第19話

 そうしてお腹も満たされて、息を吐く。

 小月も一仕事を終えたように、気を抜いていた。そんなに緊張するなら、というのは言っても無駄だっただろう。

 最終的には自分から求めてしまったのだから、何をどう言っても後の祭りだ。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 定型句じみたやり取りをしながら、小月がおかしそうに笑っている。首を傾げると


「いつもと逆で変な感じ」


 と答えをもらった。まったくもってその通りで、こちらも頬が緩んだ。

 金銭のやり取りだって、お返しを受けている。けれど、こうして振る舞ってもらったことは、いつもよりもお返しされている感じがあった。


「薬飲まなくちゃね。お水、持ってくる」


 一通り笑みを共有してから、小月はおおぼんを持って立ち上がる。看病の主導権を握っているにしても、手際が良い。俺はベッドの住民と化しているだけでよかった。

 さっと戻ってきた小月は、水と一緒にタオルを二・三枚、おおぼんに乗せている。


「まずはお薬ね」

「はい」


 こればかりは、抵抗も何もない。俺は素直に小月の差し出す薬を飲み下した。それだけで身体が軽くなるわけではないが、休養に入っている感覚が伴う。ほうと息を吐いたところで、タオルを差し出された。


「べたべたするでしょ? ワイシャツだし……ネクタイは、外したけど」


 と瞳が逸らされる。ここに来て、初めて自分の格好を見下ろした。ネクタイが外されているとともに、ボタンが二つほど外れている。


「……ごめんなさい」


 そう追撃するように漏らした小月が、ぎゅっと縮こまる。頬が赤くなっていた。男の衣服に勝手に触れたことに対する気恥ずかしさだろうか。こちらまで気恥ずかしい。

 ワイシャツの胸元をぱたぱたと動かして、風を送った。


「いや……、助かった。うなされてたんだろ? 小月のおかげでよく眠れてた」

「……帯包くんがいいなら、いいの。気持ち悪くても、私にはそこまでしかできないから」

「助かったよ」

「後は自分で拭ってね」

「……小月」

「何?」

「着替えたいし、一旦出てもらっていいか?」


 タイミングが合っているのか分からない。だが、食事をしたことで身体がほかほかしていた。薬がそのうち効いてくるだろう。動けるうちに動いておきたかった。

 小月はぱちくりと目を瞬いた後に、びよんとバネ仕掛け人形のように飛び上がる。赤い顔の内訳は聞かないほうが無難だろう。小月のためでもあるし、俺のためでもあるはずだ。


「じゃあ、後片付けしてくるから!」


 小月は言い捨てて、びゃっと部屋から飛び出して行った。いくら着替えたくったって、小月が退室していないにもかかわらず脱ぎ出したりはしない。

 小月の移動に苦笑をしながら、しばらくぶりに立ち上がる。ここまで問題なく会話ができていた。熱っぽさはあったが、動けないほどではない。そう思っていた身体が重く、体重に振られそうになる。小月に限らず、人がそこにいたことで保たれていたテンションもあったのかもしれない。

 吐息を零しながら、制服を脱ぎ散らした。椅子の上に引っ掛ける程度で済ませておくのも今日ばかりは許されるだろう。持ってきてくれていたタオルで身体を拭くと、気持ち悪さが払拭された。

 べたべたを感じる余裕もなかったらしいことを、そうなって自覚する。感覚神経が鈍っているのかもしれない。感情は変に茹だって、あれこれ波及しているような気がするが。

 拭き終わったタオルを置いて、Tシャツとジャージに着替える。足元が覚束ずに、座ったままジャージを穿く始末だったが。それでも、小月の手を煩わさなければならないような事態にならずに済んでほっとした。

 ただ着替えるだけ。そのわずかな身動ぎでも、再び汗が肌を覆う。複数枚タオルを持ってきてくれた小月には感謝しかない。

 そうして一息吐くころには、疲れが乗っかってきた。着替えるくらい難なくできると思っていたのに。やはり、八度に及ぶ発熱は馬鹿にできないらしい。

 おかゆを食べられたことも手伝って油断していたのだろう。一気に襲ってきた疲れに、身体がいうことを利かなくなる。ぱたんと横になると、もう一ミリも動きたくなかった。

 そのくせ動悸はうるさくて、過剰に動いている。暑くて仕方がないけれど、せめて布団は被っておかないとまずい。

 一人になって気が抜けた反動か。思考がふわふわしてきた。このまま休んでおきたい。楽に寝付けるかはさておき、布団を捲って入ることすら邪魔くさい。喉が渇いてきたかもしれない。何か冷えるものが欲しい。

 ふわふわと断続的な思考の雲が浮いていた。その淡い思考の中に、ノックの音が届いてくる。遠慮したような物音は、小月らしい。そんなことを考えている頭も理性的ではないのだろう。


「入るよ?」

「ああ」


 声をかけてくれて助かった。どうにか返せた相槌に、小月がそろそろと扉を開く。様子を窺うところがらしいと、またぞろそうした思考が浮かんだ。

 最初こそ、静々とした動きだって小月だが、俺の様子を視認するや否や大股で近付いてきた。


「布団は被らなきゃダメだよ」

「ごめん」

「疲れちゃった? ごめんね。食べさせるの時間かけちゃったかも。触るよ?」


 言いながら、俺が半分敷いてしまっている布団を引きずり出してる。頷くと、俺に触れながら布団を引き抜いた。それから布団をかけてくれて、胸元を叩かれる。

 騒ぎ立てていた心臓が、それだけで落ち着くわけもない。それでも、小月の手つきは優しくて胸を癒やした。


「大丈夫? もう薬も飲んだし、休んでいいよ」

「小月は?」

「帰りたいけど……鍵はどうしたらいい? 開けっぱなしってわけにはいかないから」

「……リビングの引き出し棚の二番目? に、合い鍵が入ってるから、使って」

「郵便受けのところから内側へ落とすね」

「ああ、うん」

「今のうちに、何かやっておくことある? 欲しいものは? 冷蔵庫にゼリーとか入れてあるけど、こっちに持ってきておく? 冷凍庫にはアイスが入ってるからね。目が覚めて起きられそうだったら、好きに食べられるよ」

「ありがとう」


 外部出力は、一番簡易的な言葉が出る。深くお礼をしたいのに、簡潔過ぎて申し訳がない。復活したら、いつもよりも腕によりをかけて夕飯を作ろう。


「して欲しいことはない?」


 小月はいつだって大音声ってわけじゃない。温和な声だ。それが、熱に浮かされた頭に響かずに快い。

 眠るまで、ずっと喋っててくれないかな。

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