第24話

 復調して、夕食もお弁当も復活している。

 今までのようにタッパで預けるだけではなく、部屋を行き来することも増えた。俺のキッチンのほうが食材も調味料も使い勝手がいいので、珠桜がこちらへ来ることがほとんどだ。

 ごくたまに、俺の休日として総菜やデリバリーなどで済ませる日には、珠桜の部屋を訪ねることもある。そうして繰り返していれば、日常になっていくものだ。

 その間に、席替えをして隣席ではなくなったことも、プライベートでの進展を早めた一因かもしれない。

 ただでさえ、ただの隣人の範囲は超えていた。今となっては、友人にしても仲がよい分類になるだろう。そして、多分、珠桜もそれを否定しない。それが分かるから、俺も交流を続けられていた。

 教室での珠桜は、相変わらず一定のラインを引いたままだ。けれど、和久田の接近には線がぼやけたようだった。

 それが自分の成果だなんて、図に乗ってはいない。当人が意識を切り替えられただけのことだ。けれど、そうできたことは自分のように嬉しかった。

 同時に、珠桜の柔らかい部分が外に出ることに、もったいなさを覚えている自分もいる。まるで自分だけが知っている珠桜が存在するかのごとく。

 抱えていると気がついた独占欲は、友情と呼べるものか。にわかにその手触りへの違和感を覚え始めてもいた。


「あ」


 ぽろりと零した音に


「何? どうしたの?」


 と即応したのはロビーのベンチに座った葵だ。

 俺はそれには答えずに、弁当箱の入った紙袋へ目を落とす。それはいつもよりも嵩があった。二つ分。重ねればちょうどこんなもんだろう。

 毎朝、弁当を渡してからバラバラに出発しているのは変わっていない。習慣化していたが、習慣化しているからこそ、すこんと抜けることもある。

 しくった。

 珠桜はいつも教室で食べていると聞いている。一度戻るしかあるまい。


「忘れ物。一旦戻るわ」

「荷物、置いとけば? 見とくけど」

「いいよ。袋使う」


 口からでまかせにもほどがある。

 しかし、葵は気にした様子もなく、ふーんと相槌を打った。昼休みの集合についても、曖昧にしてきている。放任主義なところがあるので、適当でもいい。そう思っているから、でまかせも出るというものだった。

 珠桜のことを伏せると決めている以上、そこに躊躇もない。そうして、踵を返そうとしたところに、ひょっこりと珠桜が姿を現した。

 一瞬、空気が止まったのは、どこに要点を置いたものだっただろうか。

 珠桜にはここで食べているという話はした。だが、葵がいるとは話していない。珠桜と仲が良いなど葵が知る由もない。どういうメンツなのか。そうした疑問が空気に溶け込む。

 その停止だったような気がした。


「あ、えっと……」

「珠桜ちゃん、どうしたの?」


 多分、珠桜が止まったり口ごもったりしなければ、葵がロックオンすることはなかっただろう。けれど、珠桜の立ち居振る舞いは、ここへ用件があってやってきたと伝えるものだった。

 間違っていない。その通りなのだから。


「あの、理充くんに」

「ああ。今、戻ろうとしてたところ」


 葵は目線……どころか、体勢自体が前のめりになって興味を隠していない。

 それを無視して、珠桜へと近付いていく。珠桜は葵のことを無視できないのか。とぷとぷと視線が泳ぎまくっていた。


「忘れてて悪い」

「お互い様じゃないかな?」


 視線は泳ぎまくっていたが、受け答えができるのは何よりだ。いつも通り、袋から弁当を取り出して珠桜に受け渡す。


「ありがとう」

「どう致しまして」


 これもいつものことだ。そして、いつもは行ってきますの挨拶が続く。

 しかし、今はそういうときでもないし、妙な間が空いた。そして、その隙間を鑑みないバイタリティに溢れている少女がここにはいる。

 俺の脇の下辺りから、ぐわんと葵が顔を出してきた。


「どういうこと、どういうこと?」

「あ、え、えっと」

「どういうことでもいいだろ。騒ぐなよ」

「何、何? マサったらいつの間に珠桜ちゃんと仲良くなったの? どういう関係?」

「隣席からの付き合いだ」


 その情報は、葵だって持っていた。そして、それも事実であるから、引き合いに出すことに後ろめたさはない。珠桜もこくこくと何度も首を縦に振っている。

 人との付き合いは、苦手なまま据え置きにされていた。和久田には慣れたようだが、葵とは関係を築けていないらしい。

 身を引いてわたわたバタバタしている様子は、謝罪ばかりだったころを思い出した。


「えー? それで、お弁当を渡すような関係になったの??」

「いいだろ、それで」


 どうしたって、力押しになるしかない。この関係を葵に伝えようとは思えなかった。


「だって、気になるし。ズルいじゃん」


 それは、珠桜と仲良くなりたいという欲求だ。

 だが、主語を抜きまくった話し言葉は、誤解を生むこともある。人付き合いに難のある珠桜ともなれば、非難は自分のものとしてしまう悪癖もあるのだろう。珠桜の血の気が引いた。

 そして、葵は無垢である。知らないのだから、仕方がない。どうしようもないことだった。


「私だってマサの弁当食べたいし」

「食べてるだろ、勝手に」

「そうじゃなくて! 珠桜ちゃんには弁当丸々用意してんじゃん。それに、受け渡しもスムーズだし、初めてじゃないんでしょ?」


 転がっていく会話の手綱をどう握ればいいのかと頭を回す。その間にも葵はどんどん突き進んで、俺に訴えていた視線を珠桜にも及ばせていた。猪突猛進。この潑剌さをどう引き止めればいいのか。根本にあるバイタリティの差は簡単に埋められない。


「珠桜ちゃんはマサとどうやって仲良くなったの?」


 他意なんてない。珠桜への踏み込み方を知りたいだけだ。けれど、それは珠桜にとって責め苦になりえる。その思考が手に取るように分かった。


「別に、特別なことは何もしてないですよ……あの、私、もう……行くね?」


 戸惑いに染まった珠桜の視線がこちらへ向く。逃げ出したいという表情は引き攣っていて、俺は慌てて頷くしかなかった。

 フォローしてあげたいが、この場では難しい。これは、俺の腕の問題もある。だが、葵同席の場で、珠桜の事情に絡めたフォローをすることもできない。

 葵へことを伏せたいのは、自分の独占欲だけではないはずだ。珠桜の心根を考えれば、誰彼構わず広めるものではない。今はこの場から離すことが、珠桜のためになるはずだ。

 頷いた俺に頷き返してくれた珠桜に、どれほどの意思が届いているのかは分からない。けれど、珠桜はすぐにぺこんと頭を下げてそのままとことこと早足で行ってしまった。


「あっ! マサ、ズルいよ!」


 ここまで聞いていれば、珠桜も自分が求められていること。葵がズルいと責め立てているのは俺のほうであること。そういうことを察せられたかもしれない。

 けれど、この勢いだらけのコミュニケーションに押されていた珠桜は、物事を冷静に見られていないだろう。人は坩堝に陥ると誤解を加速させるものだ。


「はいはい。ズルくて結構。俺と小月の付き合いは俺と小月の付き合いだろ。葵は葵で頑張るしかないじゃん」

「だって、珠桜ちゃんガード堅いんだもん」

「そういう子に押し切ろうとするなよ。小月は繊細なの」


 どこまで言うか。牽制はしておきたい。測りながらまとめる珠桜の特徴は、それだけでは言葉足らずだ。

 珠桜にも頑固で面倒くさいところがあって、繊細だけで済ませられるものではない。けれど、全体的に柔らかくて癒やし系。解説しようと思えば、いくらだって言えそうだった。


「すーっかり理解者みたいな顔をしちゃってさ。本当にズルいな~~」

「悪かったな」


 葵は感想を伝えてくるばかりで、それ以上攻撃的なことを言うわけではない。

 俺はそれを横目に、珠桜に謝罪とフォローのメッセージを送った。『葵は適当にいなしておくから』となかなかひどい言い分は、葵に見つかればやかましいだろうが、見つかることはないので構わない。今は珠桜が安心できることが第一だ。

 それに対して、珠桜からは『大丈夫だよ』と一文が返ってきたのみだけだった。

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