第20話

「話してくれ」


 あ、とは思ったが、零れたものは取り消せない。打ち消す口も根性も働かなかった。

 狭くなりつつある視界の中で、小月が瞬きを繰り返している。それから、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。優しい。


「話すの得意じゃないから、面白いことは言えないけどいい? そうだなぁ……帯包くんの料理はね、」


 と、そこからは普段聞くには濃い感想が続いた。

 作ってやった品目がづらづらと並び立てられる。覚えてくれていた。それだけで十分なのに、そのひとつひとつに好きだった部分が付属されていく。

 オムライスは半熟のふわとろの卵が好きだったけど、俺の奇麗に包んだ卵もふわふわで美味しかったと言う。

 そうか。ふわとろがいいのか。

 目の前で振る舞えれば、ふわとろにすることもできる。けれど、俺たちはタッパに入れてやり取りしている。ふわとろのよいところが持続するはずもないので、お弁当に向いた中身になっていた。

 そう考えると、昨晩は何か目の前で作るのに向いた料理にすれば良かったかもしれない。何だろう。しゃぶしゃぶとかそういう系もいいよな、と大雑把に考える。

 一から十まで覚えておけるほど、頭は回っていない。それでも、小月が伝えてくれる情報を収集していた。どうせなら、美味しいものを振る舞ってやりたいし、小月が好きな味付けにしてやりたい。

 いつからこんなに献身が湧いていたのか。それとも、熱に浮かされているがゆえの揺さぶりなのか。

 何にせよ、小月の言葉に耳を傾けていた。心地の良い喋りは、どれだけ聞いていても飽きない。面白おかしく話すわけではないけれど、俺には有用な話ではある。


「私ね、昔にも料理を作ってもらったことがあるの。そのときの肉じゃががとっても美味しかった。なんか、帯包くんがタッパを差し出してくれたときに、そのときのこと思い出したの。だから、断れなくなっちゃって、そのままここまで来ちゃった」


 肉じゃが……タッパ。

 記憶がちくちくと刺激される。ただ、その刺激を受け取って、記憶を広げるほどの思考がなかった。口を開く余裕もない。徐々に、意識が薄れていく。


「帯包くんにはいっぱい迷惑かけてるかもしれないけれど、それでもとっても嬉しい。バランス取れてないなって言っちゃうけど、でもね、本当に嬉しいの。私、帯包くんの料理、大好きだよ」


 昨日も聞いた言葉だ。それが昨日よりもグレードアップしていて、胸が握り潰されたようだった。


「小月」

「なぁーに?」


 柔らかさが甘く聞こえる。これは俺の耳がおかしいのか。熱に浮かされている。


「好きになってくれて、ありがとう」

「……そう言われると、恥ずかしいなぁ。でも、帯包くんが喜んでくれるなら、嬉しい」

「うれしいよ。小月が、美味しいって食べてるの、昨日、可愛かった」

「へっ!?」


 飛び跳ねる音も、耳に痛くなかった。俺は小月の声が好きなのかもしれない。


「オムライス、今度はふわとろなの、作ってやるから」

「え、あ、うん?」

「小月が好きなのをいっぱい教えて」

「あ、うん、えっと……帯包くんの得意料理も食べたいかな」

「俺の……?」

「うん。帯包くんの」

「そっか」


 小月に合わせようと探ることが多かった気がした。俺主導であるから、自分が作れるものを軸にはしていたが、難解でない家庭料理ならレシピがあるなら事足りる。自然、測ってしまっていたかもしれない。

 頷くと、小月はほろりと解れるように笑った。


「小月」

「どうしたの? 話しててつらくない?」

「小月の声を聞いてたいって言っただろ」

「帯包くんが話さなくってもいいんだよ? 眠れないでしょ?」

「うとうとしてきたよ」


 寝落ちるときは寝落ちるだろう。そのくらいには、意識が薄らいでいるし、目は閉じかけていた。


「そう? 無理しないでね。頑張るからね」

「がんばらなくてもいいよ。小月の声がしてればいいから」

「いっぱい喋るの頑張らないと無理だもん。もうお料理の話も尽きちゃったし」

「ごめんな」

「ううん。帯包くんが望むことなら、何だってするよ」

「何だってなんて言っちゃダメだよ」


 小月に余剰分の意味はないのだろう。看病の一環として言ってくれている。俺だって馬鹿正直に、何だって真に受けたりはしない。それでも、そんなすべてを差し出すような真似をして欲しくはなかった。


「帯包くんは無茶を言わないもの」

「がんばらせてるだろ」

「気が弱っているときのお願いなんて可愛いものだよ」

「弱ってる……」

「風邪で気が伏せってるし、体力もなくなってるでしょ? 弱ってるんだよ。今はお休みするときだし」

「……そうかな」

「人恋しくなるよ」


 そうか。お休みか。これって人恋しくて、小月に甘えてるのか。

 風邪なんて、しばらくひいていない。ひいたとしても、一人でやり過ごしていた。人がいて養生するのなんて、久しぶりだ。

 そうか。俺は、小月に甘えているのか。

 自覚すると、風邪由来の熱とは違うものが競り上がってくる。


「小月」

「うん。どうしたの?」


 もしかすると、小月は相槌で足る返事に言葉を足してくれているのかもしれない。そんな心づくしに気がつくと、気持ちは緩々と弛んでいってしまう。


「いてくれてありがとう。ほっとするよ」

「そうかな? 私が放っておけないだけだから、帯包くんは甘やかされてていいからね」

「小月は優し過ぎるよ」

「帯包くんがいつも優しく丁寧に接してくれるからだよ。お隣にクラスメイトがいるって分かってどうしようって思ってたの。男の子だったし」


 それ、気にしてたのか。蛾という苦手なものがあったとはいえ、男を易々部屋に招いたのに。


「でも、帯包くんはお世話を焼いてくれるけど、押し切ってくるっていうか……押しが強過ぎるってことはなくて、過ごしやすくて、いつもほっとしてるの」

「いつも?」

「うん。帯包くんからタッパをもらって、美味しいご飯にほっとしてるよ。助かってるし、美味しいし、嬉しい」

「おれは、小月が食べてくれるのが嬉しい。押し付けになってないか、って」

「そんなことないよ」


 言葉のすべてが、心の底からの本心だなんて確認しようがない。だから、小月が否定してくれたのは嬉しかった。

 元より思考がふわふわしている。そこに嬉しさを大量に注ぎ込まれて、ひどく陽気な心地になった。


「みおちゃん」

「え、何どうしたの急に」

「かわいい名前だなとおもってた」

「帯包くん、もう眠くて意識ふわふわしてるでしょ? 理充くんだっていい名前だよ」

「みおは桜があってる。暖かくて穏やかだ」

「照れくさいなぁ」

「小月に名前を呼ばれるのも照れくさいよ」

「先に呼んでおいてそんなこと言う?」


 でも、だって。珠桜という音は口にしやすくてころころしていて、可愛い。珠桜によく似合っている。


「そんなこと言われても何も出ないよ」


 出なくたって、俺にデメリットはない。珠桜が照れてくれるなら、それだけで儲けものだ。


「じゃあ、私も理充くんって呼ぶよ?」


 やっぱり、ちょっと慣れなくて、くすぐったい。でも、珠桜の声に呼ばれると、胸がいっぱいになる。


「理充くん、そういうの明日になったらもう忘れてるんでしょ?」


 確かに、ふわふわしている。けど、そこまで前後不覚のつもりはない。大丈夫だ。


「どうだかなぁ」


 心配しなくても、嬉しいことは忘れない。


「普段、そういう言い方することないじゃん。絶対忘れるやつ」


 そんなことないよ。


「理充くんがそんなにとろとろ本音言うタイプじゃないことくらい、私だってもう分かってるんだから。そんなふわふわした口調で言われたところで……」


 その辺りから、俺の記憶は途切れている。完全に聴覚が失われるそのときまで、珠桜のマイルドな音が耳朶から身体を癒やしてくれていたような気がしていた。

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