第22話
ふわとろオムライスは絶対だった。次にオニオンスープ。ピザにしようかと考えていたものは、チーズフォンデュに変更した。
フォンデュなら目の前でなければできないし、一人でするには面倒さが勝る。俺としても、一人じゃやらないチョイスでいい。腕を振るうにはズレてしまうが、一緒に食事をするという面を優先した。
俺も珠桜も大食いってわけではない。山のように用意したところで、明日に回すことになる。それもそれでありだが、今回の思惑はできたてというところだ。そこに主軸を当てた。
珠桜が訪ねてくるより前に、フォンデュする用の野菜や果物を切って、じゃがいもを蒸かし、ウィンナーを茹でておく。その横でオニオンスープを煮詰めて、チーズを溶かし始めた。
じゃがいもとウィンナーの用意を終えて、オムライスのケチャップライスを作っておく。三口コンロは本当にありがたい。
ダイニングテーブルの上には、カセットコンロを準備しておいた。チーズフォンデュが固まらないように、火にかけられるようにしてある。
その辺りで、珠桜がやってきてくれて、フォンデュ用の食材を移動させてもらった。フォンデュの鍋もコンロのほうに移動させてもらう。
その間にコンソメスープの火を消して、デミグラスソースを作っていった。テーブルの上が整った辺りでこちらも準備を整えて、俺は卵を取り出す。
珠桜もそのタイミングを見計らっていたかのように、カウンターの前へやってきた。
「見てていい?」
「面白いか?」
以前は、聞いてもいない。見たいと言われれば流れに沿って頷いていた。今まで以上に、距離感が縮まっている。
「ふわとろにしてくれるんでしょ? 見てみたい」
わくわくを隠さない表情には、悪い気はしない。
「失敗したらごめんな」
「ううん。私じゃ軽く焼き目がついちゃうような卵の塊しか作れないから」
「焼き過ぎだな」
言いながら、手を動かして卵を溶かす。ある程度溶けたところで、フライパンを熱して油を流した。温まるまでの間に、息を整える。失敗することは少ないが、見られていると緊張するものだ。
それでも、卵を流してフライパンを回す一連の動きは、腕に馴染んでいた。ふわとろにした卵をケチャップライスの上に置いて包丁で開く。
眼前から届いてくる雰囲気がキラキラしているのは、この時点で感じていた。その上にデミグラスソースをかけたところで、輝度が増す。
「できたよ」
「すごい。お店で出てくるみたい」
反応が早いし、煌びやかでたじろいだ。カウンター越しに差し出すと、珠桜はあわあわしながら皿を受け取った。
「ほわぁ」
と漏れている声が露骨だし、無意識そうでむず痒い。
そのまま用心深い足取りでテーブルの上に丁寧に置いた。それからテーブルの状態を見て、上機嫌に笑顔を弾けさせる。
「ねぇねぇ、理充くん。オムライスとかテーブルの上とか、料理の写真、撮ってもいい?」
「カセットコンロでいいの?」
もうちょっと映えを気にした配置にしたがるものではなかろうか。
質問しながら、自分の分の卵を焼いていく。珠桜のより焼き過ぎたような気がしたが、こんなものは許容範囲だ。
「構わないよ。自分で見るだけだもん」
「そういうもの……?」
「うん」
葵なんて、映えを気にして撮ってはSNSに上げている。珠桜にその観点はないようだ。そのくせ、ほくほくと嬉しそうに写真を撮りまくっていた。
そんなに夢中にならなくても、と思いながらキッチンを出る。テーブルの中に割るのも悪いので、珠桜が写真を撮り終えるのを待って、それからテーブルについた。
「食べようか」
「うん。用意してくれてありがとう。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
言いながら、コンロにかかった鍋を掻き回してチーズの具合を見る。珠桜はそれも面白そうに見ていた。
「良い具合にとろけてると思うよ。どうぞ」
見つめてばかりいる珠桜を促すと、そわそわとしながらブロッコリーを選んだ。とろーりと伸びるチーズは、ちょうどよさそうだった。
ぱくりと口に含んだ珠桜は、チーズのように頬を蕩けさせる。頬に手を当てる仕草はほっぺたが落ちそうだとばかりだった。
「美味しいよ」
「良かった。どんどん食べてくれ」
「やっぱり、理充くんの料理は美味しい」
「チーズフォンデュに俺の腕はあんまり関係ないけどな」
「チーズだってちゃんと選んでるんでしょ? こういうのって、何を使ったらいいのかとか私は分からないし、すごいなぁって思うよ。あと、野菜とか果物とか切り方が奇麗で、目にも美味しい」
「それはどうも」
言うほど、大きな仕事をしたような手応えはない。それでも、褒められているのだから、拒否することはないのだろう。
受け入れて、オムライスにスプーンで掬った。それを目視してからか。珠桜も同じようにスプーンを手に取った。既に満足げな顔で、オムライスにかぶりつく。
ふわとろ、と感想が浮かんだのは、オムライスのものではなかったかもしれない。
「理充くん、天才じゃん」
馬鹿真面目に呟くので、苦笑いが先んじる。あまりにも大袈裟だ。
「俺で天才だったらプロの料理人はどうなるんだよ」
「人外?」
「褒めてないだろ」
「他はいいの。今は理充くんを褒めてるんだから!」
むっと膨れてムキになる。そこまで肩入れしてくれなくても、と思いこそすれ、珠桜に褒められるのは嬉しい。
「分かったよ、ありがとう」
「やっぱり、ああいう料理本とか見てるの?」
そういう目が、俺がレシピを並べている棚の一部へ流れる。
そこにはカラーの料理本や栄養学の本も置いてあった。レシピは母さんのノートと、それを参考に作った自分のレシピノートだった。
「楽しいからな。後は、SNSで流行っているのとかそういうのを試してみたりするよ」
「ノートを作ったりしてるの?」
並んでいるものを見れば、その着想に至るのはおかしいことじゃない。
けれど、これは俺が独りで書きためていたもので、料理が好きだと知っている葵でも和久田でも知らないことだ。パーソナルな部分へ触れられている感触が確かにあった。
しかし、珠桜の探り方はソフトで、決して不快ではない。これは珠桜の持つ謙虚な和やかさによるものなのだろう。
「元々は母さんが作ってたレシピノートを受け継いだんだ。それからは、自分で作ったものを残しておこうと思って」
「お母さんの……」
受け継ぐ、という言い方で、おおよその事情は通じたらしい。珠桜は情緒があるし、勘が良かった。そうでなければ、手厚い気遣いなどできるはずもない。
「うん。遺してくれたものだよ。母さんの料理はとっても美味しかったし、作ってみることでちゃんとケリをつけられたって経緯もある」
「そうなんだ。理充くんがちゃんと前を向けるきっかけになったのなら、それはとってもいいことだね。しかも、理充くんの趣味になったんだったら、素敵だ」
腹中からそう思っているかのように、珠桜は嬉しそうにそう話す。
誰かに認められたいなんて思った記憶はない。それでも、あの一時の消沈を無駄でなかったと認めてもらえたことに心が癒やされた。
数年も経つ。今更、取り立てて傷だなんて言うつもりはない。それでも、だ。それでも、他人に打ち明けた心の内が丁重に扱われれば、報われた気持ちになる。
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