絡まれることに苦手意識のある珠桜のことだ。そして、葵と仲がいいわけではない。そうなれば、相手の思考も読めない分、逃げ腰になる。

 俺だって、中学時代に友人になっていなければ、今になって友だちになろうと思ったかは分からない。それくらいには、威勢だけで生きている。元気なだけで良い子だと分かっているから、許容できているだけに過ぎなかった。

 その下地がない珠桜が逃げ出したくなっても仕方がない。だから、交流に気をつけるという発想が出てくることは予想していた。

 それが、一足飛びになくなるとは、予想外で唖然とする。心配と同時に、このまま関係が解消されてしまうのではないかという不安が蔓延った。

 珠桜が拒否すれば、俺に為す術はない。自分たちの隣人関係が危ういバランスの上に成り立っていたことを、今更思い知らされる。

 何事もそうだといえば、それまでだ。けれど、俺たちは隣人と教室では、接するラインに確実に変化をつけている。その境界線に阻まれ続けるのだ。それを思うと、とても平常心ではいられない。不安が膨れ上がって雁字搦めになった。

 拒絶だけが送られてきていたならば、俺は強引に攻め寄れていたのかもしれない。けれど、続けられていた謝罪と感謝が、俺の動きを鈍らせた。

 過去に囚われて後ろ向きになっていることは間違いないが、人を気遣う気持ちを失ってもいない。自分だけのことに狭窄しているわけではない。それを感じてしまうからこそ、俺は二の足を踏む。

 様子を見たほうがいいのではないか。

 その思考が一度でも過ってしまうと、焼きついてしまったかのように消えない。珠桜が抱え込む性格であることは知っている。おいそれと突いていいものか。熟考している珠桜に、無闇に手を出すべきなのか。

 俺の料理で元気を出せ、と力任せに励ました。ただ、それは精神的に何かを解放したわけではない。今、珠桜がそれに向き合っているとすると、俺が手を出すことは悪手ではないか。

 弱腰が顔を出しているだけに過ぎない。それはよくよく分かっていたが、それでも、これは相手のアクションありきのことだ。

 珠桜を助けてあげたいが、珠桜の意思を無視したいわけじゃない。尊重したいものだ。俺が邪魔してはならないだろう。

 ……しつこくして、嫌われたくはない。そんな感情もあった。そうしてごった煮された感情は、結局、一番簡単な結論を出す。


『分かった。無理せず、食べられるだけ食べて過ごしてくれ』


 しばらく、の期間を決めなかったのは落ち度であったかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る