第12話

 話半分に聞いていた。

 和久田がクラスメイトの動向を気にするのは以前からだし、小月を気にしているのも分かっていたから。だが、予想外の発言には唖然とした。


「あおちゃんが気になる子を放っておくわけなくない?」

「……マジか」

「聞いてなかったの?」

「まったく。小月が転校してきたころに話したっきりだな」


 油断していた、

 というのも変な話だ。アンテナを張ってまで、小月に干渉するものではない。葵の友人関係についても同じことだ。だから、葵が小月のことを言い出さないことに違和感を抱いたりしない。

 思い起こせば、あの威勢の良さで何もしていないというのは能天気だっただろう。しかし、そこまで血気盛んだとは。

 それにしたって、いつの間にコンタクトを取ったのか。小月だって離席するとはいえ、そう長い時間ではない。その間に特攻したとして、どういう交流を持てたというのか。

 小月もそんな話は……いや。そうか。小月は俺と葵が友だちだなんて知る由もない。俺からだって、あずかり知らぬことがあって当然だ。


「成果はなかったみたいだけど」

「……そうか」

「あおちゃん相手でもってのは手ごわいよね」

「葵は行き当たりばったりだからそうでもない。押し切る方法しかやらないだろうし、小月にそれはあんまり通じないと思うぞ」

「やっぱり、マサくんが一番小月さんに近いよね」

「隣の席だからな」

「……まぁ、いいけどさぁ」


 話を逸らそうとしているところまで読まれているかは不明だが、適当に合わせていることはバレバレだろう。曖昧な相槌を聞けば、筒抜けていることが筒抜けだ。

 そのまま続けば嫌な空気にもなかったかもしれないが、ふらっと帰ってきた小月によってそんな空気は散りぢりになった。

 和久田は本人を前にして俎上に載せたりしない。ぱっと立ち上がって、話題を切り上げた。

 目線は不満げにこちらを窺っていたが、涼しい顔でスマホに戻る。やり取りなど知るはずもない小月も、とっかかりなく席に着いた。和久田だけが訴え顔でいても、数の有利が働く。


「また、話に来るからね」

「やめろ。勝手に目的を達成すればいいだろ」


 俺のところへ来るのであれば、小月に声をかければいいだろう。それをほのめかしてチラ見すると、和久田は不満顔のままだった。

 助力を求めているのは分かったが、それを小月が望んでいないのも分かる。どちらかを優先して贔屓しようってわけでもない。けれど、望まないものを強要するつもりはなかった。


「あおちゃんに告げ口してやるんだから」

「何の脅しにもなってない」


 葵を引き合いに出す謎論理は、和久田の中では有効らしい。俺にはまるで通じていないので、理解ができずに上っ面な返答しかできなかった。


「あおちゃんは理解してくれるからいいの」

「……迷惑をかけるなよ」


 俺にではない。いや、俺にだってかけて欲しくはないが、何より小月に迷惑をかけては欲しくはなかった。

 純粋な心配が大部分を占める。しかし、余波が及びかねない。その面も含めた忠告だった。たとえ無駄骨に終わるとしても、言っておくに越したことはない。

 そうして、チラ見で示した小月と目が合った。ぱちくりと瞬かれる色素の薄い瞳が、疑問を呈している。俺は目を伏せることで、話せることがないことを示した。これくらいのアイコンタクトが難なく届くくらいには、交流を持っている。

 和久田の仲が良いと言う言い分を撥ね除けることは難しい。そんなことは分かっていた。だが、こうした接触をこなすと、余計に体感する。

 和久田でも葵でも歯が立たない。図体のでかい無愛想な男がお眼鏡にかなった理由は謎だ。

 和久田じゃなくても、なんで? と言いたくはなるだろう。体験すれば殊更に、貴重さを感じずにはいられなかった。同時に、これを外へ持ち出すのはもったいないという気持ちが湧き上がる。

 これ以上の仲の良さを和久田に嗅ぎ取られることのないように、気を引き締めよう。こうして褌を締め直す機会を得たのはいいことだ。

 不満と疑惑を持つ二人の少女をよそに、俺はスマホを扱いながら献立に奔走する日々を守るためにも、と思考を巡らせていた。




 最寄りのスーパーが同じことなど、常識的に考えれば当然だ。

 いくら俺が料理を一手に担っていると言っても、生活用品は必要になる。ドラッグストアが近くにないのもあるし、広いスーパーの中には百円均一が入っていた。そこに用のある生徒というのは存外いて、制服姿の人間を見かけることもある。その中に小月がいることなど、自然だと言えた。

 小月を見かけることはあったし、目撃したくらいでは動揺することもない。初日に教室で隣人だと気がついたときにしてみれば、おおよそのことは流せるものだ。

 そして、そのスルースキルは小月にも身についている。俺と過ごすうえで身につけたものか。クラスメイトとの関わりを絶つために持っていたものか。どちらにしても、部屋を行き来する以外では一定の距離を守り続けられていた。それは、スーパーを出る時間が重なっても変わらない。

 けれど、今日の俺は自動ドアのそばで足を止めた。曇天から雨が降り注いでいる。

 後ろからやってきていた小月が、同じように足を止めてこちらを見た。その手には、しかと傘が握られている。

 その一瞬の交錯では、感通できない。けれど、小月には測れるものがあったようだ。辺りをよく見ている気遣い屋は、視野が広いのかもしれない。謝罪ばかりになってしまうときは、すっかり狭まっているようだが。

 その小月が、傘の柄を軽く持ち上げる。


「入っていく?」


 あちらもこちらも制服だった。濡れるのは厄介だ。ワイシャツとスラックスはまだしも、ブレザーはクリーニングに出さないと型崩れが怖過ぎる。


「……いや、買ってく」

「意外と高くない?」

「まぁ、それは」


 ビニール傘一本。些末と言えば些末で、塵も積もればと言われれば塵も積もれば。高校生ではそう安くもない。いわんや、家に帰れば丈夫な傘があるのだ。もったいなさはひとしおだった。

 だからといって、と小月を見下ろす。小月はこちらを見上げて視線を動かさない。


「大きいから、いいけど」

「……いいのか?」


 そうして、周囲へ視線を流す。

 外では隣席の立ち位置を守ってきた。スーパーから相合い傘で一緒の方面へ帰る、がそのラインを割っているのかどうか。気にし過ぎるのもよくないだろうが、和久田との会話後だ。確認せずにはいられなかった。


「私は構わないよ。雨だし、仕方ないでしょ?」

「合理的で助かるよ」


 人目を気にする小月なら断りそうなものだが、軽々しく頷かれて驚いた。

 だが、体裁を無視すれば、誘いはありがたい。小月はその感想を諾と受け取ったのか。ぱんと傘を開いて俺を呼ぶ。

 こんなところでぐだぐだ口論しているのを見つかるほうが、よほど面倒だ。一歩を踏み出して、その隣に並ぶ。思ったよりも近い距離に怯みながら、小月が持っている箇所より高いところの柄を掴んだ。


「持つよ」

「ありがとう」

「入れてもらってるのはこっちだし、お礼もこっち」

「荷物持とうか?」

「そこまで非力じゃないが?」


 冗談の間合いも近付いている。渡す気がないのは通じたのか。小月はふっと笑って、柄から手を離した。

 身長差三十センチ。二人で持つには傘の高さが違い過ぎる。歩幅の違いを今更ながらに痛感する。隣にいる相手だが、こうして隣り合って歩いたことなどなかった。

 胸がざわめくのは、初体験へ対する緊張だろう。もしくは、相合い傘という特殊イベントへの感情だ。

 しとしとと降り注ぐ雨の中を物静かに進んでいた。小月は多弁じゃない。そんなことは分かりきっていたが、こんなにも穏やかに沈黙を共有できるとは思わなかった。

 雨音が軽妙に耳朶を叩いていく。こうも季候を感ずる時間もなかなかない。そうした感慨に耽っていられたのは、たったの数分だけだった。

 軽妙にしとしと、どころではない。アスファルトに大粒の雫が叩きつけられて、制服のスラックスへ飛沫を飛ばした。ぼとぼとと傘を突き破りそうな音が頭上に降り注ぐ。

 小月がこちらを見上げてくるのと、俺が小月を見下ろすのと、どちらが早いこともなかった。


「走る?」


 先んじたのは小月で、俺もすぐに相槌を打つ。この雨脚で濡れるのを避けられないし、ひとつの傘であれば尚のことだ。


「急ごう」


 返事を合図に駆け出した。

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